村崎
@mrskntk
2025年3月15日

読み終わった
橘の家/中西智佐乃
中西智佐乃さんの作品は「狭間の者たちへ」も好きなのですが、重い沼にずっと足を絡め取られているみたいな、地獄の一歩手前を歩いているようなそんな感じがします。
庭にある橘の木を大切にするという条件で安く買った土地に建てた家。どうして大切にしないといけないのかもよくわからない橘の木はなんだか曰く付きだけど、拝み屋が言うには子孫繁栄の象徴で人によってはご利益があるものとのこと、そのうちひょんなことから橘の木に子どもがほしい女たちが何人も拝みに来る。
この家の娘である恵実が拝んだ女たちのお腹を触ってやると不思議と妊娠するという話がひろまって、占い師の宮根さんが客を斡旋、橘の木で拝ませる、幼い恵実がお腹を触る…という生活が根付いていく。舞台は昭和後期〜平成初期から始まるので、女性たちは子どもがほしいという気持ちと子どもをつくらなくてはという義務感に駆られていて、今よりもっと閉塞的でその感じもずっとくるしい。
これはすごく個人的な事情なんですが、読んだタイミングで自分にとってすごく嫌で悔しいことが起こって、それは私が女性性であることも多分すこし関係していて、だから余計に子どもを産むしか役割がないような考えにとらわれる女たちの話を読むのがしんどかった。でもそういうタイミングだったからこそ、素直に自分が傷つくことができた気もする。もっと超元気で鈍感なときだったら(どちらがいい悪いじゃないけど)、もっと解放されようぜ!!子どもがいなくたっていいじゃん!!と意味のない正論を感じて終わってしまったかもしれない。
子どもをうむことって、なんかこんなこと思わずいきたいけど、どうして女性のほうが責任みたいなものが重くなってしまうんだろう。男性は産んでって言う、女性は生むって思う、身体の作りがそういうものになってしまっているんだけど、本当にほしいと思っているふたりのもとで、半分ずつうまれたらいいのになと、そんなの無理なんだけど、そういうふうに思った。
最初に地獄の一歩手前でと書いたけど、狭間の者たちへはそんな感じの印象だったんだけど、でも「橘の家」はもう地獄のなかにいた(狭間〜は主人公に同情することができなかったというのもあるかも)
読み進めるうちにどんどん胸が痛くなり、恵実が子どもをほしいと願う気持ちが痛切で、なんか今は子どもを生まない選択を力強くとっていく人もいて、その選択ももちろん尊いもので、でも子どもがほしいと願いながら相手がみつからないまま選択していない道をひとりで歩む人だってたくさんいて、でも残るものが何もないとは思わないでほしいと思った。
「持っている人間は、正論しか言わへんな」ここがとくに好きでした。
芥川賞候補くるのではないでしょうか!(きてほしいです!)