
ジクロロ
@jirowcrew
2026年4月7日
バーナビー・ラッジ(上)
ディケンズ,
小池滋
読んでる
とある本を熟読しても、著者がその本を執筆した眼目を見出すことができないのは、その眼目が非常に深いかあるいは非常に浅いか、そのいずれかのためであろう。私の狙いがこの両極端の中間のいずこかにあることを願いつつ、ここではそのすべてを語ることよりも、ただ一点にのみ言及しよう。
(一八四一年版 序文)
著者の眼目、つまり「欲望」はどこにあるのか。
熱くもなく、冷たくもなく仕上げておく故、
とにかく、最後まで飲み干してほしいという
著者の願い。
「ただ一点」とは、「無料お試し」の意味合いに近いセールストーク。
"私たちが「他者」を経験するのは、ただ「欲望」を通じてのみであり、その「欲望」は私たちに「ゲームのルールを知っていると想定されている主体」のあとをひたすら「追う」ことを要求するのである。
「欲望」は主体に「解体せよ」という苛酷な要求をつきつける。"
(『他者と死者』内田樹 p.106)
著者は読者をゲームに誘っている。
「欲望」という呪いを解いて欲しいと願っている?
二つの序文の最後には、それを匂わせるような「謎」を置いている。
"「きっとお前たちも見ただろう
何かを探して、老人が
長いこと彷徨い続ける姿を
見出し得ぬものが
何かも分からないものを求めて」"
(『骨董屋』からの引用、一八四一年版序文)
"「裕福で何不自由なく暮らしていたが、
強制徴募隊が夫を奪い去るまでのこと
だった。それ以降、眠るベッドもなければ
子供に食べさせる物もなく、しかも
子供たちはほとんど裸だった。
もしかしたら悪いことをしたかもしれない。
けれど自分は、自分が何をしたか
きちんと分かっていなかった」と。"
(メアリー・ジョーンズ死刑囚の答弁、
一八四一年版序文)
自分一人ではわからないことを、他者に預ける。
これもまた立派な贈与であり、解けない毒(ギフト、呪い)でもあり、本の帯を見る限り、
エドガー・アラン・ポーもまた、そのやっかいな物を受け取ってしまった一人だったのだろうと思う。
『ヤンの未来』(ファン・ジョンウン)とおんなじ、
「あなたは何をしていたのか」問題。
「あなたは何をしていたのか」、これが贈与という問題に迫る鍵なのかもしれない。
