sayatakenoko "その昔、N市では" 2026年4月1日

その昔、N市では
その昔、N市では
マリー・ルイーゼ・カシュニッツ,
酒寄進一
店頭でパラパラと捲ってみて、巻頭の『白熊』が好みだったので購入。読み終わるのが勿体ないと思いつつ、世界観にひたりながら読んだ。たまらなく好きだ。今週末、マーシャ・シリンスキの『落下音』を観に行くのも、何だかちょうどいいし、図らずも収録作『四月』は、エイプリルフールの話だった。 いちばん好きなのは『船の話』。主人公は船旅をする妹を、乗る予定ではなかった船に乗せてしまう。行き先は同じマルセイユのはずだと言い聞かせ、安心を得ようとするが、船会社に問い合わせても船名は突き止められず、その汽船が南米とヨーロッパを往復する定期船ではないことだけがわかる。船名がわからないので電報を打つこともできない。主人公は毎日屋上テラスから大西洋を眺める。あの船が故障して港に引き返してくるといいのにと願いながら。 そんなある日妹からの手紙が届く。主人公は家族の前でその長い手紙を読む。 最初のうち明るい内容だった手紙はどんどん様子がおかしくなっていく。船長がいない。船員の数が少ない。お客は皆どんな質問にもまともに返答ができない。時計はすべて遅れているか進んでいる。船内新聞の内容もでたらめだ。コンシェルジュに行き先を尋ねても答えない。船員に預けた郵便物が、夜中に海に捨てられている。 彼女は誰にも話しかけられない。貰える食べ物も日に日に少なくなる。彼女はコンシェルジュに「到着はいつなのか」と訊く。その答えは、「到着って、どこに?」。 誰も彼女の話を聞いてくれない。乗客は皆デッキチェアでうたた寝している。彼女もけだるくなり、同じようにじっとデッキチェアに横たわる。誰とも話さなくなってもう二日になる。ちからを振り絞って無気力を払拭し、自分のキャビンに戻ると荷物がいっさい無くなっている。彼女は「みんなわたしたちが見えない」ことに気づく。すぐ近くを通った他の船に、助けを求めて手を振ったり叫んだりしたがこちらに注意を向けるひとは誰もいなかった。彼女は救助は有り得ないのだと知る。 彼女は「これでいいんです」と書く。「たぶんこうなることを望んでいたのです」と。 手紙を読み終わった主人公は家族と共に十字を切る。
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