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ゆう
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@suisuiu
  • 2025年7月11日
    わからなくても近くにいてよ
  • 2025年7月10日
    とびこえる教室
  • 2025年7月10日
    44歳、目的のないイスタンブール一人旅の日記
  • 2025年7月3日
    言葉を失ったあとで
    言葉を失ったあとで
    上間陽子の研究室に入るために引越したい気分
  • 2025年6月22日
    となりのヤングケアラー
    職場の隣のチームでヤングケアラーの事業をしているにも関わらず、思ってた以上に表面だけしか知らなかったんだなと顧みている。そしてもちろん、まだまだほんのほんの表面しか知らない。幸いなことに20歳前後で親元を心身共に離れることができた私はどこかさっぱりきっぱり考えすぎるところがあり、どうしても「そうすることのできない」人への想像力に欠けるところがある。ということも改めて自覚できた。なんでそうしないの?と無自覚に否定してしまっていたこともきっとあった。 ヤングケアラーの抱える気持ちは愛と憎しみの二項対立ではない。「世界でいちばん憎くて、世界でいちばん愛してる」のだけど、親の「代わり」をすると自分が溶けて失くなってしまう。お手伝いとは違い、そこから逃れる選択肢はない。参考書籍もいろいろと読んでみたい。
  • 2025年6月20日
    言葉を失ったあとで
    言葉を失ったあとで
    現状に言葉を与え続けてきたふたりの会話が、もう 上間さん「わけのわならなさの射程がグッとちっちゃくなる、そういうこととして理解が考えられるかなと思います」 信田さん「おっしゃったように、射程が小さくなるということは明晰になることですね」
  • 2025年6月17日
    ケアと編集
    ケアと編集
    もっと仕事論みたいなものなのかと想像していたけれど、思っていたよりもケアの世界のアクチュアリティみたいなお話が多く、すごく面白かった。心地良いおしゃべりをしているような流れる文体、に潜んで(実は潜めてもないと思うけれど)すぐ水面下にある重厚さをわたしはまだぜんぜん読み解けていないと思う。でもそれこそ、この本との向き合いに必要なことは「読み解こう」という積極的能動的スタンスでもないような気もする。とりあえずもう一度はじめから読んで混ざり合いたい。 ちょうど当事者研究風の集まりの練習をしたタイミングだったので、そういう意味でもちょうど良いタイミングで読むことができた。やっぱりあれは続けよう。
  • 2025年6月8日
    社交する人間
    社交する人間
    ・社交は「何かを成す」ための手段ではない ・ただ社交するために社交する ・そのために各種礼儀作法が存在する。それが社交における「目的」で、追究するものではない。それらの行動や全てが「目的」に収斂されることを防ぐ。 ・作法がなくなったら成果や結果が「出てしまう」! ・目的論は時にすわりが悪い。効用や価値ありきの語りとなってしまう(!) (ケアと編集からのメモ)
  • 2025年6月7日
    ケアと編集
    ケアと編集
    サブスタンス鑑賞前に(すごかった)(はなしたい)。ここの映画館、待合スペースに椅子やソファが多く置かれている。椅子があると歓迎されているように感じるねどうぞどうぞごゆっくり。 いま思うと、ひたすらに今を眼差し続けるケアの世界からの、さらに高みを目指し続けるサブスタンスの世界って幅感がすごい🌏
  • 2025年6月5日
    ケアの物語 フランケンシュタインからはじめる
    15年くらい前、苫小牧行きのフェリーで卒論のために『フランケンシュタイン』を読んでいた。飛行機に乗れたらよかったけどお金がなかったので、一番やすい等級の船底の客席。海をダイレクトに感じるとてつもない揺れ。ダニの皆さんがいっぱい住んでそうな毛布。修行中のような枕。なんでこんなにお金がないんだろうと情けない気持ちになりながら、でも「ひとりで(それも年数回ずつ)フェリーに乗る女」ってきっといつまでも思い出&ネタになるとどこかしぶとく感じてもいた。だってなんだか演歌みたい。その頃の私は演歌番組のアシスタントディレクターのアルバイトをしていた。うねる声、くねる身体。 それで『フランケンシュタイン』。ホモソーシャルとかミソジニー、フェミニズムをテーマに書いた。断片的な知識すぎる、学部生だからこそののびのび感のあった卒論だろうと思うけど、なんにせよなんだか元気でいいテーマだ。それでここ数年なんとなくフランケンシュタイン的なものがまた目につくようになっている気がして、だからこの本はやっぱり気になる。でも昨日夫とこの物語の舞台について話した時、堂々と「ロンドンでしょ」とか言ったけどジュネーブだった。そうだ。 一番好きなシーンは、怪物がさまよっていた森の中でそこに棲む植物や生きもの、川の流れとたわむれ、命のかがやきみたいなものとダンスするシーン。でもこれも妄想かもしれない。
  • 2025年5月24日
    かけないひび
    かけないひび
    平日朝7時、新宿行きの満員電車はもう帰りたい。だけど小さい本はこういう時にたすかることも分かってきた。なんとかかんとか読める。それで二本足でかすかに立ってこの本を読んでいたら、目の前に座っていた男性が表紙を二度見した。頭上からの二度見の眺めはなかなか良かった。 2-3歳のこどもを膝に座らせた父親と思われるその人は、スマホのお絵描きアプリで何か描いては「これなーんだ?」と5秒ごとくらいに問題をくり出す声、ひとつひとつに応えていた。 この本の何に着目したんだろうな。本の小ささ?タイトルの潔さ?もしかしてこの本を知っていた?あの人もかけないひびを送っている?あ、本を読みたいのに読めていないのかも。 わたしはこの本のおかげで「読めていなかった」ことに気がついたというかみとめた。この本には我が地元岩手の紫波町で開かれているイベント「本と商店街」が登場する。最近岩手がよく目に入る。呼ばれている。
  • 2025年5月16日
    聞く技術 聞いてもらう技術
    ヒアリングパートナーという補聴器屋さんが仕事先の近くにある。まさに体を表すいい名前だなあと前を通るたびに思う。という意味でいうと、居酒屋はドリンキングパートナー、英会話教室はスピーキングパートナー、園芸用品店はガーデニングパートナー、か?
  • 2025年5月16日
    アンブレラ
    アンブレラ
    生地の部分が花びらのように重なっている、可愛い日傘をさす女性を50mくらいの間にふたり見かけた。わあ色違いですねと思わずをかけたかった。でもできない。 日傘が壊れたので、先日楽天で日傘をめちゃくちゃ検索した。見れるだけ見たのでなかでも印象的なものがいくつか記憶に残っている。そのうちのひとつがそれだった。傘にはいくつものパーツがあり、何層もの構造があり、さまざまな骨で組み合わせられている。耐久性とかなんちゃらの認証のレベルもたくさんあった。傘すごい。
  • 2025年4月30日
    本なら売るほど 2
  • 2025年4月27日
    無駄なことを続けるために
  • 2025年4月19日
    最初の悪い男 (Shinchosha CREST BOOKS)
    最初の悪い男 (Shinchosha CREST BOOKS)
    寝る前にちょっと読む、じゃなくて、どっぷり浸かって読みたい。でもそしたら、帰ってこれなくなるかもしれない。ちょこまかと重なり読み(昨日どこまで読んだか忘れるもしくは内容を忘れて、結局同じところを数ページ重ねて読まさる)をしているので、いつまでも同じところにいるような気分。ダイエットコーラめっちゃ飲んでる。
  • 2025年4月2日
    「これくらいできないと困るのはきみだよ」?
    「これくらいできないと困るのはきみだよ」?
    この言葉通りではないにしろこのような言葉を浴びせられてきた記憶がある人はあちこちにいるのでないか、と思うけれどもわたしもそうで、この本の内容自体はタイトルに対する批評的な姿勢、だけれど今思うと読み進めるのにいちいち時間がかかってしまったのはこの文字列のせいかもしれない。いちいち手に取るのに数秒躊躇する、本そのものには無関係な自分の余計なことを思い出すものだったのかもしれない。
  • 2025年3月27日
    ひとりぼっちが怖かった きょうも傍聴席にいます
    朝日新聞の連載「きょうも傍聴席にいます」の書籍版。この連載のことを知らなかったがめちゃくちゃよい。
  • 2025年3月25日
    新しい声を聞くぼくたち
    「近年のフェミニズムの興隆の中で男性はどう生きるべきかを読み解く、画期的な文芸批評」
  • 2025年3月25日
    布団の中から蜂起せよ
    「どうせ生まれてしまったんだから、他人のために、少しでもこの世をマシな方向に動かそう。自分のために殺意を使うな。首にかかった手を外して、ゆっくりと社会に向かって拳を握り直そうではないか。いろいろなものに追い詰められて、布団の上に横たわったまま動けずにいる身体は、あなたの意志ひとつで蜂起に参画できる。私はあなたと、そういう戦いをしたいのである」
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