新刊時評〈上〉 (1975年)

1件の記録
Ryu@dododokado2025年11月25日1958-1959を読んだ。1958年は花田清輝と平野謙との間に「笛吹川」論争が起こった年。 「この長篇は武田家の勃興から滅亡までを背景とした、戦国の物語である。しかし、このむかしがたりは普通の歴史小説という概念からはとおい。すでに『楢山節考』でも時代がよくわからなかったが、一応時代背景が明らかなはずのこの物語でも、そこには歴史の推移とよばわるようなものはほとんどない。ただ毎年毎年笛吹川は氾濫し、洪水になれば農民たちは家をすて、畑をすてて、逃げまどうくりかえしがあるばかりである。その間、人は生れ、人は死ぬ。そこにあるのも、一種のくりかえしにすぎない。だれかが死んでだれかが生れれば、どこそこのボコ(赤ん坊)はだれそれの生れかわりだ、と素朴に借じこんでいるような農民の生活のくりかえしがあるばかりである。人々はおおかた寝こむまではたらきとおし、いったん寝こめばそのまま死んでしまう。そういう虫けらのような農民の生活のくりかえしが、ここには描かれてある。だから、近代小説の心理主義的な手法なぞ全然無視した、一種民話ふうな視点がここに一貫しているわけである。 しかし、そういう虫けらのような単調な農民の生活にも、オヤカタさま(武田家)の興亡はやはり影響する。直接の影響としてはいにわかものたちがでかけていって、つぎつぎと死んでゆく。親たちはそれをはばむ手だてをしらぬ。笛吹川の氾濫とおなじょうな一種の天災とあきらめるしかない。だが、武田家の滅亡は、そういう農民の諦念をもまきこんで、ついに一家全滅の悲運をもたらす。 大体そういう主題を、笛吹川の土堤の虫カゴのような家にすむ農夫一家に視点をすえて描いてある。その間親子五代以上にまたがっているから、すくなくとも百年ちかい歳月が流れているはずだが、そういう具体的な歴史の推移なぞ作者はみむきもしない。おそらくこれはこれで完成した一種ゲテモノ的な芸術品にちがいない。では面白かったか、と聞かれれば、大して面白くなかったとこたえるしかない。近代小説の虚をついた『楢山節考』の鬼気は、すでにここには乏しいようである。(深沢七郎「笛吹川」)」113-4