
辰巳
@divinus-jp
2026年3月18日

読み終わった
書かれたのは1995年。オウム真理教事件の直後に出版されたものだが、あのタイミングでこれが出たというのは、すごい。
そして、これは「今の話」だ。
作中では何度も「自分の頭で考えろ」と書かれている。それに対して「いや、考えてるがな」と思っていたのだが、実は考えていなかったのかもしれない。
オウム事件については個人的に思うところがあり、どうしてもこだわってしまう。当時、「ああ言えば上祐」と言われ、今のネットミームのように扱われていた人物は、テレビにもてはやされていた。
あのもてはやされ方と、昨年あたりからの「サナ活」ブームや支持率の高さは、どこか似てはいないだろうか。
高市総理と上祐さんは同世代だ。
最近、「女ばかり端切れ」のポストがXのタイムラインに流れてきた時、差別に関する多くの投稿を目にした。そのなかに「女をタダで使う感覚」に触れたものがあった。
介護にしても家事にしても、女性が担うことが「当たり前」とされている現状。
たしか、そのポストの内容は「女を使えばいいという感覚は、幼い頃から『女とはこういうものだ』34と刷り込み、自己効力感を奪ったあとで、その状態を固定するために、あえて褒めることで完成する」というものだった。
私は「考えている」つもりだったが、無意識のうちに刷り込みをされていたのではないか。
高市さんも、知らず知らずのうちに刷り込まれた無力感があり、「働いて、働いて、働いて」ようやく認められた存在ではないか。中身がなくのらりくらりと逃げ回る外報部長(上祐さん)をもてはやしていたあの時代と、社会の本質はまったく変わっていない。
というより、むしろ今は、当時が劣化コピーされているのではないだろうか。
「ああ言えば上祐」は、わかりやすく事件性があって国家権力と真っ向から対決したけれど、真に恐ろしいのは、生まれた時から刷り込みを受けてきた人が、あの合同結婚式に象徴されるような、強固で計算高い集団の中に着実に根付いてしまった。それが今の現状ではないだろうか。