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るんば
@hokechoco
  • 2026年4月17日
    FORTUNE BOOK 明日につながる120の言葉
    原田マハさんに期待しすぎてたかもしれない。 よくある自己啓発本に書かれてるような文章が、1,2文で1ページに書かれてるなーという感じだった。 この本を読んで何かじゃあ今日から何か始めよう、と明るく前向きになれたかといえば特になってない。 まぁなる人はなるんだろうな、私みたいに冷めてる人が読んでも拍子抜けするような本だなという所感。
  • 2026年4月17日
    月10万円を楽しく稼ぐ ちょいワーク図鑑
    中には意外と知らないけど副業に向いてるんだっていう仕事とか、そもそもこの仕事ってこういう経路で副業として仕事にできるんだ、というのを知れたので、副業したい人にはおすすめの本
  • 2026年4月17日
    こうやって、すぐに動ける人になる。
    脳筋の体育会系向けの本って感じ。 書いてることは他の本にも書いてあるようなことばかりだし、有料のコミュニティで良質な人と出会うことの素晴らしさを書いた上で自分の有料コミュニティをサラッと宣伝して勧誘してるの怖いなと思った。 ただまぁ、人生は自分のファンを増やしていくゲームっていうフレーズは、人生のいい捉え方だなと思って感心した。けどほんとそれくらい。
  • 2026年4月12日
    悩脳(のうのう)と生きる 脳科学で答える人生相談
    ■全体的な感想 一番印象に残ってるのは、『Q. 私たちは若者に混沌を残したのでは…』っていう問いに対する中野さんのアンサーで、ネズミの実験の話が出て、ユートピアな環境にいるとその集団は絶滅する、っていう実験があって、その絶滅の過程が今の日本じゃないかと恐ろしくなった。 超高齢化社会に生まれた子ネズミ達は、異性に全く興味を持たずに、自分を綺麗に保つことにだけ関心が注がれたらしい。これ今の私じゃんと思ってしまった。ほんとかよって思ったけど、再現性のある実験らしい。 今の日本は絶滅の道を歩んでるのかぁと思ったけど、まぁ所詮日本が生まれて数万年のうちの数十年を今経験してるだけで、まぁこの世の大きな流れに逆らうことも無駄だし、この波に抗おうという気持ちがより一層なくなったよね。詰まるところもっと子供が欲しくなくなった笑 あと人って合理的でも論理的でも知的でもないっていう、あとがきの最後のワンフレーズがすごい心に残ってる。 きっと脳を研究してきて脳をよく分かってる中野さんだからこそ、人ってそんなにすごくない生き物だってことがわかってるんだろうな。 私は自分に期待しすぎなんだなと思った。私は合理的でも論理的でも知的でもない。失敗もする。記憶力もよくない。それは私が欠落してるからとかではなく、もう人の脳みその性質なんだと。 論理的に物事を考えてるように見えるすごそうな人は、あれは超強制的に脳をフル回転させてるか、普通の人には持ち合わせていない能力がその人にはあるんかなと。 自分がおかしいのではなく、それが普通なんだって、いい意味で自分に色々期待しなくていいんだって、心の荷が少し下りた気がする。 もうね、自分に色々期待しすぎなんよな私。あとこうすべき思考が強すぎ。もっと力を抜いて、固定概念を取っ払って、生きていきたいなと思った。 ■印象に残ったフレーズ 咄嗟に整合性をとろうとして、新しい筋書きの物語を作ってしまうのです。動物にも自らの失敗を隠そうとするなどの行動が見られるそうですが、このように高度な虚構を構築するのは人間だけです。(P60) 私たちはむしろ「嘘を必要とする生物種」なのです。虚構を作る能力はとても大事な生存戦略の一部なのです。(P60) 人間の認知なんて意外なほどいい加減なものです。(P65) 「あの人が先行している」とか「ああ、私、あの人に追い抜かれている」というのは、あなたのモチベーションを上げるには役に立つ認知ですが、現実に起こっているとはとても言いにくい(P65) 私たちの性格は100%脳が決めていると思われがちですが、腸などの身体の状態によってだけでなく、住んでいる環境や着ている服によってさえ、性格に変化が表れるものなんです。(P177) 小腸を疎がにしていては、幸福感をなかなか得られなくなってしまうのです。(P177) 相手にわかるように腐すのは、ダメージがあったことを確認して喜びたい(シャーデンフロイデを感じたい)から(P199) 他人は自分と同程度の利得しか所有してはならないのに、誰かが自分よりも得をしているのは不正な状態だと、この人たちは思ってしまう。すると、スイッチが入ってしまいます。あいつは不正な存在だから、腐すことが正義だ、正義によってあいつがダメージを受けるのを見たい、快感を味わいたい、という非常に悪いスパイラルに陥ってしまうマインドセットです。(P200) まともな育てられ方をしていない子世代は大人になっても子育てができなくなり、さらにこの様相が進むと異性に興味を持たなくなって交尾すらしなくなるのです。(P205) 少子化は加速度的に進み、ネズミたちは超高齢化社会を迎えます。そこで辛うじて生まれた若いネズミたちは、もはや他個体にはまったく関心を持たず、交尾などは仕方を忘れてしまったかのように異性に対しても何もしない。関心があるのは自分のことだけ。ひたすら毛繕いをして、つやつやに輝く毛並みの美しい個体が増えていきます。そして、子どもの生まれないこの集団は滅亡します。(P205,206) 少子化、超高齢化社会、異性に関心を持たず自分の身繕いにだけ時間とコストをかける個体が増えていく現象など、人類もとても他人事と思っていられるような内容ではないのではないかと背筋に冷たいものが走ります。(P206) 自信がないというのは、逆説的ですが、知性ないしは知性の体力の表れといっていい ものなんです。(P248) おおよそ人間には大小の欲求が内在し、それらのもたらす帰結が噛み合わないことから、生の中に必然的に苦しみが生じることになる。 繰り返しになるが、多くの人は自分が本来は十分に知的で、過ちを犯すことはほとんどなく、記憶学習能力に優れており、完全にフェアな判断を24時間365日することが可能なほどの脳を持っていて、それがうまく機能しないのは自分の意志だとか能力の欠落だとか、あるいは家族や仕事などの環境や生育歴の不備のせいであると信じている。 その誤った、無謬な自己イメージのために、多くの人は苦しむのである。 人間は、そんなに合理的でも論理的でも知的でもない。(P259)
  • 2026年3月24日
    スター
    スター
    いやー朝井リョウすごい。 朝井リョウの本を読み終わるたびに感じる。 毎回現代の新しい捉え方というか、考え方を教えてもらえてる。 印象に残った文章はたくさんある。 けど最後の方は特に千紗の言語化がうまくて、うんうん頷いた。 自分が頂点に立った気でいて、その頂点にいる自分が下の全てのピラミッドの部分も網羅した気でいるけどそれは違くて、自分は頂点じゃなくて色々あるうちの一点でしかない。その他に自分が把握しきれていない分野がたくさんあって、その集合体の集まりで世の中できてるんじゃないかっていう内容が、ハッとした。 私も自分はこの分野の上の方にいるって驕ってて、その分野に関することはなんでも知ったような口でSNSでつぶやいたりしたこともあったから、そんな自分が恥ずかしくなってしまった。気をつけよう。 あと最後は鎌ヶ江監督の新作の方針が会議で発表されて終わりだと思ってたから、あの終わり方は想定してなくて、鳥肌たった。
  • 2026年3月15日
    愛するということ
    愛するということ
    ■全体的な感想 愛するって確かに愛したいと思える人が出てきたら私にはできると思ってた節がどことなくあるなと感じた。でも愛するって技術で、その技術を会得して特定の誰かじゃなくて、身の回りの人々を愛さないといけないって書いてあった。 自分が何も得しない人に対しても愛するという形で何かを与える的なことが書いてあって、果たして私はできるのだろうかと考えてしまったというか。 でも自分を振り返るとあまりにも自己中心的というか、保身的に人と接してきたなと思う。人って話したい生き物じゃん?でも私は何を聞けば良いかわからんから黙って相手が話してくれるのを待つことが多くて。それってすごく相手に対して負担を課してるというか、そこ全然自分考えられてないなと反省した。 結構納得いったというか腑に落ちたのは、神を知るには思考じゃなくて行為ということで、神様への愛を示すためには、正しい生き方をすることらしく、だから宗教を信仰してる人の中でお祈りとか習慣とかを守ってる人達は、そうやって宗教に則った生き方をすることで神様への愛を示してるんだってことかな。 一番肝心の愛し方の説明の部分、時間なくてササっと読み飛ばした所もあるし、ためになる文章が多すぎたから、ちゃんとまた今度時間ある時に読み返したいな。 あとエーリッヒフロム、フロイトめちゃ批判するじゃん。4,5箇所批判してた。 ■印象に残ったフレーズ このようにふたりの人間は、自分の交換価値の上限を考慮したうえで、市場で手に入る最良の商品を見つけたと思ったときに、恋に落ちる。(P14) 愛について学ぶべきものは何もない、という思いこみを生む第三の誤りは、恋に「落ちる」という最初の体験と、愛している、あるいはもっとうまく表現すれば、愛する人とともに生きるという持続的な状態とを、混同していることである。(P14) 現代社会に生きる人びとは、あきらかに失敗を重ねているにもかかわらず、どうして愛するという技術を学ぼうとしないのか、という疑問にたいする答えがある。現代人は心の奥底から愛を求めているくせに、愛よりも重要なことは他にたくさんあると考えているのだ。成功、名誉、富、権力、これらの目標を達成する術を学ぶためにほとんどすべてのエネルギーが費やされてしまうために、愛の技術を学ぶエネルギーが残っていないのだ。(P16,17) 人間のもっとも強い欲求は、孤立を克服し、孤独の牢獄から抜け出したいという欲求である。(P23) 現代社会は、この没個性的な平等こそが理想であると説く。粒のそろった原子のような人間が必要だからだ。そのほうが、数多く集めても摩擦なしに円滑に働かせることができる。全員が同じ命令にしたがっているにもかかわらず、誰もが、自分は自分の欲求にしたがっているのだと思いこんでいる。現代の大量生産が商品の標準化を必要としているように、現代社会の仕組みは人間の標準化を必要としている。そしてその標準化が「平等」と呼ばれているのだ。(P32) 共機的結合とはおよそ対照的に、成熟した愛は、自分の全体性を個性を保ったままでの結合である。愛は、人間のなかにある能動的な力である。人を他の人びとから隔てている壁をぶち破る力であり、人と人とを結びつける力である。愛によって、人は孤独感・孤立感を克服するが、依然として自分自身のままであり、自分の全体性を失わない。愛においては、ふたりがひとりになり、しかもふたりでありつづけるというパラドックスが起きる。(P39) 生産的な性格の人にとっては、与えることはまったくちがった意味をもつ。彼らにとって、与えることは、自分のもてる力のもっとも高度な表現である。与えるというまさにその行為を通じて、私は自分のもてる力と豊かさを実感する。この生命力と能力の高まりに、私は喜びをおぼえる。私は自分が生命力にあふれ、惜しみなく費し、いきいきとしているのを実感し、それゆえに喜びをおぼえる。与えることはもらうよりも喜ばしい。それは剥ぎとられるからではなく、与えるという行為が自分の生命力の表現だからである。(P39) 愛とは、愛する者の生命と成長を積極的に気にかけることである。この積極的な配慮のないところに愛はない。(P47) 何かを知りたいと思ったとき、子どもはそれをばらばらに分解する。動物をばらばらにすることもよくある。秘密を無理やり引っぱり出そうとして、蝶の羽を残酷にむしりとったりする。この残酷さは、もっと深い何か、つまり物や生命の秘密を知りたいという欲望に動機づけられているのだ。 (P53) 母親は私たちが生まれた家である。自然であり、大地であり、大洋だ。父親はそうした自然の故郷ではない。子どもが生まれてから数年間は、父親は子どもとほとんど関係をもたない。生まれてまもない子どもにとって、父親の重要性は、母親のそれとは比べものにならないほど小さい。父親は自然界を表しているのではなく、人間の生のもう一方の極、すなわち思考、人工物、法と秩序、規律、旅と冒険などの世界を表している。子どもを教育し、世界へつながる道を教えるのが父親である。(P70) 父親の要は条件つきである。「私がおまえを愛するのは、おまえが私の期待に応え、自分の義務を果たし、私に似ているからだ」というのが、父親の愛の原則である。 (P71) 子どもにたいする母親の態度と父親の態度とのちがいは、子ども自身の必要性に対応している。幼児は、生理的にも精神的にも、母親の無条件の愛と気づかいを必要とするが、六歳をすぎると、父親の愛、権威、導きを必要とするようになる。母親には子どもの安全を守るという役目があり、父親には、社会が押しつけてくるさまざまな問題に対処できるよう、子どもを教え導くという役目がある。 (P71) 母親への愛着から父親への愛着へと移行し、最後には双方が統合されるというこの発達こそが、精神の健康の基礎であり、成熟の達成である。神経症の基本原因は、この発達がうまくいかないことである。(P73) 愛とは、特定の人間にたいする関係ではない。愛のひとつの「対象」にたいしてではなく、世界全体にたいして人がどうかかわるかを決定する態度であり、性格の方向性のことである。(P76) 無力さは一時的な状態にすぎず、自分の足で立って歩く能力は、人類に共通の恒常的な能力である。(P79) 自分の役に立たない者を愛するときにこそ、愛は開花しはじめる。(P79) 約束の地(大地はつねに母の象徴である)は「乳と蜜の流れる地」として描かれる。乳は愛の第一の側面、すなわち世話と肯定の象徴であり、蜜は人生の甘美さや、人生への愛や、生きていることの幸福を象徴している。たいていの母親は「乳」を与えることはできるが、「蜜」を与えられる母親はごく少数である。蜜を与えられる母親になるためには、たんなる「よい母」であるだけではだめで、幸福な人間でなければならないが、そういう母親はめったにいない。 (P81) ほんとうに愛情深い母親になれるのは、愛することのできる女性、つまり夫、他人の子ども、見知らぬ他人、そして人類全体を愛せる女性だけなのである。そういうふうに人を愛せない女性は、子どもが小さいあいだだけは優しい母親になれるが、ほんとうに愛情深い母親にはなれない。愛情深い母親になれるかなれないかは、すすんで別離に耐えるかどうか、そして別離の後も変わらず愛しつづけられるかどうかによるのである。(P84,85) 恋愛はひとえに個人と個人が惹きつけあうことであり、特定の人間どうしの個別的なものであるという見解も正しいし、恋愛は意志の行為にほかならないという見解も正しい。いや、もっと正確に言うと、どちらも正しくない。それゆえ、恋愛はうまくいかなければ解消すればいいという考え方も、どんなことがあっても解消してはならないという考え方も、ともにまちがっている。(P92) 自分の人生・幸福・成長・自由を肯定することは、自分の愛する能力、すなわち配慮・尊重・責任・知に根ざしている。もしある人が生産的に愛せるなら、その人は自分のことも愛している。他人しか愛せない人は、愛することがまったくできないのである。(P96) 結局のところ、世界を知るただひとつの方法は、思考ではなく、行為、すなわち一体感の経験である。(P119) 神への愛とは、思考によって神を知ることでも、神への愛について考えることでもなく、神との一体感を経験する行為である。 それゆえ、正しい生き方が重んじられる。些細なことも重要なことも合め、生活のすべては、神を知るために捧げられる。(P 119) 現代資本主義はどんな人間を必要としているか。それは、大人数で円滑に協力しあう人間、飽くことなく費したがる人間、好みが標準化されていて、他からの影響を受けやすく、その行動を予測しやすい人間である。また、自分は自由で独立していると信じ、いかなる権威・主義・良心にも服従せず、それでいて命令にはすすんでしたがい、期待に沿うように行動し、摩擦を起こすことなく、社会という機械に自分をすすんではめこむような人間である。無理じいせずとも容易に操縦することができ、指導者がいなくとも道から逸れることなく、自分の目的がなくとも、「成功せよ」「休まずに働け」「自分の役目を果たせ」「ただ前を見てすすめ」といった目的にしたがって働く人間である。(P131) 現代人は過去か未来に生き、現在を生きていない。感傷的に幼年時代や母親を思い出したり、将来の幸福なプランを胸に描いたりしている。他人が創作した物語にひたって身代わりの愛を経験するとか、愛を現在から過去あるいは未来に遠ざけるといった、この抽象化され疎外された愛の形が、現実の苦しさや孤独感をやわらげる麻薬のはたらきをしている。(P151) 投射のメカニズムによって、自分自身の問題を避け、その代わりに「愛する」人の欠点や弱点に関心を注ぐという態度も、神経症的な愛のひとつの形である。(P151) 愛するという技術に熟達したいと思ったら、まず、生活のあらゆる場面において、 規律、集中、忍耐の習練を積まなければならない。(P165) 実際、集中できるということは、ひとりきりでいられるということであり、ひとりでいられるようになることは、人を愛せるようになるための必須条件のひとつである。(P167) ひとりでいる努力をしてみれば、それがいかにむずかしいかがわかるはずだ。ひとりでいると、そわそわと落ち着かなくなり、かなりの不安をおぼえさえする。こんなことをしてもなんの価値もない、ばかげている、時間をとられすぎる、などという理屈をこねては、この習練を続けたくないという自分の気持ちを正当化しようとする。(P167) 集中力を身につけるには、くだらない会話、つまりほんとうの会話ではない会話をできるだけ避けることが大切だ。(P169) くだらない会話を避けることと同じくらい重要なのが、悪い仲間を避けることである。 (P169) ゾンビのような人、つまり肉体は生きているが、魂は死んでいるような人も避けるべきだ。また、くだらないことばかり考え、くだらないことばかり話すような人間も 避けたほうがいい。(P170) 他人との関係において精神を集中させるということは、何よりもまず、相手の話を聞 くということである。たいていの人は、相手の話をろくに聞かずに、聞くふりをして は、助言すら与える。相手の話を真剣に受け止めず、したがって真剣に答えない。その 結果、会話しているふたりはどちらも疲れてしまう。そういう人にかぎって、集中して耳を傾けたらもっと疲れるだろうと思いこんでいるが、それは大まちがいだ。どんな活動でも、集中してやれば、人はますます覚醒し、その後には、自然で心地よい疲れがやってくる。(P170) 集中するとは、いまここで、全身で、現在を生きることだ。何かをやっているあいだは、次にやることは考えない。いうまでもなく、いちばん集中力を身につけなければならないのは、愛しあっている者たちだ。彼らは往々にして、さまざまな方法を駆使してたがいに相手から逃げようとするものだが、そうではなく、しっかりとそばにいることを学ばなければならない。(P171) 集中力を身につけるための習練は、最初のうちはひじょうにむずかしく、これではいつまでたっても目的を達成できないのではないかという気分になる。そこで、いうまでもないが、忍耐力が必要となる。何事にも潮時がある。それを知らずに、やみくもに事を急ごうとすると、集中力も、また愛する能力も、絶対に身につかない。(P171) 自分にたいいて敏感にならなければ、集中力は身につかない。(P171) 変化に気づくことと、手近にある、ありとあらゆる理屈を持ち出してその変化を安易に合理化しないことである。それに加えて、内なる声に耳を傾けることだ。なぜ私たちは不安なのか、憂鬱なのか、いらいらするのか、内なる声はその理由を、たいていすぐに教えてくれる。(P173) 自分の心にたいする感受性となると、はるかにわかりにくい。というのも、ほとんどの人は、精神的に最高の状態にある人間など、一度も会ったことがないだろう。(P173) 愛を達成するためにはまずナルシシズムを克服しなければならない。ナルシシズム傾向の強い人は、自分の内に存在するものだけを現実として経験する。外界の現象はそれ自体では意味をもたず、自分にとって有益か危険かという基準からのみ経験される。(P176) 精神を病んだ人はおしなべて、客観的にものを見る能力が極端に如している。正気を失った人間にとって、存在する唯一の現実は、自分のなかにある、欲望と恐怖がつくりあげた現実である。精神を病んだ人は、外界を自分の内的世界の象徴とみなす。あるいは自分が生み出したものとみなす。(P176) 正気を失った人や眠っている人は、外界を客観的に見ることがまったくできない。しかし私たちはみんな多かれ少なかれ正気を失っており、程度の差はあれ眠っているのであるから、誰も世界を客観的に見ることはできない。言い換えれば、ナルシシズムによって歪められた世界を見ている。(P177) 周知のとおり、私たちはよその国を、どうしても客観的に見ることができない。よその国は堕落しきった極悪非道な国のように見え、自分の国はあらゆる善と高貴さを代表しているように見える。敵の行動を評価するときと、自分たちの行動を評価するときとでは、それぞれちがう物差しを使う。敵がどんなによいことをしても、あれは世界を欺こうとする特別の邪悪さのあらわれにちがいないと思ってしまう。反対に、自分たちが悪いことをしても、それは必要なことであり、立派な目的のためだから仕方がない、というふうに考える。結局のところ、国際関係においても、人間関係においても、客観性はまれにしか見られず、相手のイメージは多かれ少なかれナルシシズムによって歪められている、と結論せざるをえない。(P178,179) 客観的に考える能力、それが理性である。理性の基盤となる感情面の姿勢が謙虚さである。子どものときに抱いていた全知全能への夢から覚め、謙虚さを身につけたときにはじめて、自分の理性を働かせることができ、客観的にものを見ることができるようになる。(P179) 人を愛するためには、ある程度ナルシシズムから抜け出ていることが必要であるから、謙虚さと客観性と理性を育てなければならない。自分の生活全体をこの目的に捧げなければならない。(P179) どういうときに自分が客観的でないかについて敏感でなければならない。(P179) 人を愛せるかどうかは、ナルシシズムや、母親や身内にたいする近親相姦的な病的執着から、どれくらい抜け出ているかによる。また、外の世界や自分自身との関係において生産的な方向性を育てる能力が、どれくらい身についているかにもよる。(P180) 愛の技術の習練には、「信じる」ことの習練が必要なのだ。(P180) 他人を「信じる」ことは、その人の基本的な態度や人格の核心部分や愛が、信頼に値し、変化しないものだと確信することである。(P183) 自分を「信じている」者だけが、他人にたいして誠実になれる。なぜなら、自分に信念をもっている者だけが、「自分は将来も現在と同じだろう、したがって自分が予想しているとおりに感じ、行動するだろう」という確信をもてるからだ。(P184) 安全と安定こそが人生の第一条件だという人は、念をもてない。防御システムをつくりあげ、そのなかに閉じこもり、他人と距離をおき、自分の所有物にしがみつくことで安全をはかろうとする人は、自分で自分を囚人にしてしまうようなものだ。愛されるには、そして愛するには、勇気が必要だ。ある価値を、これがいちばん大事なものだと判断し、思い切ってジャンプし、その価値にすべてを賭ける勇気である。(P188) 人は意識のうえでは愛されないことを恐れているが、ほんとうは無意識のなかで、愛することを恐れているのだ。(P190) 愛は能動である。(P190) 退屈したり退屈させたりしないことは、人を愛するための大事な条件のひとつだ。思考においても感情においても能動的になり、一日じゅう目と耳を駆使すること、そして、なんでも受けとったまま溜めこむとか、たんに時間を無駄に過ごすといった、内的な怠慢を避けること、これが、愛の技術の習練にとって欠かせない条件のひと つである。(P191) 人を愛す るためには、精神を集中し、意識を覚醒させ、生命力を高めなくてはならない。そしてそのためには、生活の他の面でも生産的かつ能動的でなければならない。(P191) 私が証明しようとしたのは、愛こそが、いかに生きるべきかという問いにたいする唯一の健全で満足のいく答えだということ(P197) 例外的・個人的な現象としてだけでなく、社会的な現象としても、愛の可能性を信じることは、人間の本性そのものへの洞察にもとづいた、理にかなった念なのである。(P198)
  • 2026年3月3日
    ゾンビ化する社会 生きづらい時代をサバイブする (角川書店単行本)
    ■全体的な感想 中野信子さんと岡本健さんのゾンビ学に関する対談。 ゾンビ映画だけではなく、ホラー・災害映画を何故か進んで観てしまうのは、自分がもしこういう場面に遭遇してしまった時のシュミレーションをしている、という話があり、今までそんな視点で映画を観たことがないのでハッとした。 あとはやっぱり人間は刺激を求めるもので、毎日のつまらないことの繰り返しにはすぐに飽きて退屈になってしまい、不安や心配を解消するために刺激を求めてそれを乗り越えようとする、だからその刺激をゾンビ映画に求めてしまい、思わず観てしまうんだという話を見て、人間ってなんでこんな生きづらいというか幸せを感じ辛い生き物なんだろうと思った。もっとゆるふわ脳内で、毎日のルーティンでも幸せを自然に感じられる脳に進化してほしい。まぁそうなると絶滅するんだろうけど。 人間はこの世にいるべきなのか?笑 この生きづらさが人間の宿命なんて嫌だよー人間辞めたいよーと、赤ちゃんみたいに脳内で喚いた。でも軽い絶望って生きる上で必要だよなと最近気付いてきた。 ■印象に残ったフレーズ 中野:終末ものを好む人たちのほうがパンデミックや災害に対してより丁寧に準備していて、適切に対応できる特徴があることがわかったんです。(P22) 中野:わたしたち人間というのは、なかなか単純に物を見ないんですよね。”なにか"に見えちゃう。点と点を勝手に結ぶんです。 岡本:物語を作り出してしまう。 (P59) 岡本:「不正解を選びたくない」という若者の心理を表しているような気がします。 中野:「間違えたくない」という言葉を、わたしも若い世代からよく聞くんですよね。正解を選ぶにはどうしたらいいんですか」と本当によく聞くんです。でも、もうわたしたちがいい年齢だから思うのかもしれませんが、選べるわけないじゃないですか。 選んじゃったらもう終わりなんだよ、選び直せるわけもないんだから。もうそれで生きるしかないじゃない。それを選んだからにはそれをもう正解にするしかないわけです。 (P105) 岡本:どうもコスパ思考みたいで、「そこに対して時間や気持ちをかけるべきなのか」という部分で選巡しているようなんですよ。でも、ずっと躊躇していると、結局なんの情報も経験も得られないまま、悩んでいるだけになってしまって答えに近づくことができない・・・・・・。それは病みますよ。(P107) 中野:おそらく、「とんでもないこと」の向こう側がよく見えてないんじゃないでしょうか。「とんでもないことといっても、意外とリカバリーできるんだな」という学習がなされておらず、経験が足りていないのでしょう。いまの社会で底辺といったって、命までは取られないだろうと思いますけどね。(P110) 中野:「失敗したらとんでもないことになるぞ」が女性にとってキャリア上の呪いになり得ますからね。つまり、子どもを産むことがキャリア上の失敗につながる可能性が女にはあるわけですよ。(P111) 中野:思考停止して、いろいろな解決を要する課題を見ないように、ある程度の搾取を許しながら安定的にゾンビとして生きたい人は、普通にいておかしくない。 岡本:「自由に決めたいけれど損したくない」とか、でも「面倒くさいから決めてほしい」とか、真逆の様々な軸が同時に発生していて、僕らは結局どれを選んでいいかわからない。 中野:それゆえに、思考停止したくなる人が増殖してしまう。 (P119) 中野:「自由になれよ」という無費任でおめでたい人のかける圧があるせいで、正解を選ばなきゃいけないプレッシャーが、いまの若者にはありそうです。それに耐えられないというつらさはあるんじゃないでしょうか。 間違っていても誰かが決めてくれたことに従いたい。自分は責任を取りたくない。 決めてもらって楽になりたいんだろうと思うんです。誰も決めてくれないとなったら、占いに頼ってでも自分以外のなにかに決めてほしい。そうすれば、失敗しても占いのせいにできる。 (P143) 岡本:そもそもの存立基盤のようなものに疑問を呈されて、社会から正しいものも与えてもらえないしで、自分の拠って立つところや指針のようなものを得たいというところにフィットするものなのかもしれないですよね。 中野:目の前に映る、複雑で残酷な社会をとにかく見ないでいられる装置が欲しいのかもしれない。 (P144) 中野:そういう人たくさんいますよね。距離があったほうが実は扱いが楽なんですよね。 距離が近いといろいろとネガティブな感情も出てきてしまう可能性があるし。それこそ妬みとか。(P148) 中野:我々人間の幸せの感じ方というのは、「差分」なんです。いや、「微分」といったほうがいいかな。要は「傾き」なので、その傾きがフラットだと、幸せゼロ。 我々人間の脳は、刺激が入ってこないと駄目なんですよ。なにもなければ勝手に刺を作り出してでも、なんとかしようとする。 (P187) 中野:正しい側に立つと、なんの能力もない自分がいかにも社会の代表であるかのように振る舞うことができるんです。だから、なんらかの過失のある人に対して執拗に文句をぶつける側に常になろうとするのではないか。そして、それに一旦ハマるとあまりにも快感なので、相手が謝ったり解決しちゃったりすると物足りなくなって次の人を探す。(P197) 中野:世の中の一定数の人は、明日も安定していてほしい、不安を感じたくないという気持ちが強いために、本来の人間が、変化を求めるものであるという言説を肯んじないと思うんです。でも、実際に安定的な環境に行ってみたら、ほとんどの人はどんなに愛する人がいてもほぼ確実に他の人に目移りくらいはするし、なんの変化もない生活をしたら「退屈だ」なんて言い始めてきっとどこかに行きたくなる。(P207) 中野:なにか困ったとか不安とか嫌だなと感じさせられる出来事に実際に直面して、変わろうとかなんとかしようという気持ちが生まれないと、わたしたちは満足しない脳を持つように進化しているんです。(P208) 岡本:変化した日常に対してどう対応するのかを考えたりすること自体がエンタメになる。脳にとって心地いいのかもしれないですね。 不快だったり嫌だったりしつつも、本当は考えたい。でも、直接口に出すのははばかられるから、それをゾンビ映画というジャンルにくるむことによって堂々と考えたり話し合ったりできるようになる。そのような装置としてゾンビ映画があるのかな。 (P225) 何が事実で、何がデマなのか。どうにもよくわからない。情報社会の進展によって手に入る情報の量は増大しており、情報の奔流に押し流されそうになる。コスパを意識して、一つ一つにじっくりと向き合っている時間が惜しい。結局よくわからないから、事実がどうとかよりも、細かな政策の内容などよりも、「納得感」や「気持ちよさ」「歯切れよさ」などで判断してしまう。(P227) 大学の研究者は基本的には自分の専門分野には詳しくて、他の分野は「わからない」と言ってしまいがちです。 専門用語を共有していない、価値観の異なる他者とのコミュニケーションをあきらめてしまう態度にもつながります。 中野先生には、そういった「垣根」がありません。どんな話題をふっても、膨大な知識や経験の引き出しから、何かを取り出してきて見せてくれる。私が知らなければ「これはね」と丁寧に説明してくださる。わからないことはわからない、知らないことは知らないと言ってくださる。 現代においては、こうした、「優しくて粘り強い思考」と、「その場を大切にすること」が重要なのではないか。 (P228,229)
  • 2026年2月18日
    汝、星のごとく (講談社文庫 な 101-1)
    ■全体的な感想 この本を泣かずに読める人っているんだろうか? そしてこの本は絶対自分のバイブルというか、本当に自立して生きる女になるために何度も読み返したい本だなと思った。 恋愛要素が強い本だけど、自分に自信を持って生きていきたい女性にぜひ読んでほしい。 暁海や瞳子さんの生き方はすごくためになった。 最初は甘酸っぱい青春シーンいっぱいで、キラキラしてる感じだった。 どんどん読み進めていくうちに、暁海に自分の姿を投影してしまう部分が多くて、読んでいて辛いよねーわかるよーという気持ちでいっぱいだった。 だけど暁海も櫂も、親の業をいつまでも重荷として背負ってしまっているせいで、特に暁海は自分の人生を生きられていなくて、私まで心苦しくなった。 私自身、自分の親は毒親寄りで、親に苦しめられてきた人生だと思ってきたけれど、暁海の人生と比べると自分なんて比じゃないし、私甘えてんなーと思った。悲劇のヒロインぶってたし、周りに甘えてばっかりで生きてきたなと。 私は暁海みたいに覚悟決めて自分の全てを捧げて、母親のためにお金を稼ぐことができるだろうかって思うと、多分無理だなと思った。 そう考えると暁海ってすごいなと思う。強い。覚悟決めた瞬間から暁海はどんどん変わっていって、自信もつけていって、瞳子さんみたいになっていったのが素敵だった。 あとは瞳子さんの言葉が好き。身に染みる。私も瞳子さんみたいに軽やかに強く覚悟を持って生きていきたいと思った。 ■印象に残ったフレーズ 「いざってときは誰に罵られようが切り捨てる、もしくは誰に恨まれようが手に入れる。そういう覚悟がないと、人生はどんどん複雑になっていくわよ」(P93) 永遠に辿り着けない場所を目指して疾走するものが恋ならば、ゆったりと知らないうちに決定的な場所へ流れ着くものが愛のような気もする。(P209) 抗うから波立つ。ただ許して受け入れればいい。受け入れることで自分の中の一部が押し潰されて歪んでいくけれど、歪みなく生きることのほうが難しい。そんなことを誰かと話したい。(P211) 「何度でも言います。誰がなんと言おうと、ぼくたちは自らを生きる権利があるんです。ぼくの言うことはおかしいですか。身勝手ですか。でもそれは誰と比べておかしいんでしょう。その誰かが正しいという証明は誰がしてくれるんでしょう」(P306) 「正しさなど誰にもわからないんです。だから、きみももう捨ててしまいなさい」(P306) 結局一番のがんばれる理由は『ここはわたしが選んだ場所』という単純な事実なのだと思う。(P323)
  • 2026年1月26日
    正欲
    正欲
    ■全体的な感想 朝井リョウはマイノリティで苦しむ人の心を、なぜこうも解像度高く言葉にできるんだろう。 やっぱりいつもの如くハッピーエンドにはならなかったけど、でもマイノリティが生き延びるためのヒントはたくさん散りばめられてた。 自分と同じ境遇の繋がりを作るとか、自分が一番誰かに晒したくない部分を共有している関係は強いとか、他にもたくさん。 実際性欲って、センシティブで、わかり合おうよとかいう理想論が一番当てはめにくくて、相手によっては触れられたくないことが一番関係してくるトピックだと思うんだよね。 その性欲の部分でお互いの隠しておきたい部分を開示し合った関係ってすごく強固というか、普段絶対人に見せない所で繋がりあえてるからこそ、繋がりが深いというか。何本もあるちょっとの出来事で切れそうな細い線じゃなくて、1本だけどぶっとくて絶対に切れない線で繋がり合ってるイメージ。それを夏月と佳道には感じた。異質だけど、そこら辺にいる一般的な夫婦が求めているぶっとい繋がり。でも一般的な夫婦はそんな強固なぶっとい繋がりを作れることはほとんどない。皮肉だよね。 一般の幸せを求めるか、愛情とかは一切ないけど自分の一番晒したくない部分を晒し合って繋がってる関係を求めるか。 私はこの本を読んで、後者の繋がりを求めて結婚することも、自分が生き延びるための一つの手段としてよいのではと思えたよ。 ■印象に残ったフレーズ 社会からほっとかれるためには社会の一員になることが最も手っ取り早いということです。皮肉ですよね。でも真実です。ちなみに、社会の一員になるとはつまり、この世界が設定している大きなゴールに辿り着く流れに乗るということです。(P7) たとえば、街を歩くとします。 「明日、死にたくない」と思いながら。 世の中に溢れる情報のひとつひとつが収斂されていく大きなゴールを、疑いなく目指しながら。 そのとき、歩き慣れたこの世界がどう見えるようになるのか、私は知りたい。 本当は、ただそれだけなのかもしれません。(P8) 沙保里が自分に話しかけてきたのは、決して友達になりたいからではない。うまくいかない日常の中で、職場の仲間と一緒に盛り上がれる“玩具にしていい対象”が欲しかっただけなのだ。 出産のため退職する人が多い職場でいつしか自分が異端な存在になりかけている今、そんな自分が異端だと指をさせる対象が必要なだけなのだ。(P35) 誰かにわかってもらおうと思うこと自体が無駄なのだ。私の人生は。(P183) 幸せの形は人それぞれ。多様性の時代。自分に正直に生きよう。 そう言えるのは、本当の自分を明かしたところで、排除されない人たちだけだ。(P214) マジョリティというのは何かしら念がある集団ではないのだと感じる。マジョリティ側に生まれ落ちたゆえ自分自身と向き合う機会は少なく、ただ自分がマジョリティであるということが唯一のアイデンティティとなる。そう考えると、特に信念がない人ほど”自分が正しいと思う形に他人を正そうとする行為“に行き着くというのは、むしろ自然の摂理なのかもしれない。(P223) いつしか、幸福よりも不幸のほうが居心地が良くなってしまった。はじめから何も与えられず、何を手に入れられるかや何を失うかで思い悩まなくてもいい状態に、すっかり慣れてしまった。(P228) 社会とは、究極的に狭い視野しか持ち合わせていない個人の集まりだ。それなのにいつだって、ほんの一部の人の手によって、すべての人間に違う形で備わっている欲求の形が整えられていく。(P273) この世界にはきっと、二つの進路がある。 ひとつは、世の中にある性的な感情を可能な限りすべて見つけ出そうとする方向。規制する側の人間ができるだけ視野を広げ、“性的なこと”に当てはまる事象を限界まで掘り出し、一つずつに規制をかけていき、誰かが嫌な気持ちを抱く可能性を極力摘んでいく方向。 自分の視野が究極的に狭いことを各々が認め、自分では想像できないことだらけの、そもそも端から誰にもジャッジなんてできない世界をどう生きていくかを探る方向。いつだって誰だって、誰かにとっての“性的なこと”の中で生きているという前提のもと、歩みを進める方向。(P273,274) 皆もともとたった独りで、家族とか友人とかがいる期間を経て、また独りに戻るだけ(P285) 自分が抱えているものはトラウマなんかではない。理由もきっかけも何もなく、そういう運命のもとに生まれた、ただそれだけのことだ。こうなってしまった自分には何かしらの原因があって、それを吐露する場があれば何かが癒され変化するような次元の話ではない。(P300) 多数派であるということに安住し自分という個体について考える機会に恵まれないのは、一つの不幸でもあるのかもしれない、と。端からそちらの岸に近づくつもりのない自分は、その分、自分が個人としてどう在りたいかということについては明確な意志を持ち合わせているのかもしれない、と。(P311) 自分は、生きていたかったし、もっと生きてみたかった。 誰にも怪しまれず矛盾なく死ぬためだけに生きることに、本当はずっと前から耐えられない思いだった。友達が欲しかった。さみしいと言える人が欲しかった。人生に季節が欲しかった。 自分にとってそれを叶えるために必要だったのは、世の中に溢れる情報のひとつひとっが収斂されていく大きなゴールなどではなかった。自分から漏れ出る情報のひとつひとつに耳をすませ、じっと向き合うことのできる自分自身だった。(P313) みんな本当は、気づいているのではないだろうか。 自分はまともである、正解であると思える唯一の依り所が、“多数派でいる”ということの矛盾に。三分の二を二回続けて選ぶ確率は九分の四であるように、“多数派にずっと立ち続ける”ことは立派な少数派であることに。(P324) まともって、不安なんだ。佳道は思う。正解の中にいるって、怖いんだ。 この世なんてわからないことだらけだ。だけど、まとも側の岸に居続けるには、わからないということを明かしてはならない。(P325) はじめから選択肢奪われる辛さも、選択肢はあるのに選べない辛さも、どっちも別々の辛さだよ(P343) だから私は、あんたみたいにどうだこんなに辛いんだって胸張って、不幸で相手を黙らそうとは思わない。それが生まれ持ったものだとしても、不幸を言い訳にして色んなことから逃げたくない。(P343) 「あってはならない感情なんて、この世にないんだから」 それはつまり、いてはいけない人なんて、この世にいないということだ。(P346)
  • 2026年1月18日
    誰でもみんなうつになる 私のプチうつ脱出ガイド(1)
    ページも多くなくて読みやすかった。 ストレスを山分けするっていう整理の仕方と、薬を使わない治療法がためになった。 今適応障害で会社を休んでいる中、何か治療や考え方のヒントを知れたらなーというきっかけで読んだけど、自分のケアの仕方を学んでいって治していくのが大事なんだなと思った。
  • 2026年1月15日
    婚活マエストロ
    ここ最近ハッピーエンドに向かう系の小説を読んでなかったからもどかしく感じたけど、主人公が40歳で恋愛できてよかった。 あと付き合う前にサイゼリヤ行きませんかって誘える関係性いいなと思う。おしゃれで着飾ったレストランにデートで行くより、こういうお店でご飯食べれるくらい気心許せる関係性を築いた上で付き合いたいな。それはきっとマッチングアプリとか結婚相談所とか、相手を条件でまず見て判別してしまうプラットフォームだと難しいだろうなと思うけど。
  • 2026年1月12日
  • 2026年1月12日
    どうしても生きてる
    ■全体的な印象 私が朝井リョウが好きな理由が、万城目さんの解説でわかった。 万城目さんは、山田風太郎『八犬伝』の一部を引用して、ツジツマを合わせているのが『虚』で、ハッピーエンドにならない現実・ツジツマの合わなさを描いているのが『実』だと書いており、それでいうと朝井リョウは『虚』を織り交ぜながら『実』の世界を掘り続けているとのことだった。 これを読んでしっくり来た。私が今まで生きてきた中でたくさん感じてきたうまくいかない現実を、朝井リョウは書いてくれる。それと同時にモヤモヤしていた感情をうまく言葉にしてくれて、共感の嵐しかない。 心が奮い立たされるとかはないけど、どんな状況でも生きてくしかないんだと読んで振り切れる。認めたくなくてウジウジしてたけど、100%の絶望を突きつけられて、生きることに向き合うしかないって気付いた感じ。 また生きるのに疲れてきたら、もう一回現実突きつけられるために読みたい。 あとはそれぞれのエピソードの主人公達の今後がすごく気になったな。 ■心に残ったフレーズ アプリを通じて知り合う男たちの印象は、総じて、マッチングアプリを使っていそうだな、というものだった。人生における予想外の出来事や事態をリスクと名付け、可能な限りはじめから排除したがりそう、という、はっきりとは言葉にしがたい雰囲気だ。(P27) 体の内側から湧き出てくる泉というか、細胞の隙間から何かが滴るほどの豊かさのようなものが、どんどん襲われている感覚がある。(P33) 再配達を頼んだのだから、自殺なんてしない。 離婚を申し込まれたのだから、かわいそう。 新しい恋人ができたら、もう大丈夫。 満たされていないから、クレームを言う。 暴力描写のある漫画を好んでいたから、人を殺す。 そんな方程式に、安住してはならない。 自分と他者に、幸福と不幸に、生と死に、明確な境目などない。(P41) なんてことない投稿を最後に更新が止まっている様子は、突然ぶった切られた人生の断面図をこちらに見せつけているようで、爽快だ。同時に、まだ乾いておらずぬらぬらと光っているはずのその断面は、日々“死ななかった”という籤を引き続けているだけの、自分自身の生の不安定さそのものだと感じた。(P44) 健やかな論理だけでは成立させられない人生だからこそ、1足す1の答えとして真っ先に2を選ぶ瞬間の輝きに、張り倒されそうになる。(P55) 自分に嘘をつかないことと、もらったアドバイスを頑なに拒否することとはまた違うんじゃないかって。ひとの意見を取り入れてみたり、本当はやりたくないかもしれない仕事にも本気で向かったりしながら、その先にある自分が本当に好きなことをできる場所だけは守り続けるっていうのも、自分に嘘をつかないことと同義なんじゃないかなって。(P95) 変わりゆくものに自分を託してはいけない。だけど、変わらないものに自分を託し続けることができる人は、そうしていられる自分の奇跡的な幸福に気づかない。(P105) 変わるのはいつだって、人間のほうだ。自分に嘘をつくことでしか生き延びることができない、人間のほうだ。(P119) どこに向かって進んだって後ろめたさの残る歴史を歩み続ける以外に、この人生に選択肢はない。(P125) 生きていくうえで何の意味もない、何のためにもならない情報に溺れているときだけ、息ができる。(P151) 大人になればなるほどさ、傷ついたときほど傷ついた顔しちゃいけないし、泣きたいときほど泣いちゃいけないよね(P274) 痛いときに痛いって言えれば、それでいいのにね(P275) 心のままに泣いても喚いても叫んでも驚かない人がひとりでもいれば、人は、生きていけるのかもしれない。それが、誰にとっても誰でもない存在としてでしか向き合えない人であっても、それでも。(P278) この世の中には、二種類の人間がいる。生きる世界が変わってしまったとき、自分を変えなくていい人。その人のせいで、自分を変えなければならなくなる人。そしてそれはきっと、知らないうちに知らないところで、決められてしまっている。(P358) 全部繋げて、リボンにするのだ。そうすれば、つらいときには包帯としても使える。人生を美しく包むものも、たくましく補強するものも、いつしかこの手でつかみ取っていた。 だからきっと、大丈夫。これまでみたいに、不安で不安でたまらないまま、大丈夫になるまでどうせまた生きるしかない。(P370) 現実には起こるはずのない大団円を描き、見事にツジツマが合う八犬伝は、自分からしてみれば「虚」の物語である。自分はそんなもの書かない、なぜなら、ハッピーエンドは現実では起こり得ないし、ツジツマの合わないのが人生だから。ゆえに、自分の書く話は「実」だ、と鶴屋南北は言うのである。(P373) 朝井氏はときに「虚」の物語も織りこみつつ、「実」の世界を、底へ、さらに底へとひとり掘り続けている。穴のへりからのぞきこんだとき、もはやその頭がわずかに確認できるか否かくらいまで暗闇に浸りながら、さらに沈降せんと決意しているように映る。(P377-378)
  • 2026年1月9日
    考察する若者たち
    ■全体的な感想 読みやすかった。 現代社会の風潮や流れを、今と少し昔に流行ったコンテンツ(漫画や歌など)を対比にして言い表してるのがすごく的を得ていたし、イメージしやすかった。 三宅さんが繰り返し使っていた報われポイントを、今の若者は求めてるらしい。報われたいよね。私も報われたい。でも報われない社会だからこそ、自分が惹かれたもの・好きなこと・熱中できることを自分で見つけ出せる人間になりたいなと思った。 自分今満たされてないかも、虚しくなってきた、と思ったらまた読みたい。 あと、あとがきにかいてたやりたいことや自分だけの感想を見つけるコツも備忘で書いておく ①本や雑誌を読む ②キャラじゃないことをやってみる ③1人で夜更かししてみる(なんとなくずーっと4,5時間も見てしまう動画って、自分の好きなジャンルであることが多いのでは?とのこと) ④感動をじっくり言葉にしてみる ⑤他人に簡単に憧れてみる ■もやっとポイント ひろゆきのことが語られてる節(P100) 納得できない部分があった。 転生ものと陰謀論が同じ論理という部分。転生ものについて、転生もののスタート地点(🟰自分のスペック)を変えることがその後の人生を変える、というのはわかる。 だけど陰謀論のスタート地点としている「現世を支配しているが気付かれていない悪の魔力」はスタート地点とは言えないのでは?と思う。むしろ悪の魔力に気付いた後に起こす行動がここでは🟰になると思う。だって転生ものの時と同じ文脈で当てはめると、悪の魔力を変えることで、その後の自分の人生は変わらないもの。あくまで自分の何かを変えることで人生が変わるじゃん、、?と思った。 ■印象に残った文章 令和のヒットコンテンツをつくりたいのならば、アルゴリズムに乗っかり、プラットフォームに即した形で、「楽しい実感+それ以外の報酬」を与えることが重要なのである。(P138) 「陽キャ」「陰キャ」と属性の違いで学生の違いを指す。そのように縦のヒエラルキーは崩れ、横の「界隈」が増えていく。(P162) 考察したい、推したい、転生したい、気づきたい、成長したい、疑似親がほしい、正解がほしい、報われたい、こうした若者たちの姿はーアルゴリズムのレコメンドに押し流される私たちの姿そのものなのだ。(P163) 考察とは究極、読者の切り口や視点(批評的観点)よりも、作者のもつ正解を重視する行為である。その場合、世界に受容者と発者がいたとき、受容者の多様な解釈よりも発肩者の唯一無二の「正解」を優先する。(P172) もちろん情報の真偽はいまなお疑問視されている。しかしそれはあくまで情報の真偽であり、AIの回答そのものを疑う人は少ない。(P174)←私はAIの回答を疑いがち AIは特定のAI文化圏(つまりデータを吸い上げる元ネタ)の場所における、とりあえずの正しさを提示する存在である。AIの正しさとは、カッコつきの「正しさ」でしかないのだ。(P175) AIはGoogleがグローバル化し開いてきた社会を文化圏ごとに閉じ込める存在になるのではないか、ということだ。(P175) 「正しさ」なんて、すぐに変わる。情報も、大量にありすぎる。頑張っても、報われないことのほうが多い。何かをやろうとすると、失敗する。人間と関わろうとすると、後悔する。ひどいときは、加害や被害の問題も出てくる。二人でしがみついて生きていこうとしても、たいていは別々に流されて終わる。(P179-180) はたして私たちにとっての「正解」はどこにあるのか。これだけ科学技術が進歩しても、世界中の情報が手に入るようになっても、それでも私たちは濁流の中でいまもあがいているのだ。正解がわからないままで。だからこそ、少しでも報われるゴールがあると、そこにしがみつきたくなる。(P180) 人生は基本的に報われないし、失敗するし、辛いし、後悔するものである。(P226) 自分が解きたい謎を探すことは、誰かのつくった謎を解くことよりもずっと時間がかかる。おすすめされない欲望は、見つけるまで時間がかかる。おすすめされた欲望のほうが、すぐ手に入る。でも、大切なことはたいてい、時間がかかる。(P227)
  • 2025年12月27日
    あした死ぬ幸福の王子
    ■全体的な感想 なんというか、理解出来る所もあればできない所もあった、、 私や他者はかけがえのない存在ということとか、死の先駆的覚悟?がいまいちしっくりきてない、、 他人との関わりを増やして、もっと他人の声を聞くことから始めてみようかなと思った。 あと負い目から目を背けずに向き合おうとも思う。 幸福の王子は老人の話を聞いてこう変わったのか!と、ストーリーにすごく納得がいくというか、元の童話のストーリーとハイデガーの哲学がすごくしっくりきて頭に入りやすかった。 ■印象に残ったフレーズ 万能感あふれる存在だ。だが、そんな彼も、しだいにその万能感を失う。なぜなら、自分と同様に「他者もまた、自 分を道具として見ている」ことに気がつくからだ。こうして彼は、自分が中心であるという感覚を失い、いつしか道具体系の中に自分の存在を位置づけるようになる。 靴屋、仕立て屋、教師、父親、母親様々な社会的役割を引き受ける、もしくは引き受けられないことにみじめさを感じたりするわけだが、いやいや、そもそもそうした自己の道具化が倒錯した勘違いなのだ。なぜなら、現存在はスプーンやフォークなどの道具的存在ではないからだ!(P95)
  • 2025年12月27日
    半うつ 憂鬱以上、うつ未満
    半うつっていう言葉を手軽に使える社会になるといいよね。 心が弱ってる時にもう一回読みたい。
  • 2025年12月27日
    時をかけるゆとり
    朝井リョウ、瞬間瞬間をすごく面白く表現するよな。 さすが小説家って感じ。感度と表現力が違う。 くだらないけどおもろい。スラスラと読めた。
  • 2025年12月27日
    生殖記
    生殖記
    尚成が未来に希望を持ててよかった。 異性愛個体から特権意識が引き剥がされる未来に尚成の幸福があるとはね。 私は幸福度が共同体に依ってて、そんな自分の幸福の物差しが嫌だなと思ってしまってるから、私も共同体への貢献度合いに依存しない幸福を見つけたいと思った。それがなんなのかはわからないけど。
  • 2025年10月25日
    夜と霧
    夜と霧
    ■感想 P156で、収容所を開放されたけど家族に会える!と思って会いに行ったら家族が死んでた、みたいな状況の人もいる中で、その絶望を感じた人達は絶対自殺するだろって私なら思うんだけど、そういう状況になったらどうやって自殺せずに留まれるんだろうって思った。それが知りたかったのに肝心の乗り越え方は書いてなかった。耐えろってことなんかな。 ■心に残ったフレーズ 具体的な運命が人間を苦しめるなら、人はこの苦しみを責務と、たった一度だけ課される責務としなければならないだろう。(P131) だれもその人から苦しみを取り除くことはできない。だれもその人の身代りになって苦しみをとことん苦しむことはできない。この運命を引き当てたその人自身がこの苦しみを引きうけることに、ふたつとないなにかをなしとげるたった一度の可能性はあるのだ。(P131) 自分を待っている仕事や愛する人間にたいする責任を自覚した人間は、生きることから降りられない。まさに、自分が「なぜ」存在するかを知っているので、ほとんどあらゆる「どのように」にも耐えられるのだ。(P134) 強制収容所の人間を精神的にしっかりさせるためには、未来の目的を見つめさせること、つまり、人生が自分を待っている、だれかが自分を待っていると、つねに思い出させることが重要だった。(P155) わたしたちを支え、わたしたちの苦悩と犠牲と死に意味をあたえることができるのは、幸せではなかった。(P156) 収容所で体験したすべてがただの悪夢以上のなにかだと思える日も、いつかは訪れるのだろう。ふるさとにもどった人びとのすべての経験は、あれほど苦悩したあとでは、もはやこの世には神よりほかに恐れるものはないという、高い代償であがなった感慨によって完成するのだ。(P156-157)
  • 2025年1月30日
    ルンルンを買っておうちに帰ろう
    Kindleで1月末くらいに読み終わったから、記憶がだいぶ危ういけど、とにかく読んでてスカッとしたし、クスッと笑える。 女がコンプレックスに思ってる(少なくとも私は)部分をコミカルに書いていて、こんな風に考えていいんだってなんだか心が軽くなった。 あとなんでこのタイトルになったんだろうと考えたんだけどよくわからない。 外の世界でドロドロした人の思惑とか自分の感情とかに辟易するけど、それでもやっぱり心軽やかな気持ちを忘れずに家に帰って、毎日をなんとか過ごしていこうってことなのかな。
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