
勝村巌
@katsumura
2026年3月15日
キリスト教入門の系譜
岡本亮輔
読み終わった
突然ですが、早稲田に住んでます。自転車でちょっと行くと、東京カテドラル聖マリア大聖堂、カトリック関口教会というものがあります。
教会は世界の丹下健三が設計建築したもので、Googleマップなんかでチェックすると真上から見たときに十字架になるように設計されていて、大変にモダニズム的な名建築となっております。
外から見るとガンダーに似てると前から思ってました。ここはパイプオルガンも有名で、毎月第二金曜日にはオルガンメディテーションとして、信者でなくても無料でパイプオルガンの演奏が聴けるため、気がついた時は行って聴いてみてます。
カトリック的な瞑想の時間の体験としては大変に豊かなものです。しかし、僕としては信仰というものを持とうという気持ちはないため、教会というものはなかなか縁遠いものです。
カトリックとプロテスタントの違いもそこまで明確でないですしね。
さて、そんな私のような人間に、近代以降のキリスト教が日本でどのように受け入れられたり、受け入れられなかったりしてきたかを、キリスト教の入門書を書いた人々を紹介しながら考察していくという内容。
無教会主義を展開した内村鑑三をはじめ、大正期に信仰に悩む青年像を描いた江原小弥太、賀川豊彦、占領期のマッカーサーのキリスト教の重用と皇室の英語教師派遣、カトリック知識人としての岩下壮一、戸塚文卿、文学者としてキリスト教に取り組んだ遠藤周作、三浦綾子、曽谷綾子などなど。
プロテスタント、カトリック、それぞれの立場から真剣に信仰とぶつかった人たちの人生が紹介されている。
信仰というのは、心の中に何かしらのわだかまりや悩みなどがあり、そこへの回答や救いを求めて、そこにある種の解を求めてぶつかっていくものだと思うが、これを読むと、キリスト教それ自体が、多くの人にとって中心的な問題となっていっているようで面白い。
マリアの処女懐胎とか、キリストの復活とか、そういう聖書に書いてあることを、言葉通りに捉えるのか、それともある種のメタファーとして捉えるのか、そういうことにみな悩んでおり、自ら受難しているようにも見えるし、それぞれ、聖書をどう読むか、戒律や教会をどう捉えるかについて、悩み、自分なりの答えを見つけ、実現に向けて動いているところが激烈で面白い。
信仰というのは何かの諦念や他力本願なものではなく、もっと突き動かされる何かに向かってぶつかっていくような炎の魂のような気持ちがあるのだなと思った。
そういうエピソードが大変に多く面白く読んだ。また、本筋とは関係ないが、小見出しのつけかたがいちいち攻殻機動隊の中のセリフだったり、アニメの有名な格言だったりして、著者が楽しんで書いてるようなところが感じ取れてよかった。
また、そういった熾烈な住居に燃えた伝道者や入門書が書かれてはいるが、実際には日本のキリスト教人口はだいぶ少ないのだという。
一神教的な概念や、キリスト教的な神の絶対感や、一様な人間世界への無関心な感じ、というのは日本人には共感しにくい、という点を論考していたが、そこは確かにその通りと思った。キリスト教の殉教的な部分はなかなか日本人に共感できないのではないだろうか。
本書では言及はないが、日本では大変に人気のあるゴッホ。彼はオランダ改革派というプロテスタントの家庭に育ち自身も牧師を目指していた過去がある。
ゴッホがアルルに作った黄色い家はある種の教会であり、悲劇的な死などもキリスト教的なものがある気がする。あまり、そこについて触れたものを見たことはないんですが。
後半は現代の宗教との関係性として、実際の信仰ではなく、教養としてキリスト教を捉えることのトレンドだったり、オンライン教会などの普及で教会を介さない信仰の場というものの可能性などが述べられている。
宗教家の激烈な部分や一途な部分と聖書の抱える矛盾との向き合い方、そして現代の信仰がどのような形であり得るのかについて、多彩な視点を与えてくれる一冊でした。


