小林秀雄 美しい花

小林秀雄 美しい花
小林秀雄 美しい花
若松英輔
文藝春秋
2017年12月8日
1件の記録
  • 若松英輔さんをナビゲーターとして、小林秀雄の様々な著作を巡る、大いなる旅にも似た読書体験でした。 まず、単行本で600ページを超える分量がありますが、著者がキーポイントを噛み砕いてくれるので、とにかく読みやすいです。会社員の私でも一週間かからずに読み終えることができました。ただ、「小林秀雄も若松英輔さんも一冊も読んだことがない」という方は、まずはどちらかでエッセンスを感じてから、挑戦した方が無難だと思います。 ただ、かくいう私も小林秀雄論を読んだのはこの本が初めてで、改めて小林の生涯の仕事の幅広さに驚嘆したところであり、それをカバーする著者の読書量にも、ため息が出たところです。なので、新潮文庫や文春文庫などで小林に親しんできたつもりの私も、結局は小林の初心者なのだなあと、思い知らされたところです。 そんな私でも、本書の指摘で感動できたところがあって、それは中原中也やプロレタリア文学との、小林の交わり(対決)を筆者が描き出しているところでした。つまり、筆者は中也にも左翼側にもとても配慮を示した書き方をしているからです。 恋愛事件については、「本人たちにしか、いや本人たちにすらわからないことがある」として、その「勝敗」をつけずに、あくまで恋愛を事件として生きたそれぞれの衝撃に注視することに留まります。 また、プロレタリア文学者側には、マルクス主義への熱狂をキリスト教への信仰とパラレルに見て、むしろそこに無私の精神を見出しています。 もちろん、小林の関係者の心情を重んじることは、そのまま小林を擁護することになり、筆者も読者も保守的な域に留まらせるものです。しかし、歴史を悲しみの目で見つめることは、若松さんの他の著書でも展開される、筆者一流の対象への接近術であり、その部分を読んでいて私は非常に心地が良かったです。 著者が本書で主張したいことは、600ページの分量に比べて意外に少ないと思います。つまり、私たちが生きていく上で、日常の手応えのようなものを、決して忘れてはいけないよ、ということだと私は思います。本書の言葉で言えば、超越者との交わりを都度回復することを怠ってはならない、というような感じになると思います。 つまり、目には見えないこと、耳には聞こえないこと、あるいは過ぎ去った歴史などから、目を逸らしてはいけない、現象の奥にある物事こそ、私の人生を豊かにしてくれるものなのですよ、ということを、筆者は小林の業績を辿りながら、繰り返しているのだと、私は思いました。 特に、ドストエフスキーを取り上げている箇所では、イエスとドストエフスキーの関係を、親鸞と法然の関係になぞらえて描き出している部分があります。つまり、宗教的な情熱をもって、実在の世界と関係を結ぶことを、小林の仕事を語りながら著者は読者に訴えており、非常にスリリングな批評になっているなと、手に汗を握りました。 ただ、小林も若松さんも、ビビットで一流の世界を求めており、機械的な日常に幸せを感じている人には、冷たいのかな、という感想は、正直にいうと持ちました。今回本書を読んで、私には小林が、悪い意味で愚連隊に見えてきたというのはあります。形骸化した歴史や宗教や文学の中で生きている人も、同じ人間ではないのかな?愛や実在を生きるのが人間ならば、そこから外れた機械的な毎日に幸せを感じる人もいるのではないかな?と、私は思いました。つまり、私は自分が凡庸以下の人間だと思っているので、本書は希望の書でありながら、不幸であることの幸福をすくい取ることはしていないな、という不満は感じました。 それでも、私たち人間が、自由を常に求めている生物であることも、間違いありません。若松さんや小林が開いた真の革新的精神を、本書の読書体験を通じて身につけることも、私たちの幸福に、しっかり寄与すると、私は思います。短いですが、この辺で、
読書のSNS&記録アプリ
hero-image
詳しく見る
©fuzkue 2025, All rights reserved