Ryu "文学ノート*大江健三郎" 2026年3月15日

Ryu
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@dododokado
2026年3月15日
文学ノート*大江健三郎
第一部を読み返した。 「ミンドロ島で敗走中にスタンダールを考えたという具体的な例が、これも六十代になってからの回想に、奇妙なこだわりとともに紹介されている。「自分の生命が相手の手にある以上、その相手を殺す権利がある」というモスカ伯爵(『パルムの僧院』の主要人物で、バルザックがメッテルニヒになぞらえた老獪な宮廷政治家)のマキシムを思い返し、そのように行動するつもりだったが、最後の段階になると、「撃つまい」と思っちゃうわけですねえ)と、大岡は感じ入ったように語るのである。なぜ撃たなかったのか?自分でもよくわからないその時の経緯と心理をあれこれ説明するところは、『俘虜記』の巻頭の章「捉まるまで」の山場であり、一瞬の出来事に十三ページが費やされる。 マラリアと喉の渇きのため憔悴しきって草原にひとり横たわる「私」は、米兵が現われた場合、それを撃つまいと思う。そして実際に頬の赤い美青年を撃たずにやり過ごした、と一ページ足らずで報告したあと、「私」は「殺さない」という決意について論理的な背景を分析し、さらに《精神分析学者の所謂「原情景」を組立てて》みる。まるでフィルムを巻き戻してスローモーションで再生するかのように、次つぎに想起される「映像」の短い断片を一つずつ凝視して、自分の行為を導いたはずの「心理」の痕跡を見出そうとするのである。明晰な思考の連鎖から「映像」にかかわる部分を少しだけ追ってみる。[……] 記憶の「映像」の分析と精徴な心理分析を丹念に読みなおせば、植谷雄高のいう垂直の精神の貴重な明晰とは、こういうことかと納得されるはず。」27-8 「たとえば『パルムの僧院』の第一巻第三章に始まるファブリスのワーテルロー従軍記は、文学史に名高い。トルストイ『戦争と平和』の戦争の場面の処方箋になったともいわれるが、大岡によれば、《スタンダールの真実》に到達することはできなかった。《「戦場とは混乱である」という偏見》に支配された《観念的箱庭造り》という、トルストイ批判は手厳しい。《ワーテルローの一日は専らファプリスの無垢と勇気に対する抵抗として逐次その脈絡のない様相を現わして来るに対し、トルストイのアウステルリッツ、ボロジノはアンドレイ、ピエールの如き知的な人物の観察を通して描かれたからである》というのが、その理由(傍点は引用者)。なるほど『野火』においても『俘虜記』においても、スタンダールの《人物と共に歩む」創作方法》が大岡の処方箋になっている。高みから──いわゆる「神の視点」から、まるでドローンの捉えた地上のパノラマのように──戦場の全体を俯瞰する視線がないのである。」31-2 「ぼくは戦後文学に対するアンチテーゼとして出ていったはず、という言葉に秘められた強靱な自意識と批判精神に、わたしはあらためて思いを馳せる。大岡昇平にとって従軍と俘虜の生活と敗戦という三つのステップは、「戦争」がもたらす言語環境の激変を、避けがたいものとして、そのつど発見し実感することであり、さらにまた、得体の知れぬ国家権力の発露として流通しつづける言葉のすさんだ相貌に、絶えず向き合うことでもあったろう。それは晩年の大江健三郎が語る《子供時代に発見した言葉の世界》にも匹敵する何か、大岡昇平の文学の根幹に刻まれた傷痕のようなものではないか……」96 「さて、ここで極めつきの難問を──作家・大江健三郎にとって政治的なものとは何か?憲法、広島・長崎、沖縄、原発、核兵器……これほど誠実に市民運動にかかわり、関連の専門的な本を貪欲に読み、具体的な活動の援護のために、良心的な市民として、小説以外の文章を労をいとわず書きつづけた小説家はいない。政治的な評論と文学の創作を二足のわらじのように器用に書きわけていた、というのとは全く別の話である。 奇妙なことに、著者自身は上述のとおり政治的なものをめぐる専門領域の論争にまで精通し、しかも現場の実体験をもつにもかかわらず、小説のなかで、たとえば反安保の闘争などが、政治運動といて前景化され活写されることはない。『万延元年のフットボール』の鷹四は、悔した学生運動家というあいまいな肩書で登場する……なぜなのか?サルトルの『自由への道』では登場人物たちが、負の症例を含めて直裁に政治的なものを代弁しているのではないか? さらに比較するなら大岡昇平は、バルザックとスタンダールの時代には《政治と文学は一つもの》であったと断言し、みずからも「スタンダリヤン」にふさわしく、政治的なものが激しく露出する現場として戦争を描き切ることをめざしたのだった。その大岡を大江は敬愛しているが、にもかかわらず《政治と文学は一つもの》という断言を、そのまま自分の念とすることはないだろう。フローベール以降、モダニズムの時代において、すでに《政治と文学は一つもの》ではなかった。あるいはむしろ「政治」と「文学」のあいだに生じた亀裂や齟齬こそが「文学」の引き受ける問題となるのであり、じつは大岡昇平も大江健三郎も、そのことを早くから正確に見抜いていたと思われる(この「文学ノート」の第I部では、この難問に別の角度から立ち返るつもり)。」102 「これら二つの章について大江は、課題の大きさも重さもぬきんでており、独立いた中篇として読みとりうる完成度をそなえている、とも述べる(「解説」632~633)。おそらく大江は、これら二章に読みとりの意識を集中することで『レイテ戦記』の精髄を捉え、読み方のコツを「解説者」として伝授することもできると考えているのだろう。原稿の予定枚数も尽きているということか、結論へと導く道筋は、あざやかで速やかである。わたし自身の言葉で要点を反芻──参謀が好んで使う「かなりの抵抗」とか「相当数の離散兵」といった無難な表現に隠された苛酷な現実が、戦場に送られた将兵によっていかに体験され、言語化されているかは、「八 抵抗」の章で具体例を見た通り。指導部の証言と現場の証言との矛盾や隔絶を浮き彫りにするという手法も、すでに読む者にとって馴染みのはず。大岡の切実な共感がつねに《七五ミリ野砲の砲声と三八銃の響き》に包まれた大地にあったこと、さらにまた、組織的戦闘が終わった後の六ヵ月に及ぶ敗兵たちの飢餓の日々に向けられていたことは、あらためて強調するまでもない。 大岡昇平は先述のように、政治的好奇心から自殺を思いとどまったと称するスタンダールに学び、《第二次世界大戦を見るために(或いは見ないために)我々は果して自殺を思い止るかどうか》という挑発的な一文を初めての著訳書『スタンダール論』に掲げて戦地に赴いた人間である。九死に一生を得て帰還した作家が『俘虜記』『野火』『ミンドロ島ふたたび』とは桁違いの巨篇『レイテ戦記』を書きながら最終的な着地点と見定めていたのは、やはり政治的なもの、軍隊という制度、さらには日本という近代国家との対決ということではなかったか?」182-3
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