
綾鷹
@ayataka
2026年4月8日

存在しない小説 (講談社文庫)
いとうせいこう
アメリカ、ペルー、マレーシア、日本、香港、クロアチア……。世界のさまざまな場所から『存在しない小説』というウェブサイトに届いた小説は、それぞれ見知らぬ土地の風土が匂い立つような文体で、そこに生きる人々のドラマを鮮やかに描き出していく。「存在しない作家」たちによる、魅力あふれる世界文学。
存在しない著者、訳者による、存在しない小説を集めたという不思議な設定が面白かった。
それぞれの小説は「こんな小説もありそうだな〜」と思うような内容。
・誰によってであれ”引きずり出”され、文字にあらわされ、印刷され、実際に読まれたのであれば、『存在しない小説』など存在しないのではないか、と私は考え始めたのだ。それは前回も今回も存在する。文字にあらわされ、印刷され、実際に読まれたのであれば、いやがおうでも存在してしまう。問題はそこに尽きる。言葉の持ち主がいようがいまいが、読者には関係がない。…・・・・などと考えを進めるうち、仮蜜柑氏が、そして今回の『リマから八時間』に登場する
「小男」が共に翻訳家を名乗ることには重大な意味がある、と私は思うに至った。
『存在しない小説』は“元のテクストをあらかじめ失ったまま、仮にひとつの翻訳のバリエーションとしてだけ宇宙に存在する”のではないか、と。
ならば、『存在しない小説』は存在する。
そのテクストの翻訳だけが引きずり出”され、文字にあらわされ、印刷され、実際に読まれる。
次回、私はそれを実証する。
・これまでの小説の歴史の中で、『存在しない小説』は無数に生まれ、時には作者にしか読まれないままえていった。私は今、そう考えている。
フランツ・カフカの小説が我々の世界に存在する然を、よくよく噛みしめてみればいい。
その小説群は、友人マックス・ブロートに渡される際、自分の死後いくつかの作品を除いてすべて焼却するようにと厳命されていたのだった。
もしもカフカの言う通りにしていたら、我々は現在のようなテクスト空間には存在していない。つまり、ほぼカフカのいない世界に生きていることになる。二十世紀初頭、かの作品群は「存在しない小説』の系譜に連なりかけたのだ。
こうした未発表の小説ばかりではない。小説内小説もまた『存在しない小説』だろう、と私は定義の範囲を広げている。
古今東西、意外なほど多くの作品の中に、ありもしない小説の題名やあらすじが入り込んでいる。アンドレ・ジットの『贋金つくり』にいたっては『存在する小説』と、同じ名前の『存在しない小説』が拮抗しており、ジットが何に気づいていたか、何を暗にあらわそうとしていたかを示している。彼こそ小説の真の歴史を知っていた作家の一人であろう。
・日本の作家・横光利一はかつて「第四人称」の存在を示唆した。私は長い年月、そんなものが現実にあり得るとしたら自分が発見したい、とあれこれ仮説を立てては挫折し続けてきた。
そのうち、「四」という数字だけが一人歩きして、ひとつの読書論めいたものが浮かび上がった。二年ほど前のことだ。
多くの人が考える読書は今「作者」→「小説内の語り手」↔︎「読者」という三つの次元で成り立っている。だが、それは作者優位の不均衡なとらえ方であって、正しくは<「作者」→
「小説内の語り手」↔︎「小説内に入り込む読み手」←「読者」>と次元をひとつ増やすべきではないか、と私は誰に頼まれるでもなく考えたのだった。
読者は常に全人格を没入させて読書するわけではない。むしろ「読み手」をスパイのように虚構の中へ派遣しているだけだ。その「読み手」と「小説内の語り手」が共謀して、物部は初めて前へ進む。あるいは後退する。
横光とはすっかり何の関係もなくなってしまったこの読者重視の読書論こそが今回、世界中の悪評から自分を救い、『存在しない小説』を定義づけるのに役立つ、と私はある冷たい雨の落ちる午後、はっと思いついたのであった。
『存在しない小説』とは、読者に読まれることでそのつど生まれ、しかし印刷されて残ることのない小説ではないか。
つまり、『存在しない作家』とは読者のことだ、と。
時に読者は『存在しない翻訳家』となって、ページの上にあるのとは別な言語を思い浮かべ、作品は脳内で訳されて散乱する。同じ言語の中でもそれは起こる。
仮蜜柑三吉氏は、その結果をたまたま刻字した一人の読者に過ぎない。彼は存在しないのではなく、遍在する名もなき者の中に隠れていたのだ。
あらゆる作家は最初の読者として『存在しない小説』を絶えず排除する。排除しながら『存在する小説』のみを書き残す。
だが、切り取られた『存在しない小説』は必ずテクストの下に潜む。
そして不意に読者の前にあらわれる。
語の下の語が。
『存在しない小説』として。
今もあなたがこの文を存在させている。私も仮蜜柑三吉氏も、その今がいつなのか、どこでなのか、それどころかあなたが誰なのか知ることが出来ない。
その意味では、我々にとってあなたこそ存在しない。
次が最終回になる。
あなたがあらわれるならば。
