
しまりす
@alice_soror
2025年3月13日

読み終わった
c.f.ブルース・スターリング「招き猫」『タクラマカン』p.164
「大切なのは価値尺度の逆転ではない。単純な価値尺度を必要としない世界を作ることだ。お金をいかに経済から抜くか」p.168
「過去の行動履歴をちゃんと記録することができず、経済活動の実態に対して記録できる情報やデータがあまりに貧しかった。だからその実態と記録のギャップを埋めて記録の機能と代行してくれる存在が欲しかった。その役割を担ったのがお金」p.169
「経済とはデータの変換」
「経済のデザインとはしたがって、⑴入力される欲求と能力にまつわるデータ、⑵出力される資源配分、⑶データから資源配分を計算するルールやアルゴリズム(計算手続)、習慣をデザインすることに行き着く」p.174-175
ex.オークション
「無数のデータ源から意思決定や資源配分の計算と推薦を行うのは自動化・機械化された市場経済アルゴリズム」p.179
「望ましい配分を計算する招き猫アルゴリズム」p180
「第一に、できるだけ多くの人の好みを汲み取って満足させること」p.180-181
第二に、「社会全体に存在する資源や技術の制約を満たさなければならない」
「第三に、望ましい配分は再分配や公平性の欲求にも目を配らなくてはならない」
「人々の満足、社会的制約、公平性欲求。この三者をバランスするように、過去の履歴データに基づきどのような行動をそれぞれの人が取るべきか、招き猫アルゴリズムが計算し推薦する」p.182
「お金を介さない贈与がやりとり」
「それを可能にする仕掛けとして、招き猫アルゴリズムが食べて作るデータから唯一無二の証が発行される。やりとりを証明するこのかけらを、「アートークン」と呼ぼう」p.186
「実在アートと似た人工アートを作ってくれる芸術機械」p.190
「言語や視聴覚以外の五感や物質のデータ化が進めば出力の幅は広がっていく」p.191
「五感や様々な物質・情報のあらゆる組み合わせで表現されるアートークンができる。そんなアートークンが、これまでは無色透明で無味乾燥だった経済的やりとりに色や形や温もり、そして味や匂いを添えていく」p.190-191
「やりとりごとに生成されるアートークンは安くも高くもない、やりとりそれ自体の固有の証」p.194
ただし、
「測れない経済はバラ色の楽園ではない。『お金がなくても好きに暮らせる』と甘く誘いかける情弱向けビジネスでもない。できないことはできないし、許されないことは許されない」p.198
「犯した罪が同じでも個人ごとに違った法律が適用されるような世界だ。法律は万人に共通だな、裁判所が個人ごとの生活や心身の状況を踏まえて現在の仕組みとルール化と自動化である」p.199
「招き猫アルゴリズムが仲介する測れないアートークン経済は測れるお金経済を置きかえられるのだろうか?答えはハイだ。なぜか?お金は記憶で、アートークンも記憶だからだ」p.203-204
「お金の三つの機能とよく言われる⑴価値尺度、⑵交換手段、⑶保存手段のうち、⑴価値尺度としての機能はない。お金から⑴価値尺度をノックアウトしたものがアートークンになる」p.209
「測れない経済における競争は、より早く・より安く・より多くを求める効率性や収益性の競争ではない。よりユニークで、美しく、奇妙で、面白く、謎なアートークンの束を作り出そうとする、審美眼の競争である。徒競走より盆踊りに近いといってもいい」p.212
「競うより踊れ、稼ぐより舞え」p.213
「giftという言葉が二つの意味を持つという話だ。ゲルマン語系の言語では、ギフト(gift)という単語は『贈り物』という意味と『毒』という意味の二つに分岐した」
「何かを贈ることは、贈る側と贈られる側をともに拘束し、呪いをかける。」p.217
「測れない経済は贈与の解毒である。アートークンはやりとりという贈与のようなものが起きた証である。しかしふつうの贈与とはちがう。アートークンは贈与のようなやりとりが起きたことへの礼でもあるからだ。アートークンはこうして、ギフトを双方向で対照的なものにする」p.219
「借金の自己破産があるように、データの自己破産が必要になり、発生する」p.220
「文字通り無数の無産者、発狂者、犯罪者、寄生虫、自発者が作り出してきた思考と妄想は、この数百年だけでも
アダム・スミス『諸国民の富』、
カール・マルクス『資本論』などにはじまり、
カール・ポランニー『大転換』、
マックス・ヴェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』、
エミール・デュルケム『自殺論』などが視野を広げ、
ハンナ・アーレント『全体主義の起源』、
レヴィ=ストロース『悲しき熱帯』、
ルイ・アルチュセール『マルクスのために』などを経て、
ローレンス・レッシグ『コード』、
柄谷行人『トランスクリティーク』や
ディヴィッド・グレーバー『負債論』にいたった。今日ではなぜか褒め称えるべき古典として教科書に載ってさえいる不適切著作群である」p.222-223
「他人への信頼は過去履歴データと招き猫アルゴリズムが計算し担保してくれる。測れない経済は、したがって、贈与や親切の技術的な改変と拡大である」p.229
「資本主義を高次元化し無次元化することで資本(主義)を蒸発させること。それが測れない経済のビジョン、というより予測」p.230
「価値の高低よりスタイルの差異が競われることになる」p.232-234
「ただそれぞれの人がそこにあるがままになるための仕組みが測れない経済」p.233
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所感
前作は民主主義でもなく、今作は資本主義でもなく、抜本的に全く新しい○○主義たる話。
何か価値を測る世界に生きているからこそ、その価値尺度のない世界のことを語られてもピンとこない。
人の唯一性を乗せる「アートークン」なる夢のような個人のやりとり履歴情報を公平性を担保した「招き猫アルゴリズム」において運用していくという。
ただ、どんな関係においても差は存在する。それぞれの価値の違いを感じながら日々生きている。本であれば、この著者の本は面白く読む価値がある。このお店のご飯は美味しいので高くてもその価値がある。好きなブランドには品質もストーリーも他よりも価値を感じる。測らないという感覚がわからない。
お金の存在しない測らない経済でもそういった基本的な価値は存在するのかもしれない。ただ、測らないこと自体が生活を一変させてしまうことには変わりない。習慣も、考えや価値観も、感性も、何もかも。
私はものの価値を露骨に測ったり、比べたりするのは得意じゃないしはっきり言って嫌いだけれど、それを人間の習慣として全くしない生活となると想像がつかないし、新しすぎて逆に歪な世界に感じてしまう。
これはきっと現状維持バイアスがかかっているのだろう。この本の内容をゆっくりと噛み砕き、深く考えて来るべき未来にこのような変動があった時に備える必要がある。もしかしたら、、ゆっくりと考えている暇はないくらいに、この未来の到来は近いのかもしれないと思うと、多少の焦りを感じてしまう。
