ゆき
@yu-ki
p18
そういえば、対局開始時の挨拶でも、少年は「よろしくお願いします」とは口にせず、お辞儀をしただけだった。将棋教室では、必ず教えて守らせる礼儀だ。
「よろしくお願いします」と「負けました」は、絶対にきちんと口にしなければならない。時に負けたときにそれを自ら認める言葉を口にするのは、悔しく屈辱的だからこそ、欠かしてはならない儀式なのだ。
ゆき
@yu-ki
p28
神なんていないのだ、と思った。もしいたとしても、そこには意思はない。生死を分けたのは冷酷な無作為で、あの日自分が助かったのは何らかの選択の結果ではなく、ただの運でしかなかった。
だから将棋だったのかもしれないですね、とカウンセラーから言われたことがある。
将棋には、運が割り込む余地がない。相手の駒がどこにあるのかも持ち駒が何なのかも見えていて、手を読むのに必要な情報はすべて与えられている。常に秩序があって、予想できないような酷いことは起こらないから安心できたのではないでしょうか、と。
〜俺自身は、この人は何を言っているんだろう、と思っていた。
将棋は秩序を壊すゲームだ。
収まるべきところに収まって安定した駒たちを、一手一手、混沌へ向けて動かさなければならない。
一ターンに動かせるのは一つのみ。それを攻めに出るために使うか、守りを固めるために使うのか、常に選択に迫られる。速度のバランスをわずかでも見誤れば、機を逃す。隙を咎められる。
ゆき
@yu-ki
p148
要にとっては新しく覚えなければならない法則ではなく、それまでに感じ取っていた差異に言葉が与えられたに過ぎなかった。
けれど、言葉は大事だった。言葉は、輪郭をつくる。たしかな糸が生まれる。


