
Holly
@okashi_daisuki
2026年3月20日
差別はたいてい悪意のない人がする
キム・ジヘ,
尹怡景
買った
読み始めた
第一章まで読み進めた。
・著者が面白いと思って使っていた「決定障害」という言葉の差別性に、1人の質問によって気付かされた経験がベース
・差別をしている人は、多くは差別をするつもりでしておるわけではなく「平等で公正な社会」を望んでいる。
・マジョリティは「マイノリティはもはや差別をされていない」「あったとしても不合理な差別ではない」という。自分が差別などする人ではないことを望む、これは切実な願望かもしれない。
・平凡な人の持つ特権は「自分の意図や努力とは無関係な、日常的で自然で、当然かつ正常な条件」なので見抜くのが難しい。特権に気付くきっかけはそれが失われそうになったとき。
・「不平等」も「特権」も相対的な概念。他の集団に比べて自然で気楽で、有利な秩序があるからといって、絶対的に楽な人生ではない。「私は苦しいけど、あなたは楽だよね」ではなく構造的な不平等に目を向け「あなたと私を苦しめる、この不平等について話し合おう」とするべき。
・傾いた地面に立って両手で棒を持つと、その棒もまた傾斜にそって傾く。自分の立ち位置を客観的に見ない限り、それが「傾いた公正性」とは認識できない。私たちはまだ、差別の存在を否定するのではなく、もっと差別を発見しなければならない時代にいる。
どんな考え方が「善良な差別主義者」を生むのかについて書かれていた。たしかに「自分は差別してないよ」って言いながら差別する人ってこういうこと言うよなーと経験的にわかる。一方で、自分がマジョリティで無自覚な特権を持っている属性は当然あるはずで、ではマイノリティから不平等を指摘されたとき、冷静に耳を傾けられるか?と問われると、つい反射的に「それは差別ではない」と言ってしまいそうだなと思った。自分が傾いた地面に立っていないか?これは肝に銘じておきたい。


