魂にふれる

魂にふれる
魂にふれる
若松英輔
トランスビュー
2012年3月6日
1件の記録
  • 思いつくままに書きます。(まあいつもそうですが(笑)) まず、本書を昨日今日の二日で読みました。今日の午前中に、体調が変だなあと感じたのは、多分この本を読んでいたからです。目の前の現実から現実感がなくなるような感覚で、本書のテーマである「死者の世界」が、いつもの日常の世界に流れ込んでくるのかなあ、と思いました。 なので、100ページくらい読んだ時に、正直「やばい本なのかな?」「読むのを中断した方が良いかな?」と心配になりました。ですが、この若松さんの本は、東日本大震災を取り扱った本だということを、今日の午後に今更ながら理解し直して、「震災を扱った本なら、内容が重いのはむしろ当然だな」と考えて読むことを続行しました。現在は先ほど読み終わったところです。 読み終わって良かったかどうかは、正直判別が付きません。というのは、この本はちょっと特殊な本で、つまり、読み始める前の自分にはもう戻れないな、という感覚があるので、読んだ時/読んでない時、の比較がとても難しいからです。 この本の場合の、読む前に戻れないというのは、死者の存在が身近になった(なってしまった)ということです。震災から14年過ぎてしまった現在、感想を簡単に言えば、お墓参りはきちんとこれからも行っておこうと思い直した、と言えばそれだけのことかもしれません。でも、もっと言うと、この本からは、「貧しさ」みたいなものが、与えられたような気がします。ホントうまく言えないのですが、若松さんの「しつこさ」みたいなものが、体に張り付いてしまったなと言う感覚があります。 本書を読みながら、ずっと思い出していたのは、茨木のり子さんの『歳月』という詩集です。これは亡くなった旦那さんへのラブレターみたいな詩が、ずっと続く詩集なんですけど、この詩集を読み終わった後に、茨木さんの愛の世界に包摂されてしまったな、詩集からダダ漏れてくる愛を飲まされてしまったな、という後悔を感じました。ただ、両方に言えることは、二冊ともお守りみたいな効果を発揮する本です。僕は日頃の行いに自信がないので、死者が僕の味方をしてくれるかどうかが自信がないのですが、二冊とも死が身近に感じられて、その分だけ死が怖くなくなります。でも副作用もあって、身近に感じられるだけ、死にたくなってしまうという(笑)、そういう危険もあります。 だから、本書を裏切るようですが、本書は、死の近接が嫌いな人は、もう生理的に受け付けられない本だと思います。ただ、宗教家だって、死者の世界に踏み込んで言葉を書き連ねることは、あまりしないですね。そういう希少価値は本書にはあります。だから好きな人は貪るように読めるかもしれません。 けれど、じゃあなんで宗教家すらも死者の世界をあまり言語化しないかというと、鬼神は敬してこれを遠ざくという(悪)知恵もそうですが、基本的には死者については沈黙することが、現実世界のマナーだからですよね。だから、若松さんはタブーを犯している、というのは本書を読む前から意識しても良いと思います。 けれど、けれどですね、誰かが口を開かなければ、死者との距離について、困っている人もいるというのも事実だと思います。なのでそういう意味においては、本書は非常にありがたい書でもあると、思うわけであります。 簡単に、これくらいで。
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