
レゲエ【公式】
@raggae_official
2026年3月7日

読み終わった
感性科学に興味があるので読んでみた。
筆者はあくまでも人文学、社会学の人で、
社会を感覚というスコープで見た観点から論じるという内容だった。
6章までは読んでいて腑に落ちないような感覚を得ていた。
その理由としての以下のような書評メモを遺した。
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・社会的な変化や新技術の登場によって、人とものとのインターフェイスとして機能する感覚が変容する例を時々の例とともに提示する。どのように変容したか(より視覚重視になった、など)の事例がもっと読みたかった
・感覚史と言っているものが、あくまでも社会的文脈に人々の感覚が同影響されたかを主軸にしているもの
話題を社会とのインタラクションで生まれた感情に近い感覚にまで広げ、広げた部分を主として論じているため、これは感覚と呼べるのか、感情ではないのか、「感覚」は感性・刺激→応答と近い意味で捉えていたが筆者の言及してるのは少し違うのか と若干戸惑った
・感覚史が、感覚にまつわる社会的事物・現象の時系列アーカイブ になりつつある
・文化的・社会的な文脈から「後天的にそう感じることを学習した」という意味合いが強い感覚と、人間が生物学的にもとより備えている感覚ー科学的に明らかにされている事実、根拠があり設計されるデザイン(人間の骨格に即した家具のプロダクトデザイン、交感神経・副交感神経にアプローチすることを狙いとした音感設計など)ー
が区別されず語られている、あるいは前者のみを語っているように見えた。
特に感性科学や工業デザインの中で、筆者の言っている感覚史が後者に言及できていないのではと感じることが多かった。
言ってみれば「社会的に影響され後天的に形成された感覚の歴史」というような内容だった
どのくらいの年代から、どのような事実が明らかとなり、デザインに落とし込まれていった、という科学史としての文脈でも話題があればと少し残念に思った
・上の意見との関連でもあるが、このアプローチでは、社会に即した新しいデザインの一助につながることはあまりなく、むしろこれからのデザインに対しての法や規律のようなものとして機能するのが大きな役割なのだろうと考えた
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その後、7, 8章で要旨に収束していくことで上記は少し合っていて少し違っているということに気づいた。
結論的に、社会・文化が感覚に対してどのように影響するかということよりも、感覚が社会・文化への認知に対してどのように機能・作用する(している)かに重点を置いた論であった。
また、社会的に意味づけされた感覚を利用する(している)ことを今一度考え直して直してみませんか?という本で、論旨はやはり法や規範として成り立つものであった。
やはりこの時代の日本を生きる人間として、特にジェンダーについては自分の感覚を今回学んだ法・規範をもって常日頃見つめ直す癖を持ちたいと思った。
最後に、当書では遊園地などの非日常を体験することの商品化について扱われていたので、この読書文脈として次にディズニーランドの歴史やデザインについて読んでみようと思う。
