ちょこ "子どもという哲学者" 2026年6月7日

ちょこ
ちょこ
@chocorate
2026年6月7日
子どもという哲学者
子どもという哲学者
ピエーロ・フェルッチ,
Piero Ferrucci,
泉典子
ずいぶん前から図書館で借りては延長、返却しては再度借りてを繰り返してやっと読了! ながーーい時間かけてじっくり読んだ! 内容めっちゃよくて、ただ翻訳ものだから?なんなのか読み進めるの時間かかったけど、子育てにおいての視点や解釈、よい!!手元におきておきたい本!! 目次だけでもうんうんうん!! 子どもって哲学者、ほんとに〜!! 人間界というルールでがんじがらめの世界ににひきこんでしまい、すまぬな...!! しかしそちらの無邪気な世界にも連れて行ってもらおう。 おすすめ! ⭐️ ○子育ては自分に出会う旅 ・子どもたちと暮らしていると、ぼくら大人の中身が変わって豊かになるのだ。 ・子どもとの生活は、喜ばしいことかどうかは別にして、さまざまな発見の泉なのだ。 ・親の旅は心の旅で、人生の深い意味を説き明かす、さまざまな体験をたずねる旅なのだ。 ○いま、この瞬間を生きる ・彼らにとって大人というのは、図体はでかいが心ここにあらずの巨人で、たまにその気になったとしても、パンの切れ端くらいしか恵んでくれないやつなのだ。 ・頭のなかがこんがらがっているというだけで、人生がつぶれてたまるものか。 ○自分に正直になる ・親子は、長年いっしょに暮らすうちに、うそのやまをつくってしまい、あげくに気持ちが通じあわなくなるのではないか。 ・大人の世界ってのはうそ製造所で、何でもひっくりかえすことができるわけだ。 ・100%正直で率直だったら、どんなに居心地がいいだろう! ○期待するのをやめて力を抜こう ・たとえば何か野心をもっても、それがほんとにぼくの野心なのか、それともある人の欲求を満たすために動いているだけなのか、よくわからないのだ。 ・期待するのをやめてみると、気分が解放されて軽くなり、子どもたちの気持ちも分かり、毎日が楽しくなった。誰かから期待される重みを感じない人など、おそらくひとりもいないと思う。暗に明示される「こうあってほしい」という要求は、人と人との関係をじわじわと侵食する。 ・他人の期待の重さを知る子は、自分の本能的欲求や、興味や価値や考えは、どけたり隠したりしなければならない。いいことだとも正しいことだとも思えないからだ。気に入られたいと思い、期待にこたえようと懸命になる。自分の判断力は信じられず、自分がだれかもわからない。 ・ぼくはエミリオとモノレール遊びをしている。他人が変な目で見たってかまわない。ぼくも鍛えられてきた。彼が好きなように遊べばそれでいいのだ。こうしろとは言わない。やりたいようにさせておく。それは気持ちがいい。 ・友達も音楽も本もスポーツも、芝居のような文化的なことも、何もかもが恐るべき怪物に変わってしまい、子どもが親の善意に追いかけられて、終生逃げ回ることもある。 監視人、になると自分がつらくなる! ○子どもに何を受けつがせるか ・ぼくら大人は子どもたちに、行動の仕方や習慣や、偏見や癖やコンプレックスまで受けつがせている。 ・伝達はふつう説明抜きだ。明らかな同意のもとにではなく、染み込むように伝わる。ある行動、ある癖、神経性のチックなどが、小包を手渡すようにではなく、伝染病を移すようにして伝えられる。 ○子どもは親の内面を生きる ・ぼくらはふだん、いちばん知られたくない感情は奥にしまったまま外には出さない。なのに子どもはそんなぼくらをあざ笑うように、ぼくらの気持ちを白日のもとにさらしてしまう。 ・つまり、外界で起こっていることは、一部には、ぼくの内面がどうなっているかのあらわれなのだ。 ○夫婦関係がまずければ、親子関係もまずくなる ・畑が雑草だらけだったり害虫に荒らされたりしていれば、どうなる?子どもは全身で親の関係を感じとり、自分のなかでそれを生きる。 ・相手を受け入れること。周囲を自分の考えにしたがって変えようとしてはいけないとか、相手がこっちの思うように行動したくれればいいと本気で考えるのはエネルギーの消費であり大きな失望を生むだけだ。 ・ある人が好きだったら、けっしてその人を軽んじるべきではない。
・頭の中を意識的にコントロールし、心の幅をひろげ、ものごとを深刻に考えすぎないこと。

○パパ、たましいってなに? ・エミリオやジョナサンといっしょにいると、哲学者で科学者で芸術家であるふたりと暮らしているみたいだ。

○世界は不安材料だらけでも ・要するにぼくの子どもたちは、ほとんどぼくの手のとどかない世界に生まれてきたのだ。人生とは、もともと不完全で不公平ではかないものなのだという真理。理想的で完璧なモデルを追うのではなく、最善を尽くせばいいわけだ。 ・ぼくの子どもたちはぼくのものではなくて、彼ら自身のものなのだ。 ・ぼくらは悪が存在する世界に生きている、という事実を受け入れるのだ。ぼくにできる範囲でものごとを処理していけばいい。

○忍耐力は豊かな世界へのパスポート ・滑り台でぬかされる、こどもたちの喧嘩に戸惑う。 これって人生そのものじゃないか、混乱して騒々しくてきまった方向もなくて。邪魔されないで仕事をするなんて贅沢なのだ。ぼくらはこういう現実を生きているのだから、忍耐力を身につけなければならないのだ。 ・ぼくらはユックリズムを評価しないわけにはいかなくなったのだ。急がなければ、早く結論を出さなければ、というあせりをときには忘れて、ジョナサンとエミリオのリズムに合わせていくうちに、ぼくはいま、忍耐力養成学校にいるのだと気がついた。 ○無邪気さを子どもに学ぶ ・ぼくら大人は、一年の365日がすべて同じに見えるほど毎日きまりきったことを繰り返しているが、子どもにとっての1日は知的冒険の連続だ ・ぼくら大人にとってはなんの変哲もない1日が、子どもにとっては一大叙事詩であるわけだ ・見たこともないものが続々とあらわれて、何なのか考える根拠もなく、名前も知らず、記憶もなく、まったくはじめて対面する。それが子どもの生きている現実だ。 ・ぼくも子どものころは無邪気だった。けれどもそれから、世の人並みに無邪気さを失い、妥協や計算や習慣やステレオタイプといったものからなる人間界に移住した。 ・ぼくら大人は、「もう見た、もう聞いた、もうやった」の世界に住んでいる。 ○生命のリズムにまかせる ・人生をぼくらの欲求に合うように懸命に操作するか、あるいは出会った状況に自分を合わせ、力まないで乗っていくか。 ・子どもには、むだな時間などというのがそもそも理解できないのだ。どんな時間も、現在で、何もかもがおもしろい。世界中が遊園地なのだ。 ○筋を通す ○愛にはじまり、愛に終わる
読書のSNS&記録アプリ
hero-image
詳しく見る
©fuzkue 2025, All rights reserved