勝村巌 "読み書きの日本史" 2026年3月8日

勝村巌
勝村巌
@katsumura
2026年3月8日
読み書きの日本史
早稲田に住んでいるので、大隈講堂脇のuni shop & cafe 125によく行く。この前、本でも読もうと入店しコーヒーを頼んでから、カバンの中の本を全て今に忘れてきたことに気づいた。 読み差しの本もあったが、家まで帰る気力はないので、ちょっと電話をするふりをして125の斜向かいにある成文堂早稲田正門店に入って、タイトル買いした本。 リテラシーというのは識字率を表す言葉らしいが現在では、何か物事の基本を知っているかどうかの基準として使われている。 話し言葉と文字というのは言語を構成する二つの大きな要素だが、話し言葉は生得的で社会の中に生きているものは次第に身につけることができる。しかし、文字の読み書きは生得的ではなく、長い修練の果てにようやくそれを会得できる。 その文字の会得、体得というものが日本の歴史の中でどのように成立してきたかを中世から近世、近代、現代の直前くらいまでの歴史の中で整理している本。大変に興味深かった。 日本語の成立は最近になって、言語学のみならず、考古学や遺伝学といった側面より、トランスユーラシア語の一種として、およそ9,000年前の現在中国の西遼河地域に起源を見ることができるそうだ。 農耕とともに朝鮮半島を経由して九州から伝播し日本に入ったと言われている。そんな日本語も話し言葉としては成立していたが、文字は漢字を輸入して日本語にアジャストさせて、そこからひらがなやカタカナを作り上げていく、という過程を経て、明治時代の言文一致運動を経て現在のような形に変化してきたとのこと。 この辺りまででもすでに面白いが、そういう意味では言文一致の前の日本語は、話し言葉と書き言葉に大きな違いがあった、という。つまり文字を覚えても、それをそのまま書くということはできなかったのだという。 鎌倉時代より明治くらいまでの書き言葉の教育は「往来物(おうらいもの)」という手紙文や訴状などのお手本を習うスタイルが一般的だったらしい。 読み書きを教えたのは寺子屋(手習いとも)だったが、そこでの読み書きのゴールは、商売などで必要な書面を自力で執筆できることであり、現在の我々が考えるような国語教育とはかなりかけ離れた物であった。考えてみれば当たり前の話だが。 往来物のテキストは800年の歴史の中で大量に出版されており、その中には一揆の訴状や関ヶ原の戦いのきっかけになったとも言われる直江兼続の徳川批判の手紙なども含まれたものがあったそうだ。幕府がそれを許したのも面白いが、エピソードとともに習う人が興味関心を持ちやすいものが選ばれたのかもしれない。 そ入り1872年に学制が発布され教育が義務化されるとそういった往来物はやがて影を潜め、より近現代的な読み書きの教育が始まってくる、という流れだったが、大変に興味深かった。 近代の学制では福沢諭吉の「学問のすすめ」が啓蒙的な中心を担い、士農工商の撤廃とあいまって、非常に強い平等主義が貫かれていた、ということである。 当時の193万人の子どもが満6歳から8年間学校に通う、ということは、それまでの徒弟的な職業訓練の期間を全て国の義務教育に奪われる、ということと同意であり、かなり壮大な社会変革だと言えるでしょう。 学生が目指した学校数は5万校を超えていたということだから、相当な社会変革です。 義務化されてはいましたが、無償ではなかったことと、運営やカリキュラムにもそれなりにアラがあるなどして、少しずつ修正はされたようですが、学校に入りそれぞれの子供が自分の可能性を広げることができるようになったというのは社会にとっては本当に大きなダイナミックな変化だったと思います。 その後、戦争を挟んで現代の教育に変遷していくわけですが、そう考えると日本語の読み書きというのも、今のような形になったのはせいぜい150年くらいのことなんですよね。 長い人間の歴史の中ではそんなに長いことではない気がします。今、社会はコンピューターによって大きな変化が起きています。読むと書くの間にもスマホなどが入ると大きな変化が現れています。 長い時間をかけて漢字や単語を覚えるよりも音声入力で、難しい漢字も読めれば良いというスタンスになると、公教育の時間配分も大きく変わるでしょう。 そういう過渡期において、歴史的な流れを抑えておくために大変に素晴らしい知見の詰まった本でした。オススメです!
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