内村鑑三
2件の記録
花木コヘレト@qohelet2025年11月12日読み終わった図書館本内村鑑三キリスト教無教会著者の若松英輔さんが、内村鑑三と読者の、通路になってくれている、そんな本です。 まず、内村鑑三の伝記的事実を並べていった本ではない、ということは、細かなことですが、注意して良いと思います。伝記的事実を知りたい方は、他の良書を当たった方が良いでしょう。 また、言葉にするのが難しいのですが、この本は、内村鑑三「論」とか内村鑑三「像」を、読者に提示することを目指している本でもないと思います。スタティックな内村鑑三像を求めている方も、きっと本書は期待に応えられないでしょう。 では、本書は何を目指しているのか。これは、内村鑑三の霊を読者に注ぐことである、と私は読みながら、そう受け取りました。というのも、私はこの本の体験が、読書というより食事の感覚に近かったのです。つまり、著者の若松さんが、内村という素材を使って、読者の胸を温かなsomethingで満たそうとする、そういう企ての本だと思いました。ですから、本書においては内村は読者の心を豊かにするための一つの手段に過ぎなくなっているようにすら、私には感じられました。 もちろん、本書は、内村やその弟子の著作集からの引用で構築されており、若松さんの恣意的な操作で、内村が蹂躙されているわけではありません。しかしながら、やはり本書の目的はというと、繰り返しになりますが、内村像を読者の前に提示するというよりは、内村の心と読者の心を共鳴させることを目指して、作られているように感じました。本書は内村の生涯を追いつつも、とにかくその時々で、内村がイエスとどう直面していたか、その緊迫した面接を直に掬い取ろうとするところに、若松さんの筆が向かっているように感じました。 そういう意味で、スリリングとすら言えるような読書体験が本書では用意されています。若松さんはカトリックなので、どうも使われている言葉がねっとりしていたり、霊とか魂とかの言葉の連発とかで、逆に空疎に響きかねないところがあったりするのですが、私としてはそういう抽象的な言葉も、想像力を逞しくして読むことができました。 キリスト教というのは、結局イエスとどれだけ面と向かって霊的に強く結びつけられるかだけだと思うので、そういう直接的な、霊的な現場を目撃なさりたい方には、お勧めできる書籍だと思います。

