
arctic
@arctic
2026年3月29日
読み始めた
神学的には「ロゴス」単体だと「理性」みたいな感じの意味らしいけど、「内なるロゴス」と「発せられたロゴス」はそれぞれ、「胸に秘めてる意思」「口に出した言葉」くらいの意味で読み替えた方が良さそう。
『ユスティノスが神とキリストとの同一性を弁証し、ユダヤ教徒からの二神論( ditheism)との非難を論駁するために採った論法は、以下のようなものだった。
〔神が始源として生んだ理性的な力が〕様々な名で呼ばれるのは、それが父の意図と父の意志に仕えることから生じたからである。しかし、それと同様のことが自分たちに生じていることを我々は見ていないだろうか。
というのは、我々もまた言葉を発する時、言葉を生むことになるが、それは、言葉が外へと発せられることによって我々の内にある言葉が減少し、その一部がなくなるということを言っているわけではないからである。
新たな火が別の火から生じるのを我々は見るが、その場合も同様である。新たな灯火が別の灯火から燃え移って生じても、元の灯火が減少する〔火が小さくなる〕わけではなく、火種となった灯火はあくまで同じ状態にとどまっている。』
それまでの、泉とそこから流れ出る水の喩えで理解されてた父と子の関係を、灯火の喩えでガラッと刷新するのかっけえ〜
内なるロゴス(つまり意思)は神とともに常にあるけど、発されたロゴス(つまり言葉)は沈黙のあいだには存在しないよね?それって、発されたロゴスは内なるロゴスから生成されるってことにならんか?
てことは、発されたロゴスであるところのイエスは、内なるロゴスに従属してるってことになっちゃうから、この話ここまでにしといたほうがよくね?
みたいな感じでロゴス2つを対比する論説は下火になっていったらしいんだけど、時代的に考えて、もう完全にキリスト教が帝国内で覇権取ったから、教会関係者に対する社会的な要請も変化していったってことなのかな
精霊の話はやく読みたい。
