るんば
@hokechoco
2026年3月3日

ゾンビ化する社会 生きづらい時代をサバイブする (角川書店単行本)
中野信子,
岡本健
読み終わった
■全体的な感想
中野信子さんと岡本健さんのゾンビ学に関する対談。
ゾンビ映画だけではなく、ホラー・災害映画を何故か進んで観てしまうのは、自分がもしこういう場面に遭遇してしまった時のシュミレーションをしている、という話があり、今までそんな視点で映画を観たことがないのでハッとした。
あとはやっぱり人間は刺激を求めるもので、毎日のつまらないことの繰り返しにはすぐに飽きて退屈になってしまい、不安や心配を解消するために刺激を求めてそれを乗り越えようとする、だからその刺激をゾンビ映画に求めてしまい、思わず観てしまうんだという話を見て、人間ってなんでこんな生きづらいというか幸せを感じ辛い生き物なんだろうと思った。もっとゆるふわ脳内で、毎日のルーティンでも幸せを自然に感じられる脳に進化してほしい。まぁそうなると絶滅するんだろうけど。
人間はこの世にいるべきなのか?笑 この生きづらさが人間の宿命なんて嫌だよー人間辞めたいよーと、赤ちゃんみたいに脳内で喚いた。でも軽い絶望って生きる上で必要だよなと最近気付いてきた。
■印象に残ったフレーズ
中野:終末ものを好む人たちのほうがパンデミックや災害に対してより丁寧に準備していて、適切に対応できる特徴があることがわかったんです。(P22)
中野:わたしたち人間というのは、なかなか単純に物を見ないんですよね。”なにか"に見えちゃう。点と点を勝手に結ぶんです。
岡本:物語を作り出してしまう。
(P59)
岡本:「不正解を選びたくない」という若者の心理を表しているような気がします。
中野:「間違えたくない」という言葉を、わたしも若い世代からよく聞くんですよね。正解を選ぶにはどうしたらいいんですか」と本当によく聞くんです。でも、もうわたしたちがいい年齢だから思うのかもしれませんが、選べるわけないじゃないですか。
選んじゃったらもう終わりなんだよ、選び直せるわけもないんだから。もうそれで生きるしかないじゃない。それを選んだからにはそれをもう正解にするしかないわけです。
(P105)
岡本:どうもコスパ思考みたいで、「そこに対して時間や気持ちをかけるべきなのか」という部分で選巡しているようなんですよ。でも、ずっと躊躇していると、結局なんの情報も経験も得られないまま、悩んでいるだけになってしまって答えに近づくことができない・・・・・・。それは病みますよ。(P107)
中野:おそらく、「とんでもないこと」の向こう側がよく見えてないんじゃないでしょうか。「とんでもないことといっても、意外とリカバリーできるんだな」という学習がなされておらず、経験が足りていないのでしょう。いまの社会で底辺といったって、命までは取られないだろうと思いますけどね。(P110)
中野:「失敗したらとんでもないことになるぞ」が女性にとってキャリア上の呪いになり得ますからね。つまり、子どもを産むことがキャリア上の失敗につながる可能性が女にはあるわけですよ。(P111)
中野:思考停止して、いろいろな解決を要する課題を見ないように、ある程度の搾取を許しながら安定的にゾンビとして生きたい人は、普通にいておかしくない。
岡本:「自由に決めたいけれど損したくない」とか、でも「面倒くさいから決めてほしい」とか、真逆の様々な軸が同時に発生していて、僕らは結局どれを選んでいいかわからない。
中野:それゆえに、思考停止したくなる人が増殖してしまう。
(P119)
中野:「自由になれよ」という無費任でおめでたい人のかける圧があるせいで、正解を選ばなきゃいけないプレッシャーが、いまの若者にはありそうです。それに耐えられないというつらさはあるんじゃないでしょうか。
間違っていても誰かが決めてくれたことに従いたい。自分は責任を取りたくない。
決めてもらって楽になりたいんだろうと思うんです。誰も決めてくれないとなったら、占いに頼ってでも自分以外のなにかに決めてほしい。そうすれば、失敗しても占いのせいにできる。
(P143)
岡本:そもそもの存立基盤のようなものに疑問を呈されて、社会から正しいものも与えてもらえないしで、自分の拠って立つところや指針のようなものを得たいというところにフィットするものなのかもしれないですよね。
中野:目の前に映る、複雑で残酷な社会をとにかく見ないでいられる装置が欲しいのかもしれない。
(P144)
中野:そういう人たくさんいますよね。距離があったほうが実は扱いが楽なんですよね。
距離が近いといろいろとネガティブな感情も出てきてしまう可能性があるし。それこそ妬みとか。(P148)
中野:我々人間の幸せの感じ方というのは、「差分」なんです。いや、「微分」といったほうがいいかな。要は「傾き」なので、その傾きがフラットだと、幸せゼロ。
我々人間の脳は、刺激が入ってこないと駄目なんですよ。なにもなければ勝手に刺を作り出してでも、なんとかしようとする。
(P187)
中野:正しい側に立つと、なんの能力もない自分がいかにも社会の代表であるかのように振る舞うことができるんです。だから、なんらかの過失のある人に対して執拗に文句をぶつける側に常になろうとするのではないか。そして、それに一旦ハマるとあまりにも快感なので、相手が謝ったり解決しちゃったりすると物足りなくなって次の人を探す。(P197)
中野:世の中の一定数の人は、明日も安定していてほしい、不安を感じたくないという気持ちが強いために、本来の人間が、変化を求めるものであるという言説を肯んじないと思うんです。でも、実際に安定的な環境に行ってみたら、ほとんどの人はどんなに愛する人がいてもほぼ確実に他の人に目移りくらいはするし、なんの変化もない生活をしたら「退屈だ」なんて言い始めてきっとどこかに行きたくなる。(P207)
中野:なにか困ったとか不安とか嫌だなと感じさせられる出来事に実際に直面して、変わろうとかなんとかしようという気持ちが生まれないと、わたしたちは満足しない脳を持つように進化しているんです。(P208)
岡本:変化した日常に対してどう対応するのかを考えたりすること自体がエンタメになる。脳にとって心地いいのかもしれないですね。
不快だったり嫌だったりしつつも、本当は考えたい。でも、直接口に出すのははばかられるから、それをゾンビ映画というジャンルにくるむことによって堂々と考えたり話し合ったりできるようになる。そのような装置としてゾンビ映画があるのかな。
(P225)
何が事実で、何がデマなのか。どうにもよくわからない。情報社会の進展によって手に入る情報の量は増大しており、情報の奔流に押し流されそうになる。コスパを意識して、一つ一つにじっくりと向き合っている時間が惜しい。結局よくわからないから、事実がどうとかよりも、細かな政策の内容などよりも、「納得感」や「気持ちよさ」「歯切れよさ」などで判断してしまう。(P227)
大学の研究者は基本的には自分の専門分野には詳しくて、他の分野は「わからない」と言ってしまいがちです。
専門用語を共有していない、価値観の異なる他者とのコミュニケーションをあきらめてしまう態度にもつながります。
中野先生には、そういった「垣根」がありません。どんな話題をふっても、膨大な知識や経験の引き出しから、何かを取り出してきて見せてくれる。私が知らなければ「これはね」と丁寧に説明してくださる。わからないことはわからない、知らないことは知らないと言ってくださる。
現代においては、こうした、「優しくて粘り強い思考」と、「その場を大切にすること」が重要なのではないか。
(P228,229)