
はぴ
@happy-reads
2026年4月4日
言葉を生きる
池田晶子
読み終わった
@ 武雄市
「考えるヒント」的な実用本、哲学レクチャー本、ライトな入門ブックかと思ったら、全然違った…さすが、池田晶子せんせです。表示タイトル裏表紙の要約、無視していいです。(このデザインと色は好きだけど🩵)
池田晶子せんせの著書でガッツリハマったのは『無敵のソクラテス』。あれはおもしろかった!!!
今回も巻末にソクラテスと悪妻クサンチッペのやりとりが収録されてて楽しかった🙌✨
池田晶子せんせの言葉がすごくすごく好きなのは、ただただマコトのコトバで語ってるからなんだろうな。
飾るとか飾らないとか、そういうんでなく、正直で、真っ直ぐで、クールで熱い。一切合切、読者にも世間にも媚びない。かといってわざと過激なトゲを含ませて反応を求めてるなんてこともなく。
聞き手によってはザクザクトゲ味を感じるだろうけど🌵
今日の私の心に刺激的だったキーワード🎯
①倫理
「仮想と現実の区別がつかなくなっていることが、人々が倫理の基軸を失っているゆえんだとも言われるが、これは理由にはならない。そもそも、仮想と現実に区別はないからである。
ゲームで人を殺すのも、実際に人を殺すのも同じことだ。それを「悪い」と感じるその心とは何か、もしくは感じない心もあるのはなぜなのか、そういったことを問い続けていることこそが、倫理的であるというそのことであるのは変わらない。
われわれ!この宇宙は、いったい「何を」しているのだろうか」
「倫理は決して、「教育」できない。教育できないからこそ、人は、わけもわからず教育しようとするのだろう。しかし、教育されて身につくものは、「道徳」ではあっても、「倫理」ではない。道徳と倫理とは、決定的に別のものだ。」
「道徳と倫理との違いとは、単純明快、強制と自由との違いである。「してはいけないからしない」、これは道徳であり、「したくないからしない」、これが倫理である。「罰せられるからしない」、これは道徳であり、「嫌だからしない」、これが倫理である。ここには、天地の相違がある。「教育」が不可能だと、私が言うゆえんである。」
「命には軽重はないなんてのは嘘である。命には軽重があると、実は誰もが思っている。
が、それを自覚化したくないのである。その軽重には根拠がないことが、わかっているからである。」
②孤独といういのちの醍醐味
「読書というのは、まったく孤独な経験です。そうではないですか。複数の人間で読書をするということはあり得ない。たとえ複数で集まって読書しても、それを読み、味わい、理解するのは、たったひとりのこの自分でしかない。
けれども、このひとりで本を読むという時間の、なんと豊かで賑やかなこと、ひとりで、孤独であるからこそ、書物の中の人物や、それを著わした人物たちと、時空を超え自在に交流することができるのですから。これはまったく、孤独な精神にのみ与えられる一種の恩籠だと言うことができます。」
「「自分」というものの異るべき不思議さ、それを自分だと思い込んでいたものから、ひとつひとつ解放されてゆくことができるなら、自分とはそのまま宇宙大の孤独だったと、人は必ず気がつくでしょう。
そのとき開ける光景を味わうことこそ、そうですね、人としてこの世に存在したことの醍醐味だと言えるでしょうか。」
「人生の一回性、喜びも悲しみも、一回きりの経験である。そういう経験の総体としての人生というものそれ自体が、一回きりのものである。一回きりで過ぎてゆき、二度と戻らないものである。このことを人はわかっている。深いところで誰もが了解しているのである。
だからこそ人は、過ぎてゆかないものを求める。過ぎてゆくものにおける過ぎてゆかないもの、過ぎてゆくけれども巡るもの、を求めて、見出し、嬉しいのである。「今年も花が咲きましたね」と、言えることの幸せ。
ゆえに、季節とは、過ぎゆく人生の句読点のようなものだろう。一回性における永遠性、永遠の循環性を見出す時、人は、自分が自分の人生を生きていることの奇跡をも知るはずである。ああ私の人生はこのようでしかあり得なかった。何もかもこれでよいのだ。永遠的側然。偶然的現在。」
パパと子供たちがプレイランドに遊びに行ってるあいだ、駐車場の中で読了📖
雨☔に閉じ込められた車内で、アコースティックギターのBGM付き。なんて贅沢な時間。
この本の冒頭が「雨の景色」ではじまるという偶然。なんて贅沢な心象風景。
