ちゃそす
@1000book_zautusu
1000冊読むのが目標です。
- 2026年3月9日
三体3 死神永生 上ワン・チャイ,光吉さくら,劉慈欣,大森望,泊功読んでるメモ "地獄とは、地面の下ではなく空の上にあることを知っている" "不真面目で無責任な男だった羅輯は、半世紀にわたって壁に向かい続ける真の面壁者となった" - 2026年3月6日
ジャガー・ワールド恒川光太郎読んでる - 2026年3月5日
三体2 黒暗森林 下上原かおり,劉慈欣,大森望,泊功,立原透耶読み終わった37〜38冊目(上下セット)。 約400年後、異星の三体文明がやってくる。地球文明を滅ぼしに──。 敵文明は遥かに高度。智子によって地球文明の進歩は封じられ、地球上全ての情報は筒抜け。 打つ手無しかと思われたが、それでも人類は諦めなかった。 面壁計画。 選ばれた4人の代表の、人類すら欺かんとする、孤独な戦いが始まる。 三体人は思念で直接コミュニケイトするため嘘や偽りという概念がない、というのは2で新たに明かされた設定だ。その隙をついて人類が立案した起死回生の一手が面壁計画だ。智子は人類の思考までは読み取ることができない。そして、三体人には策略や謀略が理解できない。 誰にも計画内容を明かすことなく、個人の脳内で三体文明に対抗する計画を立案、実行する。これが計画の概要だ。 対して面壁者に対抗するため三体文明の刺客、破壁人が計画を明かそうと裏で暗躍する。 主人公の羅輯は国連にも、彼自身にも本当の理由はわからないまま面壁者に選ばれる。鍵は三体文明が唯一脅威と見做している、葉文潔から聞いた1つの理論。 理論の一端を垣間見たその時、彼は彼自身の破壁人でもあると理解する。彼自身が、彼自身の計画を理解しなければならない。 彼は快楽主義者で、いわゆる「ダメ人間」な一面のあるところが読者の共感を誘うが、一方ではちゃんと優秀で、面壁者としてお尻に火が着くと途端に有能な働きを見せるのは「やる時はやる」理想型の主人公でもある。 上巻の終盤に彼が動き出してから、そして下巻にその結果が現れてから、物語は加速する。三体文明が何を恐れているのか、なぜ人類に知られてはまずいのか。その答えは面壁計画によって最後まで隠され続ける。 面壁者の計画は読者にも明かされない、まさにブラックボックスなところが本作の面白さの1つに感じた。 章北海はサブ主人公のようなポジションで覚悟と信念に染まった魅力のあるキャラクターだ。 彼は人類にとって重要な役割を果たし、最終的には「暗森理論」の裏付けとなる事件に立ち会うことになる。そして独断で導き出した結論から、彼は自ら面壁者のように振る舞い、読者を驚かせた。 上巻の前半にあった「二人が最も接近したのはこの瞬間が……」といった文章から、どこかで羅輯との接点が生じて物語が大きく動くものと期待したが、最後まで2人が直接交わることがなかったのは少し残念だった。 結果章北海の考えは正しく、人類文明はどうあがいても技術的に三体文明には勝てないことが判明する。水滴を確保するロボットアームの描写はまるで猿がスマートフォンを拾っているように思えて、三体文明の嘲笑が聞こえてくるようであった。 作中で人類社会は悲観や、混乱、楽観、絶望などコロコロと顔色を変えて忙しそうにしている。 こういったSFで「共通の敵を前に団結する人類」というファンタジーが突拍子なく出てくると個人的に興醒めするのだが、本作では三体文明という共通の敵が現れてもなお政治や陰謀の尽きない人類らしさが描かれてよかった。こういったところに、もしかしたら中国人ならではの政治に対するシビアな視点が現れているのかもしれない。 黒暗森林理論はフェルミのパラドックスへの解答の1つとして本作の重要テーマとなっている。 個人的にはゲーム理論のようにも感じた。 理論の重要なファクターである猜疑連鎖は、葉文潔自身が経験したものでもあり、全ての始まりである前作の文革描写との繋がりが見られる点が美しい。SFとしてのアイデアと中国人ならではの感性が融合した、今までにない作品なのだと感じた。 - 2026年3月5日
三体2 黒暗森林 上上原かおり,劉慈欣,大森望,泊功,立原透耶読み終わった - 2026年2月28日
皇国の守護者(8)佐藤大輔読み終わった - 2026年2月28日
皇国の守護者(7)佐藤大輔読み終わった - 2026年2月28日
皇国の守護者(6)佐藤大輔読み終わった - 2026年2月28日
皇国の守護者(5)佐藤大輔読み終わった - 2026年2月28日
皇国の守護者(4)佐藤大輔読み終わった - 2026年2月28日
皇国の守護者(3)佐藤大輔読み終わった - 2026年2月28日
皇国の守護者(2)佐藤大輔読み終わった - 2026年2月28日
- 2026年2月28日
皇国の守護者(9)佐藤大輔読み終わった28〜36冊目(9巻まとめ)。 皇期五六八年。「帝国」は皇国北領奥津湾に来襲し、皇国軍30,000人がこれを迎え撃った。しかし皇国北領鎮台は壊走、内陸への撤退を開始する。 そんな最中、独立探索剣虎兵第十一大隊の将校である新城直衛中尉は遅延戦闘の任を預かることとなる。 後に救国の英雄と語られた新城にとっての初めての戦争は「皇国」の敗北から始まった。 本作は作者が亡くなったことにより未完である。幸いにも展開としては区切りの良いところで終わっているが、一部のキャラクターの描写が途中だったので、その点は気になる。逆賊を誅殺した丸枝中尉はその後どうしたのだろうか。樋高はこれからうちに秘めた暴力性をどう発揮していくのだろうか。 話の構造は割と単調で、基本は戦争で成果を残す→帰還して国内の政治に翻弄されるの繰り返しだ。その中で、新城は英雄としての素質を徐々に開花させていくこととなる。 初め、この本がジャンルとしてはライトノベルとして扱われていることを知って「え、こんなに描写も細かくて重厚なのに?」と思ったが、読み終わった今改めて考えると確かにラノベのような一面があると感じる。 同期が皆理由もなく有能であったり、一部の女に盲目的に好かれる、上司が無能など、ご都合主義的な展開が見受けられる。中でも違和感が強かったのは女性の描写だ。 ユーリアが新城に体を許したところまではある意味彼女の潔さによるところだと理解できたが、なぜ個人副官に嫉妬するほど新城に惚れているのかがわからなかった。新城への好意はあくまで軍人としての彼へ惹かれたものであり、興味関心の延長線上にある感情だと思ったが、突然生娘のような恋心を新城に抱き始めたのが唐突に感じられた。 同様に、一部女性の描写が偏っている点が気になった。愚かで、男の陰に隠れ、時に男を操る存在としての女性が作中にあまりにも多い。戦時中であればむしろ男手のない中で家庭を支える強い女性がいて然るべきな気もするが、そういった人物は表れない。 唯一新城の同期の1人である槇の想い人は商家を切り盛りする優秀な女性であったが、説明したがりな作風にしては妙に描写が少なかったことからも、作者の思い描く女性像に偏りがあるのを感じた。 初めはなんの疑問も持たずに読み進めていたが、途中からのご都合主義と視点切り替えの多さ、舞台装置のように各視点が進んでいく構成が気になってあまり物語に集中できなかった。 なんだか文句ばかりになってしまったが、ご都合主義な点はあるものの、主人公はちゃんと苦労もするし負ける時は負けるので、戦記として読みごたえがあった。軍隊の細やかな描写は臨場感があってリアルだし、セリフや言い回しは最高にクールだ。新城の戦争に対する歪んだ好意が本作の一番の魅力だろう。 「つまり我々はこの負け戦を単独で支える英雄となるわけだ。楽しいぞ 軍人としてこれ以上の名誉はない」 - 2026年2月28日
花宵道中宮木あや子読み終わった27冊目。 江戸の吉原。そこは女たちを囲う牢。今夜も彼女らは男どもにへ夢を売る。煙管片手に張り見世から手を伸ばす。 これは夢を夢見て、恋に泣く遊女達の、一日花のような物語。 描写が柔らかく、江戸の風景と一体化していてとても読みやすかった。 初めは短編集なのかと思ったが、単にそういうわけではなく、章ごとに主要人物が交代するだけで全部が一筋の物語として繋がっていた。 生き抜く強さと希望を抱いてしまう愚かさの狭間で揺れ動く女一人ひとりに物語があり、それぞれの出す答えが別の人物に影響を与え、リレーのように続いていく。 幼少期に身売りされた彼女達は今の価値観でいえば不幸なのだろうが、不幸を感じさせないしなやかな強さを彼女たちから感じた。生きる力そのものの強さと言ってもいいのかもしれない。それでもこの作品は吉原の綺麗で儚い一部分を切り取っただけで、実際にはもっと過酷で、醜悪で、不愉快な現実もたくさんあったのだろう。華やかな文化の裏にある闇、男の夢と女の現実。 そうした女郎達の壮絶な想い全てをその胎に溜めたまま、吉原はその最後となる日まで提灯に明かりを灯し続けたのだろう。 - 2026年1月31日
読み終わった26冊目。 文化大革命を経て、人の種としての本能に憎悪を抱いた文潔。 彼女が宇宙へ放ったメッセージは、地球外のとある文明へと到達する。 それを皮切りに、地球文明の物理学が崩壊する。だがそれは、始まりにすぎないのであった。 人類文明の現実的生々しさと、地球外文明の空想的不気味さの間を行き来しながらそれらが次第に交わって一本の物語になってゆく。人類文明のパートでは登場人物の動機やメッセージ性が描かれ、一方地球外文明のパートでは主人公と同じ視点で三体文明を解き明かす過程で好奇心が掻き立てられる。 タイトルの通り三体問題がテーマの一つであり、その他にも様々な物理学のあれこれが登場する。私は物理学の見識がないため少し難しい部分もあった。物理を専攻していた人であればもっと本作を楽しめると思う。 地球外生命体に対して「人間にとっては過酷な環境であっても、きっとその生命はその環境に適応して繁栄しているのだろう」と通常は想像する。しかし、本作では地球外生命体にとってもその故郷は過酷な環境であった。そのことが地球との交信であったりその後の地球に対する行いであったりの動機になっている。 かつて新大陸とそこに住む人種を見つけた時と同じだな、と感じた。もしかしたら、未知を理解し、制御しようとする働きが知的生命体にはあるのかもしれない。 また敵の所在によって異星人との関係性は変わるのだろうと思った。 例えばプロジェクト・ヘイルメアリーでは2種族間で共通の敵が外部にあったからこそ協力することができた。だが三体の敵はそれぞれの種族が内側に抱える問題であり、その解決手段を外部に求めたがために対立が起こっている。代わりに、地球外で共通の敵ができたことでこれから地球上では一致団結が起こるのだろう。 中国内で出版された書籍は、冒頭の文革シーンが中盤に移動しているらしい。この改稿が「社会的な理由」によって行われたというところが、まさに中国が文革時代から本質的に何も変わっていないという皮肉に思えてならない。 中国の本を初めて読んだが、人や組織、文化などから中国ならではの空気を感じられた点はとても新鮮な読書体験だった。 今読んでいる本がひと段落し次第、続きを読もうと思う。 - 2026年1月31日
星を継ぐもの【新版】ジェイムズ・P・ホーガン,池央耿読み終わった25冊目。 人類の関心が地上での繁栄・対立から宇宙へと移った時代。 月で、身元不明の遺体が発見される。恐るべきことに、その遺体は5万年前のものであった。 彼は一体、どこからきたのか。その謎に世界屈指の科学者たちが挑む。 本作はSFであると同時に、ミステリーとしての色合いを濃く感じた。ベースは科学だが、遺体の謎を解き明かすということに終始している。 科学にも宗教のように、ある種の主義思想の相違がある。全くの未知と遭遇した時、それは顕著になるようだ。本来仮説と実証の間を行き交うべき科学者も、時には仮説と理想の迷宮を彷徨ってしまうことがある。 専門家同士の対立や、全ての視点をつなぎ合わせようとする主人公の苦難を経て、一歩ずつ真実へと近づいていく。 舞台設定と謎が本作の主軸であり、個人的に登場人物は全て舞台装置のように感じられた。 主人公たちが謎を解こうとする原動力は主に好奇心や職務のようなもので、何か不可欠な動機あるわけではない。強いて言うならば、科学者としてのプライドを賭けて、といった感じだ。 物語、というよりはドキュメンタリーを読んでいるような感覚に近い。 物語としてのドラマ少ないので、あらすじの謎に関心が持てない人にとっては、あまり面白い作品とは思えないかもしれない。SFとしての設定や世界観が本作の魅力だろう。 - 2025年12月30日
グラスホッパー (角川文庫)伊坂幸太郎かつて読んだ24冊目。 押し屋・自殺屋・ナイフ使いの殺し屋。妻の復讐のため裏の世界へ飛び込んだ主人公が、殺し屋たちの奇妙な渦に巻き込まれる。 3人の主要人物の各視点へ、およそ数ページでコロコロと変わるので、短編集を読むような感覚で読み進められた。 単一のストーリーではなく、それそれの視点がどう交わるのか?どうなるのか?という想像を読者に抱かせながら進んでいくところが斬新に感じた。 主人公は妻の復讐のため悪事に手を染めている。だがそれをどこか他人事のように捉えることで罪悪感から逃避しているためか、復讐の覚悟のようなものは終始感じなかった。読者と視点を合わせるため、一般的な感覚を残したのだろうか。復讐対象への感情の描写もほとんどなく、舞台装置的なキャラに感じた。 - 2025年12月30日
新規事業の経営論麻生要一かつて読んだ23冊目。 著者が数々の新規事業が興るのを見てきた中で、多くの事業が直面する「次の壁」。 事業創設はゴールではなくスタートだ。 生まれた事業を、どのようにして成長させるのか。そのために必要な枠組みを解説。 SEED期以降ではこれまでのMVP期とは課題感が大きく異なる。 なので折角生まれた新規事業を「後は頑張ってくれ」と放任するのではなく、会社として成長を支援しながら、将来企業としての経営戦略にどう組み込むか、という大きな絵を描いていくことが重要だという。 そして最終的に新規事業が既存事業と並ぶ規模まで育ったら、既存事業と合わせた会社全体としての戦略を組み立てていく必要がある。 確かに、企業はきっと「今のままではダメだ」という思いから新規事業を取り入れたはずだ。であるならば、新規事業が会社の経営に影響を与え、新規事業なしでは見られなかったであろうビジョンに向かって企業は進んでいかなければならない。 そんな未来が理想なわけだが、実のところこれが実現できるビジョンを著者自身ですら想像ができないという。 様々な新規事業を見届けてきた著者ですら統合後の未来を思い描くことができないというと、そもそも「大企業の行き詰まった経営にイノベーションを起こすための新規事業」という考え方がそもそも正しいのか?という疑問が残る。 かつて錬金術師が化学反応で金を作ろうとしていたように、何か見落としている根本的な間違いがもしかしたらあるのかもしれない。 - 2025年12月30日
かつて読んだ22冊目。 日本でも馴染み深い仏教。数々の宗派や教えが存在するが、ブッダの教えは一体どれなのか? 初期仏典に立ち返って、釈尊の教えを解説する一書。 まず初めに、日本で最も一般的であるのは大乗仏教だが、これはブッダの教えそのものではない。 ブッダの神通力が何らかを解決する逸話、極楽浄土に神仏習合。日本の仏教は文化的・宗教的な面を発展させ、本来のブッダの教えてとはかけ離れている。 ブッダ決しては神のような存在などではなく、祈るだけで救われるなどと説いていない。また多くの宗教のように死後の救いを語っていない。 「死ぬまでの間、人はどう生きるべきか」 この命題に対する、普遍的解答を説いたのが本来の仏教だ。 つまり仏教は宗教というよりも、道徳・倫理・哲学といった面が強い。それもただ机上で展開するものではなく、実戦の伴った教えだ。単に口で説くだけでなく、その通りに生きろと指導する。だから仏教には修行がある。 人として正しい生き方をするために、自分としての軸を持て。常にその軸を頼って物事を判断し、行動しろ。そう仏教は説いている。”こういう事をやりたい、ああいう事をやりたいとチグハグに衝動的に意欲するだけで、統一して考えるということをしないで、その瞬間瞬間に勝手なことをする。”そういったワガママな生き方をしてはいけない、と。 その時々の気分、感情で行動することのどれほど多いことか。 ここに、仏道の実践の難しさと奥行きを感じた。 - 2025年12月29日
新版 動的平衡福岡伸一かつて読んだ21冊目。 生命には、「坂を上ろうとする力」がある──。 生命の本質とは何か。”生きている”とは、一体どういうことなのだろうか。 著者独自の視点による生命観が語られる。 私たちの体は、破壊と創造の絶え間ないサイクルによって瞬間瞬間入れ替わっている。エントロピーの増大に先だって行われる破壊の作用。これこそが生命の本質であると本書では語られる。 デカルトの機械論のように生命を単純化しても、見えてくるのはあくまでその一側面だけだ。実際には生命は全て複雑な相互作用によって成り立っていて、部分的に切り取って見えるものは事実かもしれないが、真実ではない。 だが、動的平衡もまた生命の一面であり、それ自体が本質ではないように個人的には思われた。 唯物的な視点おいては生命は動的平衡の中にある物質の澱みであるのかもしれないが、それは肉体に限った話で、感覚や応答といった生命現象のことを度外視しているように思える。感覚に対する応答プログラム──不快を避け、快を追求し、生きようと、動的平衡を維持しようとする制御システム。これもまた、生命の欠かせない一面なのではないだろうか。
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