ちゃそす "自閉スペクトラム症の女の子が..." 2025年12月14日

自閉スペクトラム症の女の子が出会う世界 幼児期から老年期まで
19冊目。 光がまぶしい、服がチクチクして痛い、集団の動きに圧倒される── 神経発達の違により、ASDの脳内では何が起こっているのか。 ASDの人々の感じる感覚過敏世界を、科学の窓から覗く。 この本で焦点のあてられた人たちは、刺激に関するレスポンスが他者と明らかに異なることから自身の感覚過敏を自覚したらしい。でも、感覚過敏の中でも、我慢できる範囲の過敏の場合はどうなのだろうか。そういった人は自身の感覚過敏に気づけないのではないだろうか。 他者から見て明らかな症状のある人達の陰に、無自覚な感覚過敏の人がたくさんいるのかもしれないと思った。 私自身ASDと診断されたが、感覚過敏があるのかはよくわからない。それは、定型発達の感覚を知らないからだ。 人の話し声が気になって読書に集中できなかったり、周りの音がうるさくて人の話を聞けなかったりするけれど、それは定型の人でも起こり得ることで、ASDの特性によるものなのかはよくわからない。 症状もその度合いも様々なASDのメカニズムを解明することはとても困難なことだと思うが、いつか網羅的に理解できる日が来ることを願う。 女の子も、男の子と同じようにASDになる──。 男性に多いとされるASD。でも、本当にそうなのか? 女性のASDは傍目にはわかりづらい。なかなか診断がつかないこともある。 本書は女性もASDになるという認知を世間に広める第一歩として、ASDの女の子の経験を、証言を元に描き出す。 脳神経の発達に男女で違いがあるならば、神経発達障害であるASDの症状に男女差が現れると考えるのは自然だ。 それでも長い間、ASDは男性的な発達障害であると思われてきた。 ASDが男性に多いのは、ASDの女性に見られるカモフラージュという行為にある。周囲に馴染むため、ASDの女性は自分を隠し、「普通」に振る舞おうとするのだ。 でもこれは、「普通」に見えるから大丈夫、ということにはならない。 周りから見て何も問題なく見えても、「普通」になるために、本人は多大なコストを支払っているのだ。定型の人が自然に直感でわかるようなことを、ASDは後天的にその場に応じて学習し、適応している。 いうならば、定型の人がオートマチックに行っていることを、マニュアルで行うようなものだ。本当の自分を出せば嫌われる。そんな思いをずっと抱えながらASDのひとは生きている。 私にASDの診断がつい最近のことだ。 女の子らしい玩具に興味がなかった。同性のコミュニティに馴染めなかった。どうやって友達を作ったら良いのかわからない。雑談ができない。常識がわからない。全部自分が劣っていて、努力を怠ったからなのだと自分を責めていた。でもそれは、全て脳神経の特徴によることなのだと、診断によってこれまでの自分が感じていた生きづらさの理由が判明し、救われる気がした。この不可解世な界を、これまで歯を食いしばって生きてきたのだと、「よくやった」と、初めて自分を肯定できた。 本書の中の女性たちも皆、同じような苦労をしてきたことに共感するとともに、勇気をもらった。これからは自分の特性を受け入れて、前向きに生きていこうと思う。 私自身なかなか受診には踏み出せなかった。それはやはり、男性的なASDの特性にあまり当てはまらないと思ったからだ。女性のASDへの理解がもっと広まれば、同じ境遇で悩んでいる女性が受診に踏み出せる機会が増えるだろう。 いくつになっても遅すぎるということはない。 同じような境遇で苦しんでいる女性が、もっと診断の機会に恵まれることを願う。
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