kibita "太陽を創った少年:僕はガレー..." 2025年3月16日

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@kibita
2025年3月16日
太陽を創った少年:僕はガレージの物理学者
ギフテッドの子ども、テイラー少年とその周囲の大人たちの物語。

最初に抱いた感想は「よくもまあ、こんなに教育にエネルギーを注げるな」 という驚きだった。
子どもが興味を持ったことに対し、全力でサポートする親や協力者達。その熱量に半ば呆れながら読み進めた。

しかし、両親は単なる親バカではない。

テイラー少年の興味の対象は率直に言って制止したくなるものばかり。
ロケットの実験で爆発を起こしたり、放射性物質を集めたり……普通ならすぐに止めるようなことを、彼の両親は受け止め続けた。
そして、彼の成長とともに実験はますます複雑で大規模になっていく。

もちろん、テイラー少年は安全性についても十分に考え対策をしている(らしい)。
だが、その水準は凡人の理解をはるかに超えている。

親は彼を止めるべきか、応援すべきか、判断がつかない。
その葛藤が随所に語られ、「天才の親も大変だな……」 と同情してしまう。

もし自分の子どもだったら?
間違いなく止めるだろう。 特別な才能を持つ子どもたちに対し抑圧的に振る舞う大人は、物語では悪役として描かれがちだ。
しかし、テイラー少年のエピソードを読むとそう単純には割り切れない。

実際、彼の実験はあまりにも危険だし、周囲に与える影響も計り知れない。
それを「理解できないから」と抑え込むのは、必ずしも悪意からではなく本能的な防衛反応だろう。

だが、この本に登場する大人たちは皆驚くほど協力的だった。
自分が彼の周囲にいたらこんなに寛容でいられるだろうか?

ちょっとした違和感を覚えるほど、彼を支える大人たちは一貫して肯定的だった。
自分の感覚がおかしいのか? それとも、こうした環境こそが、天才を伸ばす鍵なのか? もうひとつ印象的だったのは、平等という考え方の持つ負の側面についての指摘だ。

アスリートとは違い、知能面での天才は公的な英才教育を受けにくいらしい。
教育格差を生むことへの抵抗から、「落ちこぼれを出さない」方向にエネルギーが注がれるからだ。

この感覚は、アメリカも日本もそう大きくは変わらないのかもしれない。

一部の天才を優遇するのではなく、すべての子どもに均等な教育を。
この考え方も決して間違っているとは言い切れない。

だが、天才たちにとって通常の教育は、どれほど退屈なものなのか。
もし自分が、小学生向けの授業を一日中受けなければならないとしたら?
自分の能力とかけ離れた低レベルの学習を強いられる。
それを想像すると彼らが受ける「平等」はもはや不公平とも言えるのではないか。
そう思わずにはいられない。
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