土田(つちだ) "「ふつう」の私たちが、誰かの..." 2026年4月8日

「ふつう」の私たちが、誰かの人権を奪うとき
「悔しい思いをしなくてすむようにするためには人権に関する知識や情報も必要だが、他人の声に耳を傾ける心が重要ではないだろうか。」(はじめに) 「調査官、調査官の手がずっと温かいことを願っています。私に手を差しのべてくれたときのように」(プノンペンへの道) 「何しろ人権とは法と制度以前に心によるものだから、(中略)私たちが信じて頼っている法律と制度は、私たちが期待するよりもずっと無力な場合が多い。すでに数千の法律があり、これから数千もの法律が作られたとしても、法の無力さを完全にカバーすることは簡単ではなさそうだ。」(お墓の隣にテントを張って) ------ 日本語の「悔しさ」と韓国語の「悔しさ」。他人に自分の大切な何かを軽んじられたときの怒りや悲しみ、やるせなさ。そんな静かな激しさの滲む「悔しさ」。言葉にすると、翻訳すると、やすりにかけられたように整えられてしまう内側の炎。そこに灯る炎の存在に、意識を向けられる人でありたい。
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