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@nininice
2026年3月27日
プロジェクト・ヘイル・メアリー 上
アンディ・ウィアー,
小野田和子
読んでる
読み終わった
映画版を見て一週間、頭の中がこの物語のことばかりになってしまった。本屋に並ぶ文庫を前に、我慢できずに購入しました。しかし、映画版を先に見たので、あの理想的な主人公たちについて、これ以上の補足は必要なのか、知らないことは知らないままの方が良いのではないか、映画の余白はそのままにしておいた方が良いのではないか、言葉にされると幻滅しないか、と迷いつつ、一度開いたら面白くて読む手がとまりません。
これは、映画を見た後にも考えたこと。
人類が存続することが、それほど重要なことなのか?生命を実験と称して殺すことに躊躇いがない。人間同士も殺し合う。勿論食事も。必要エネルギーとはいえ。彼らは人類の危機に際し、ここぞとばかりに壮大な科学の遊びをしているようにも感じる。下等な霊長類?人間がそれより上等と考えられる傲慢さ。
以下ネタバレにご注意下さい⚠️
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この作品の最も素晴らしく稀有なところは、と考えるならわたしは、こちら側とあちら側を一対一の関係にしたところだと思う。もしグレイスに仲間がいたら、ロッキーとの邂逅は別のものとなっていただろう。男たちは、数十日間狭い空間に閉じ込められると殴り合いのけんかをし、刺し殺そうとするような生き物だと、既に作中で説明がある。一対一で、誰にも邪魔されることなく、同等の知的好奇心のある地球外生命体と交流できるところに、胸が苦しくなるくらい甘美な夢が詰まっている。
でも本当は、この現在の地球上の、身近にも生命はたくさん存在し、鳥や虫や魚や植物を理解したいと目を向ければ、向こうもこちらを見ているかもしれないし、もっと言えばロッキーが人間であっても良いはずなのに。きっともし宇宙の果てまで探したとしてもわたしにはロッキーとグレイスのような関係を築ける相手は見つからない。
SF作品を読んでいると、未来に人類が宇宙へ進出していることに悲しくなることが多い。きっと人間はどの地でも己の欲望を抑えきれずに環境破壊の限りを尽くすと思うから。『プロジェクトヘイルメアリー』の映画は、そのような「人類」の未来を描かずに、グレイスが大義や責任や故郷や自己犠牲や人類や他のたくさんの恒星や惑星の未来よりも、たった一人でゆく道を選ぶ、その個人の選択を輝かしいものとして描いているところが大好きだ。原作はどうだろう。はやく読み進めたい気持ちと、知りたくない気持ちと、勿体無い気持ちが混在している。
ストラットについて。
人類を救うことがそれほど大事なことなのだろうか?この物語の地球の科学者たちは、地球を救うことよりも、人類を救うことばかり考えているように感じる。彼女のその熱意はどこから来るものなのだろう?


