
ジクロロ
@jirowcrew
2026年3月6日
見えるものと見えないもの 新装版
モーリス・メルロ=ポンティ,
木田元,
滝浦静雄
買った
フリーレンの15巻と、書き込みのない二冊目のバガヴァッド・ギーターがほしくて、立ち寄ったブックオフにて、旧版を運良く見つける。
探していて忘れていたものが見つかる喜び。
このいきさつを書のタイトルに照らす。
ただ見えていなかっただけで、
いつも見ていたということか。
「見ていた」の目的語は「夢」に近い気がする。
今日は、この週末はついてる。
夢を手に取りレジに向かう。
見えないものよりも、
見えるものを表現するほうが難しい。
旧版の表紙はセザンヌ(新版はリ・ウファン)。
その目に見えるものを描いた絵。
自分には見えなくて、セザンヌにしか
見えないものを表現している。
「理解」ができない、説明もしないその絵に、
あらゆる人々の、
自称(したそうな)「分かりきった」人々の
くだらない言葉がたくさん張り付いている。
(「分かりきった」と「イキった」は同義?)
そんな状況に、感情的になっていた時期が
あったなと思い出す。
「理解」ができないとは、
作品そのものを見ずに、
作品とそれを飾る言葉との間の
「断絶」を見ている、または見せられている
ということではないか。
メルロ・ポンティもまた、
見えるものと見えないもの、その「見え方」を
セザンヌのように、その作品で教えようとして
この本を書いているのかもしれない。
漫才コンビのボケじゃないほう、
"真っ赤なりんご 椎名じゃないほう 従う本能"
(『Imma Do It』 KOHH)
「断絶じゃないほう」、林檎と本能を。
「見えない」と「見えていない」の違い。
差異は、怒ったり悲しんだり、
感情で捉えるものではなくて、
驚きとして歓待するものではないか。
タイトルだけで、お腹いっぱい。
色々と考えること、止まらなくなる。
ーー本を開く前の、週末の帰り道の推論。


