
綾鷹
@ayataka
読んだ本の内容を忘れちゃうので、自分の記録用...
- 2026年5月25日
金閣寺三島由紀夫重度の吃音(きつおん)と容姿へのコンプレックスを抱える青年僧・溝口が、絶対的な美の象徴である「金閣寺」に憑りつかれ、ついにはそれに放火するに至るまでの物語。 1950年に実際に起きた金閣寺放火事件を題材にしている。 溝口は金閣寺という絶対的な美に囚われ、現実を拒絶してしまう。 溝口は行為によって実在する世界を変えたい。柏木は認識によって自分の世界を変えることができると言う。 この小説では金閣寺が美の象徴であり絶対的なものとして描かれているが、それに限らず自分を縛るものへの破壊と解放の物語と理解した。 ・右のような記述から、私を詩人肌の少年だと速断する人もいるだろう。しかし今日まで、時はおろか、手記のようなものさえ書いたことがない。人に劣っている能力を、他の能力で補加して、それで以て人に抜きん出ようなどという衝動が、私には矢けていたのである。別の言い方をすれば、私は、芸術家たるには驚すぎた。暴君や大芸術家たらんとする夢は夢のままで、実際に着手して、何かをやり遂げようという気持がまるでなかった。 人に理解されないということが唯一の矜りになっていたから、ものごとを理解させようとする、表現の衝動に見舞われなかった。人の目に見えるようなものは、自分には宿命的に与えられないのだと思った。孤独はどんどん肥った、まるで豚のように。 ・屍はただ見られている。私はただ見ている。見るということ、ふだん何の意識もなしにしているとおり、見るということが、こんなに生ける者の権利の証明でもあり、残酷さの表示でもありうるとは、私にとって鮮やかな体験だった。大声で歌いもせず、叫びながら駈けまわりもしない少年は、こんな風にして、自分の生を確かめてみることを学んだ。 ・私は言い了った。言い了ると同時に怒りにかられた。鶴川ははじめて会ってから今まで一度も私の吃りをからかおうとしないのだ。 「なんで」 私はそう詰問した。同情よりも、侮蔑のほうがずっと私の気に入ることは、再々述べたとおりである。 鶴川はえもいわれぬやさしい微笑をうかべた。そしてこう言った。 「だって僕、そんなことはちっとも気にならない性質なんだよ」私は愕いた。田舎の荒っぽい環境で育った私は、この種のやさしさを知らなかった。私という存在から吃りを差引いて、なお私でありうるという発見を、鶴川のやさしさが私に教えた。私はすっぱりと裸かにされた快さを隈なく味わった。鶴川の長いにふちどられた目は、私から吃りだけを渡し取って、私を受け容れていた。それまでの私はといえば、吃りであることを無視されることは、それがそのまま、私という存在を堪麗されることだ、と奇妙に信じ込んでいたのだから。 ・そうだ。時には鶴川は、あの鍋から黄金を作り出す錬金術師のようにも思われた。私は写真の陰画、彼はその陽画であった。ひとたび彼の心に澈過されると、私の混濁した暗い感情が、ひとつのこらず、透明な、光りを放つ感情に変るのを、私は何度おどろいて眺めたことであろう! 私が吃りながら躊躇らっているうちに、鶴川の手が、私の感情を裏返して外側へ伝えてしまう。 これらの愕きから私の学んだことは、ただ感情にとどまる限りでは、この世の最悪の感情も最善の感情と巡庭のないこと、その効果は同じであること、殺意も慈悲心も見かけに変りはないこと、などであった。たとえ言葉を尽して説明しても、鶴川にはこんなことは肩じられもしなかったろうが、私にとっては一つの怖ろしい発見だった。鶴川によって私が橋善をれなくなったとしても、偽善が私には相対的な罪にすぎなくなっていたからである。 京都では空襲に見舞われなかったが、一度工場から出張を命ぜられ、飛行機部品の発注書類を持って、大阪の親工場へ行ったとき、たまたま空襲があって、腸の露出した工具が担架で運ばれてゆく様を見たことがある。 なぜ露出した腸が凄惨なのであろう。何故人間の内側を見て、悚然として、目を覆ったりしなければならないのであろう。何故血の流出が、人に衝撃を与えるのだろう。何故人間の内臓が醜いのだろう。・・・・・それはつやつやした若々しい皮膚の美しさと、全く同質のものではないか。 ・・・・・私が自分の醜さを無に化するようなこういう考え方を、鶴川から教わったと云ったら、彼はどんな顔をするだろうか?内側と外側、たとえば人間を薔薇の花のように内も外もないものとして眺めること、この考えがどうして非人間的に見えてくるのであろうか?もし人間がその精神の内側と肉体の内側を、薔識の花弁のように、しなやかに翻えし、捲き返して、日光や五月の微風にさらすことができたとしたら… ・少年時代から、人に理解されぬというととが唯一の形りになっており、ものどとを理解させよ 3とする表現の衝動に見舞われなかったのは、前にも述べたとおりだ。私は何ら製齢なく自分を明晰たらしめようとしていたが、それが自己を理解したいという衝動から来ていたかどうか疑わしい。そういう衝動は人間の本性に従って、おのずから他人との間にかける橋ともなるからだ。 金閣の美の与える融酢が私の一部分を不透明にしており、との間は他のあらゆる脳間を私から奪っていたので、それに対抗するためには、別に私の意志によって明晰な部分を確保せねばならなかった。かくて余人は知らず私にとっては、明晰さこそ私の自己なのであり、その逆、つまり私が明晰な自己の持主だというのではなかった。 ・柏木を深く知るにつれてわかったことだが、彼は永保ちする美がきらいなのであった。たちまち消える音楽とか、数日のうちに枯れる活け花とか、彼の好みはそういうものに限られ、建築や文学を憎んでいた。彼が金閣へやって来たのも、月の照る間の金閣だけを索めて来たのに相違なかった。それにしても音楽の美とは何とふしぎなものだ! 吹奏者が成説するその短かい美は、 一定の時間を純粋な持続に変え、確実に繰り返されず、野蜥のような短命の生物をさながら、生命そのものの完全な抽象であり、創造である。音楽ほど生命に似たものはなく、同じ美でありながら、金閣ほど生命から遠く、生を侮蔑して見える美もなかった。そして柏木が「御所車」を奏でおわった瞬間に、音楽、との架空の生命は死に、彼の醜い肉体と職鬱な認識とは、少しもっけられず変改されずに、又そこに残っていたのである。 柏木が美に素めているものは、確実に慰熟ではなかった! 言わず語らずのうちに、私にはそれがわかった。彼は自分の唇が尺八の歌口に吹きこむ息の、しばらくの間、中盤に成就する美のあとに、自分の内飜足と暗い認識が、前にもましてありありと新鮮に残ることのほうを愛していたのだ。美の無益さ、美がわが体内をとおりすぎて跡形もないこと、それが絶対に何ものをも変えぬこと、・・・・..柏木の愛したのはそれだったのだ。美が私にとってもそのようなものであったとしたら、私の人生はどんなに身軽になっていたことだろう。 ・ところでその猫は、突然、草のしげみの中から飛び出して、まるでわざとのように、やさしい接情な目を光らせて捕われた。それが両堂の争いのもとになった。何故って、美は誰にでも身を委せるが、誰のものでもないからだ。美というものは、そうだ、何と云ったらいいか、虫歯のようなものなんだ。それは舌にさわり、引っかかり、痛み、自分の存在を主張する。とうとう痛みにたえられなくなって、歯医者に抜いてもらう。 血まみれの小さな茶いろの汚れた歯を自分の掌にのせてみて、人はこう言わないだろうか。『これか?こんなものだったのか?俺に痛みを与え、俺にたえずその存在を思いわずらわせ、そうして俺の内部に硬固に根を張っていたものは、今では死んだ物質にすぎぬ。しかしあれとこれとは本当に同じものだろうか?もしこれがもともと俺の外部存在であったのなら、どうして、いかなる既縁によって、俺の内部に結びつき、俺の痛みの根源になりえたのか?といつの存在の根拠は何か?その根拠は俺の内部にあったのか?それともそれ自体にあったのか? それ にしても、俺から抜きとられて俺の掌の上にあるといつは、これは絶対に別物だ。断じてあれじゃあない』 いいかね。美というものはそういうものなのだ。だから猫を斬ったことは、あたかも痛む虫歯を抜き、美を馴挟したように見えるが、さてそれが最後の解決であったかどうかわからない。美の根は絶たれず、たとい猫は死んでも、猫の美しさは死んでいないかもしれないからだ。そこでこんな解決の安易さを識して、”態ばその頭に展をのせた。彼はいわば、虫歯の痛みを耐えるほかに、この解決がないことを知っていたんだ ・奇妙なことであるが、これは私の耳に入った世間の批評のはじめてのものであった。私たちは僧侶の世界に属しており、学校もまたその世界に在って、お互いの寺の批評をすることがなかった。しかし老いた役員たちのこんな会話は、少しも私をおどろかさなかった。それらはみんな自明の事柄だった!私たちは冷飯を曖べていた。和尚は祇園へ通っていた。・・・・・が、私には、老役員たちのこうした理解の仕方で、私が理解されることに対する、云わん方ない艶悪があった。 「かれらの言葉」で私が理解されるのは耐えがたい。「私の言葉」はそれとは別なのである。老師が祇園の芸妓と歩いているのを見ても、私が何ら道徳的な嫌悪にとらわれなかったことを思い出してもらいたい。 老役員たちの会話は、こうしたわけで、私の心に、凡庸さの移り香のようなもの、かすかな嫌悪だけを残して飛び去った。私は自分の思想に、社会の支援を仰ぐ気持はなかった。世間でわかりやすく理解されるための枠を、その思想に与える気持もなかった。何度も言うように、理解されないということが、私の存在理由だったのである。 ・それは正しく裏日本の海だった!私のあらゆる不幸と暗い思想の源泉、私のあらゆる醜さと力との源泉だった。海は荒れていた。波はつぎつぎとひまなく押し寄せ、今来る波と次の波との間に、なめらかな灰色の深淵をのぞかせた。暗い沖の空に累々と重なる雲は、重たさと繊細さを併せていた。というのは、境界のない重たい雲の累積が、この上もなく軽やかな冷たい羽毛のような笹縁につづき、その中央にあるかなきかの応青い空を囲んでいたりした。鍋いろの海は又、黒紫色の噂の山々を控えていた。すべてのものに動揺と不動と、たえず動いている暗い力と、鉱物のように凝結した感じとがあった。 ふと私は、柏木がはじめて会った日に、私に言った言葉を思い出した。われわれが突如として残唐になるのは、うららかな春の午後、よく刈り込まれた芝生の上に、木れ腸の働れているのをぼんやり眺めているような、そういう瞬間だと言ったあの言葉を。 今、私は波にむかい、荒い北風にむかっていた。うららかな春の午後も、よく刈り込まれた芝生もここにはなかった。しかしこの荒涼とした自然は、春の午さがりの芝生よりも、もっと私の心に媚び、私の存在に親密なものであった。ここで私は自足していた。私は何ものにも脅やかされていなかった。 ・小刻みにゆく塩垂れた帯の背を眺めながら、母を更醜くしているものは何だと私は考えた。母を醜くしているのは、・・・・・・それは希望だった。湿った淡紅色の、たえず痒みを与える、この世の何ものにも負けない、汚れた皮膚に巣喰っている頑固な皮癬のような希望、不治の希望であった。 ・「どうだ。君の中で何かが壊れたろう。俺は友だちが壊れやすいものを抱いて生きているのを見るに耐えない。俺の親切は、ひたすらそれを壊すことだ」「まだ壊れなかったらどうする」 「子供らしい負け惜しみはやめにするさ」と柏木は嘲笑した。「俺は君に知らせたかったんだ。 この世界を変貌させるものは認識だと。いいかね、他のものは何一つ世界を変えないのだ。認識だけが、世界を不変のまま、そのままの状態で、変貌させるんだ。認識の目から見れば、世界は永久に不変であり、そうして永久に変貌するんだ。それが何の役に立つかと君は言うだろう。だがこの生を耐えるために、人間は認識の武器を持ったのだと云おう。動物にはそんなものは要らない。動物には生を耐えるという意識なんかないからな。認識は生の耐えがたさがそのまま人間の武器になったものだが、それで以て耐えがたさは少しも軽減されない。それだけだ」 「生を耐えるのに別の方法があると思わないか」 「ないね。あとは狂気か死だよ」 ・「世界を変貌させるのは決して認識なんかじゃない」と思わず私は、告白とすれすれの危険を冒しながら言い返した。「世界を変貌させるのは行為なんだ。それだけしかない」果して柏木は、その冷たい貼りついたような微笑で私をうけとめた。 「そら来た。行為と来たぞ。しかし君の好きな美的なものは、認識に守られて眠りを負っているものだと思わないかね。いつか話した『南泉斬猫』のあの猫だよ。たとえようもない美しいあの猫だ。両堂の僧が争ったのは、おのおのの認識のうちに猫を護り、育くみ、ぬくぬくと眠らせようと思ったからだ。さて南泉和尚は行為者だったから、見事に猫を斬って捨てた。あとから来た “地ぱ、自分の感を頭に乗せた。州の言おうとしたことはこうだ。やはり彼は美が認識にられて眠るべきものだということを知っていた。しかし個かの認識、おのおのの認識というものはないのだ。認識とは人間の海でもあり、人間の野原でもあり、人間一般の存在の様態なのだ。 彼はそれを言おうとしたんだと俺は思う。君は今や南泉を気取るのかね。・・・・美的なもの、君の好きな美的なもの、それは人間精神の中で認識に委託された残りの部分、瓣線の部分の幻影なんだ。君の言う『生に耐えるための別の方法』の幻影なんだ。本来そんなものはないとも云えるだろう。云えるだろうが、との幻影を力強くし、能うかぎりの現実性を賦与するのはやはり認識だよ。認識にとって美は決して慰熟ではない。女であり、妻でもあるだろうが、慰藉ではない。しかしこの決して慰藉ではないところの美的なものと、認識との結婚からは何ものかが生れる。はかない、あぶくみたいな、どうしようもないものだが、何ものかが生れる。世間で芸術と呼んでいるのはそれさ」 - 2026年5月25日
ガザに地下鉄が走る日岡真理現代アラブ文学・パレスチナ問題の専門家である岡真理によるエッセー・評論集。完全封鎖されたガザ地区を舞台に、過酷な占領と暴力の下でなお人間性を失わずに生きるパレスチナの人々との出会いや、彼らの根源的な抵抗について描かれている。 この問題にはあまりに救いがないと思えてしまう。。 不条理な世界、無関心な自分自身への怒り。自分の無力感への絶望。 国民でないが故に人間ならざる者、人権など慮る必要のないノーマンとして生きるしかない人がいるなんて。。正しく無知は罪である。 では自分に何ができるだろうか。 ・自分たちがこのような暴力を生きることを強いられている、その同じ世界で、そんな暴力とはまったく無縁に、安穏な暮らしを楽しんでいる者たちがいるという事実。 普遍的人権、人間の尊厳、人間の自由、平等、平和、そういったことがまことしやかに語られる二一世紀のこの同じ地球上で、人権も平和も自由も尊厳も、空気のように享受している者たちがいる一方で、人権も自由も尊厳もなく、日々、殺されて一顧だにされない者たちがいる。人間が虫けらのように殺されるという不条理、だが、その物理的暴力以上に、世界がその不条理を耐えがたいこととして感じていないという事実↓存在の耐えられない軽さーこそが、人間にとって致命的な黒力なのではないだろうか。 世界は、パレスチナの占領を放置し、そうすることによってそこに生きる人々を半世紀にわたり占領の暴力のただなかに遺棄し続けることでーあるいはガザの完全封鎖を十年以上にわたり放置し、ガザの人々を「生きながらの死」と彼らが呼ぶ状態に捨て置くことでー、パレスチナ人に対してメタメッセージを発しているのだと言える。おまえたちの尊厳が冒されようと、私たちには関係のないことだ。おまえたちは私たちと平等な人間ではない。おまえたちがどうなろうと、それはこの世界にとって何ら問題ではないと。 ・すべてが破壊されたなかで、それでも人間として生きる、ということだ。それを失ったとき私たちは、たとえフィジカルには生きていたとしても、人間としては死んだも同然なのだから。 ・社会全体が、他者を自分たちと対等な存在と見なさず、蔑み、差別的な仕打ちをすることに法がお墨付きを与えるとき、他者に対する非人間化はすでに始まっている。行き着く先は、ジェノサイドだ。 ・インタビューのあいだずっと、ムハンマドさんは私たちと目を合わそうとはしなかった。受け答えも最小限だった。何かが自分のなかに侵入してくるのを、全身で拒絶しているように感じられた。ムハンマドさんが部屋を出ていくと、父親を亡くした彼を幼い頃から世話してきたセンター長のジャミーラさんが言った。「ムハンマドはほんとうは頭のいい子なのだけれど、何に対しても興味が持てなくて、努力が続かないのです。コンピュータの勉強をしていましたが、それもやめてしまいました」だが、それも当然ではないだろうか。私たちがこの世で何事かに興味をもって努力をするには、その前提としてまず、この世界がかくのごとくある、という事実を受け入れなければならない。野球をするなら野球のルールを受け入れるように、世界とはそのようなものだ、ということを認めなければならない。しかし、ムハンマドさんにとって彼が生きるこの世界とは、五歳の少年の目の前で、父親やおしたち、従兄たち、そして妊娠中の姉や、まだ生まれてもいない赤ん坊がパレスチナ人というだけで虐殺される、そのような不条理な暴力に満ちた世界なのだ。どうしたら世界とはこのようなものだと、そんな世界を受け入れることができるだろう。 ・ガザに本部を置くパレスチナ人権センターの設立代表、ラジ・スラーニ弁護士が強調するように、イスラエルの犯した戦争犯罪がこれまでひとたびも正しく裁かれてこなかったという、国際社会におけるこのイスラエル不処罰の「伝統」が、パレスチナ人に対してイスラエルが繰り返し戦争犯罪を行使することを可能にしている。サブラー・シャティーラ、ジェニーン、ガザ、繰り返される虐殺・・・・・パレスチナ人がどのような戦争犯罪、不正を被ろうと、国際社会は寛大にも、つねにその犯罪を看過し、責任者を処罰しないことで、世界に向けてメタメッセージを発してきたのだと言える、パレスチナ人などとるに足らない存在であると。彼らは我々と等価な存在ではない、ノーマンであると。ラジ・スラーニは言う、私たちは人間として尊厳をもって生きる機会が欲しい、これは不当な要求だろうか、と。 ・二〇〇二年の九月にレバノン南部のラシーディーエ難民キャンプを訪れた際に会った難民三世の二〇歳になるホダーは、レバノン大学の一年生だった。彼女にも心臓を患う幼い弟がいる。母を援けて、一人娘のホダーは小学生の頃から家事をこなし、兄たちや歳の離れた幼い弟の世話をしてきた。 そのせいもあって、中学で一年、高校でも一年、留年したが、それでも学業を諦めず、がんばって国立のレバノン大学に合格した。だが、翌年度の学費の目途が立っていなかった。翌月から始まる新学期までに納入しないと除籍になってしまうのだとホダーは言った(パレスチナ難民の学生には、「国民」であるレバノン人学生よりも高額な授業料が課せられていた)。同時に、弟の治療費も工面しなければならない。目の前にいる外国人に向かって、「そのための金銭的援助をしてもらえないか」という言葉が彼女の幌元まで出かかっているのを感じた。だが、ホダーはその言葉を飲み込むと、笑顔を作って言った、「でも、だいじょうぶ、心配しないで。なんとかするから」。帰国後ほどなくして、ホダーから手紙が来た。大学は退学したと書かれていた。代わりに、キャンプでNGOが運営する経営学のコースに通っているという。どんなことがあっても勉強だけは絶対にあきらめないという言葉でその手紙は結ばれていた。弟のことは書かれていなかったが、彼女が自分の学業よりも弟の治療費を優先したことは想像に難くない。 ・名作の誉れ高い作品だが、これを読んだとき、ああ、これはパレスチナ難民の物語|とりわけ難民二世のーだと思った。難民としてキャンプで生まれ、両親から語り聞かされた故郷への帰還をひたすら待ちわびながらーそこに還れば、私たちは「難民」ではなくなる、尊厳ある人間として生きられるし、しかし、難民としてキャンプで死んでいく二世たち......。。貧困のなかで暮らし、「難民」として蔑まれ、差別され、繰り返し家を破壊され、繰り返し集団虐殺に見舞われて虫けらのように殺されるノーマンたち・・・・・。いったい何のための人生? セス・アイボリーは娘に故郷の記憶を教えながら苦悩する、必要最小限しか教えないほうがこの子のためではないか、故郷のことなど何一つ知らずに、帰還の希望など、はなから持たないほうが、娘の苦しみが少ないのではないかと。パレスチナ人もまた、そうではないか。イスラエル軍が兵のジャーゴンで「芝刈り」と呼ぶ、伸びてきた芝を定期的に刈りとるように数年ごとにガザに対して仕掛ける大規模軍事攻撃も、ガザのパレスチナ人(その七割がナクバで難民となった者たちとその子孫だ)が、彼らの正当な権利である故郷帰還の夢も、同様に正当な権利である「主権をもったパレスチナ国家の独立」の夢も決して手放そうとしないからだ。二七年間、獄に繋がれたマンデラが、南アフリカ解放の夢も、そのための武装闘争の権利も手放さなかったように。パレスチナ人がパレスチナ人であるがゆえに差別され、迫害され、殺裁の対象となるのなら、そんな夢など忘れ去り、七〇年前、自分たちを襲った歴史的不正も忘れ去り、故郷パレスチナのことも忘れ去り、いっそパレスチナ人であることもやめてしまえば、彼らの生ははるかにつつがないものになるはずだ。 それは、シオニズムがナクバ以来この七〇年間、イラン・パペが「漸進的ジェノサイド」と呼ぶ暴力によって、パレスチナ人に対して発し続けているメッセージにほかならない。 ・「私はここ(キャンプ)で生まれ、ここで死ぬのよ」ーヒッティーン難民キャンプのアスマハーンさんのことばは、パレスチナ難民に生まれついたことに対する絶望でもなければ諦念でもない。自動でも呪詛でもない。それは、パレスチナ人であることを引き受けた者の覚悟のことばだ。二〇〇九年のあの夏、ブルジルバラージネ難民キャンプの自宅で、未期癌の苦しみの末に、四〇数年の短い人生を閉じた難民二世の彼女もまたそうだったにちがいない。 娘を大学にやるお金を自分の入院費や緩和ケアに使うこともできたはずだ。だが、彼女はそうしなかった。卒業まで学費を支払えるかどうか分からない大学に娘を進学させ、卒業できたとしてもレバノンにいるかぎり正規の職には就けないデザイナーの夢を娘が追い求めることを彼女は選んだ。末期癌の耐えがたい苦痛をその身に引き受けることを代償に。一息、一息、呼吸するごとに、彼女は闘っていた、自らが選びとった運命と。 あの日、「ソムード」のセンター長はなぜ、私を彼女のもとに連れて行ったのか。パレスチナ難民がいかなる辛酸を舐めているか、難民であることの悲惨や悲哀を、外国人の目にもっとも気の毒に映じる者のありさまを見せることで伝えて、人道支援の必要性を訴えるためなどではない。ジャミーラさんが「私たちは何十年も闘っているのに」と言うその「闘い」、パレスチナ人がパレスチナ人であることを引き受けるということが人間にとっていかなる闘いであるのか、そのことを、それを果敢に闘っている者の姿を通して教えようとしたのだと思う。 ・この地のあちら側ー占領下ーでは、幼い子どもがミサイルで殺され、脳性麻療の息子が瓦礫の中に生き埋めにされ、何百もの家族が家を破壊され、半世紀をかけて築いてきた人生の一切合切が土秒と鉄筋のこみの山にされている。その同じ土地のこちら側では、あたかもそんな現実など存在しないかのように、あるいは存在したとしても自分たちには微塵も関係ないかのように、世界の人形劇フェスティバルが開催されている。たしかに、人形劇などやっている場合ではない。でも、と私は思うーサーミーのことばを思い出してーこんな時だからこそ、ジェニーン難民キャンプのあの子たちは、世界の誰よりも今、自分たちのために人形劇をしてくれる人を必要としているのではないか、と。 ・ガッサーン・カナファーニーが一九七〇年に上梓した、小説『ハイファに戻って』(完成した作品としては、これが彼の遺作となった)は、主人公の口を借りて明示的に発せられる、人間にとって「祖国とは何か」という問いと並んでもう一つ、作品のプロットから浮かび上がる問いがある。人が「パレスチナ人であるとはどういうことか」という問いだ。 人がこの世界で何者であるかは、決して自明なことではない。パレスチナ人の親から生まれればパレスチナ人なのか。そうではない、と物語は言う。自分が何者であるかは「生まれ」、つまり血縁関係によって定められるのではなく、人間一個一個が、彼あるいは彼女自身の固有の生を通して自ら選びとるものだと。一九六〇年代後半から八〇年代にかけて、パレスチナをその目で見たことも訪れたこともない難民二世の若者たちが、解放戦士として「祖国」の解放を求める闘いに続々と参与したのは、彼らがパレスチナ人に生まれたからだけではない。その難民的生の経験を通して、彼らは人生のいずれかの時点で、自身の生をパレスチナ人として生きることを自らの意志で選びとったのだ。それはパレスチナ人に生まれた者だけに限らない。それ以外の者たちもまた、あの時代、その生の政治的実践において、「パレスチナ人」であろうとした。 エドワード・サイードはエッセイ「生まれついてか、選びとってか」(一九九九年)において、この自ら選びとったアイデンティティについて以下のように論じている。 自ら選びとったアイデンティティとは、パレスチナ人であるということに政治的に関わっていくことである。すなわち、単に独自の国家を建設することだけでなく、不正に終止符を打ち、パレスチナ人を、現代史のなかに位置づけうるような、新たな非宗教的アイデンティティへと解放するという、よ意義深い理念(cause)に積極的に関わることである。(強調引用者) ・カナファーニーの『ハイファに戻って』における「人間とはその一人ひとりがひとつの大義である」ということばは、十九世紀のアメリカの思想家、ラルフ・ワルド・エマソンのエッセイ集『自己言頼』の一節を踏まえたものだ。そこには次のように書かれている。 真の人間とは、どの時代、どの場所にも属さない。(…)真の人間とは一人ひとりが、ひとつの大義であり、ひとつの国であり、ひとつの時代である。彼の企図するものを完全に実現するには、無限の空間と数と時間が必要だしやがて後の世代は列をなして彼の足跡を辿るだろう、自らの導きを求めて。 エマソンが「真の人間とは」としたそれを、カナファーニーは「人間」全般に敷術した。それは、ナクバによってノーマンとされたパレスチナ人同胞に向けて、一人ひとりが一つの普遍的大義、普遍的理念である、そのような人間たれ、という呼びかけだった。カナファーニー自身がそうであったように、アルナも、ジュリアーノも、自ら選びとった「パレスチナ人である」ことのCauseを生きた者たちだった。 ・それは、想像を絶する攻撃だった。アウシュヴィッツのあとで、人間が人間に対してなしうることに想像を絶することなど、もはや何一つないのだとしても。 世界がクリスマスの余韻にひたるなか、その攻撃は突然、始まった。ガザ地区はその前年から完全封鎖されていた。世界最大の野外監獄と化したそこに、一年以上に及ぶ完全封鎖で遠築した一五〇万もの人々(当時)が閉じ込められていた。逃げ場もなく、まさに「袋のネズミ」状態に置かれた彼ら234 の頭上に、空から海から陸から、ミサイルや砲弾の雨が二二日間にわたり降り注いだ。死者は一四〇0人以上に及んだ。四年数カ月に及ぶ第二枚インティファーダの死者が約三〇〇〇人だ。その半分通くが、たった三週間で殺されたことになる。まさに一方的な破壊、一方的な殺裁だった。 自治政府関連の建物も警察署も、大学も、スポーツセンターも、公園も、民家も、攻撃された。病院も、国連の学校も、モスクも容赦されなかった。いくつもの家族が瓦礫の下で生き埋めになって死んだ。攻撃は夜に集中した。真っ暗闇の中、砲弾やミサイルが周囲に着弾する番音や振動が、深夜から明け方まで間断なく続く。そんな恐怖の長い夜を耐え抜いて、ようやく朝、陽がのぼって攻撃が止み、外を見れば、爆撃されたのは墓地だったり、すでに幾度となく攻撃され破壊された建物であったりする。住民をただただ恐怖に陥れるためだけになされる爆撃、まさに純粋テロルだ。それが二二日間、続いた。 二二日間·....。それは終わったからこそ言えることだ。攻撃が現在進行形で続いているさなか、空爆下の人々は、この事態があと何日、続くのかなど知る由もなかった。この晩を生き延びて、もう一度、朝を迎えられるのか、そんな恐怖の夜を二二夜も経験したのだ。私たちが新年をのどかに言祝いでいたとき、ガザは血にまみれていた。 ・占領と闘うとはどういうことか。占領下でパレスチナ人が生きることそれ自体が、占領に対する抵抗だとよく言われる。なぜか。パレスチナに物理的に留まり続けることで、今なお続く民族化に抵抗しているから、だけではない。「占領」とは他者の人間性を否定する暴力だ。それは、「人を破壊する苦しみ」だとブサイナ・ホーリーは言う。「魂の破壊」だとサラ・ロイは言う。占領と闘うとは、この人間の破壊、魂の破壊と闘うことだ。 闘う者がいつしか敵の似姿と化してしまうことをニーチェは警告した。占領という「人間を破壊する」怪物と闘うパレスチナ人にとって真の敗北とは、自らが怪物と化してしまうこと、敵の似姿となってしまうことだ。たとえ政治的に勝利したとしても、軍事的に勝利したとしても、「人間であること」を手放してしまったら、それこそが人間にとって真の敗北となる。だから、彼らは人間であり続けようとする。人間の側に留まり続けようとする。サリ・ハナフィが言う「スペィシオサイド」、パレスチナ人がパレスチナで人間らしく生きる可能性をことごとく圧殺する暴力のなかで、人間らしく生きること、それが占領下のパレスチナ人の根源的な抵抗となる。占領者が自分たちの人間性など一顧だにしないから、だからこそ自分たちは占領者の人間性を否定しない。同じ人間として呼びかけるのだ。占領が人間的な生を破壊するからこそ、壁と闘う彼らは宴を催して、笑い、冗談を言いあい、その瞬間、凝縮された人間的生を全身全霊で享受する、魂の破壊に抗して。 二〇〇二年四月、外出禁止令が敷かれたベツレヘムの、イスラエル軍に占拠されたスターホテルのロビーで、アウニーたちがなぜ、あんなに引きも切らず冗談を言っては笑い転げていたのか、今ならよく分かるような気がする。生を破壊する暴力、パレスチナ人の人間性を否定する暴力のただなかで、二人の青年たちは、生を愛し、今、この瞬間の生を精一杯、享受するという根源的な抵抗を遂行していたのだ。それはまた、ロビーの奥にたむろしている同年代のイスラエル占領軍の若者たちに対する抵抗のメッセージでもあっただろう。僕たちは何があろうと、生を愛し、人間であり続ける、お前たちに僕たちの魂を破壊することはできない、というメッセージだ。 ・<十二秒間の電話> 電話。より正確には十二秒間の電話。十二秒間の電話が十家族全員を通りに追い出した。十二秒間の電話のせいで祖母たち、祖父たちは五〇年以上住み慣れた我が家、子どもを産み育て、その子どもたちが自分たちの子どもを産み育てた家を捨てねばならなかった。 伯父の電話が鳴った。私たち全員、ただちに家から避難しなければならない、占領軍があと十分でこの家を砲撃するからと。伯父の妻は気が狂ったように叫びながら家じゅうを走り回る。六人の子どもたちがどこにいるのか探し求めて。彼女の娘は障害者だ。誰が彼女を外に連れ出すのか?誰にまず伝えればいいのか?この建物に住んでいる家族六〇人に誰が知らせるのか? 十分間で何ができる?服を着替える?子どもたちに伝える?うち棄てていく家の二〇年間の思い出を掻き集める?死者の仲間入りから逃れるための十分間。上空で飛行機が旋回する音が聞こえて、彼女はもうおしまいだと思う、十分が過ぎてしまったのだと思って。でも、ありがたいことに、恐ろしいニュースはすぐに広まった。数分でお隣の末っ子は、自分の命が危険にさらされていると気がつく。 紛争のいくつかの報告記録に従えば、祖父は一九二八年か二三年に生まれた。第二次世界大戦を目撃し、英国によるパレスチナの占領を、ナクバを、一九六七年の戦争を、一九七三年の戦争を、ベィルート侵攻を、第一次インティファーダを、第二次インティファーダを、オスロ合意を、イブラーヒーム・モスクの集団虐殺を目撃した。基本的に、祖父は、これらすべてが始まったときから、これらすべてを生きてきた。 祖父は八四歳だか九一歳になってまたも、家を追い出される。最初に家を追われて、何年か難民キャンプで過ごしたあと落ち着いた家を離れるのを余儀なくされる。またもや暴力と不正が自分を襲う。 またもや自宅を去らねばならない。祖父はそこに横たわり、動くことすらできない。歳をとっているから、ではない。死ぬことと難民キャンプあるいはUNRWAの学校でもう一度暮らすことにどんな違いがあるのか、分からなくて。どうしたら自分が築きあげた家を捨てて出ていくなんてできるだろ。祖父は文字どおり、煉瓦を一つ一つ積み上げて、この家を築いたのだ。 祖父はようやく起き上がると、壁に手をつきながら力なく歩いて行く。オリーブの木に別れを告げる暇もなく、六〇年間毎朝、掃き浄めてきた床にも別れを告げる暇もなく。一から築き上げた家を目に焼き付ける暇もなく、この家がどうなるのか思いを馳せる暇もなく。 あと十分、思い出が、かみしめる時間もなくどんどん脳裏から零れ落ちて行く。あと十分、急いで移動しなければ、私たちの命も、私たちから零れ落ちてしまう。あと十分で、何もかもが瓦礫になる。 私の金属製の机。父が何年もそこで仕事をしたその机。私が少なくとも十年は勉強し、私の兄弟全員が勉強するとき使った机。壁にかけられた額、父がエジプトのアズハル大学から授与された卒業証書がそこに誇らしげに飾られている。台所のバルコニーに気持ちよく巣作りしている鳩しこの鳩もいなくなってしまう、どこに避難したらいいかも知らないまま。姉が書いた壁の落書き。消えることも色褪せることもなく、三〇年以上もそこにあった落書き。一撃で、なにもかもがなくなってしまう。 私たちの家族はすでに、一人を戦争で亡くしている。でも、私たちの誰も、こんなことが実際に起こるだなんて考えていなかった。六〇人もの人間が住んでいる家を、住民すべてをそこから追い出して、破壊するなどということが人にできるだなんて、誰も思いもよらなかった。叔母が絶望のあまり祈る、「ああ、神さま、私は息子を失いました、今度は家まで失うのですか?」家を追われるのは私たちの家族だけではない。この通りのすべての家族がそうだ。四〇以上の家族が突然、難民になってしまった。こんな恐ろしい事態を予期していたのか、満杯の鞄、身分証明書の書類を手に。 十分が過ぎたけれど、飛行機はまだ攻撃してこない。でも、家に戻る者はいない。十分間が何事もなく過ぎたということは、砲撃の開始が遅れているということであって、中止になったというわけではない。これから起こることを考える時間が、悲しむ時間が、さらに長くなったということ。私たちはただ立ちつくしている。子ども時代の懐かしい壁にもう一度、触れることもできずに。 ・なぜ、繰り返されるのかという問いが、何がそれを可能にしているのかという意味ならば、このようにも言えるだろう。第二次世界大戦後、絶滅収容所の真実が明らかになると、ドイツ人は「私たちは知らなかった」と弁明した。本当に知らなかったのかどうかはここでは措こう。「知らなかった」ということが弁明になりうるのは、知っていればこのようなことは許しはしなかった、必ずやそれを阻止しようとしただろう、という含意があるからだ。だが、本当にそうなのだろうか。ガザの殺数と破壊は、世界注視のなかで起きている。最新兵器の実戦デモンストレーションでもあるのだから当然だ。日本のメディアでも報道された。私たちは決して知らないわけではない。無知がホロコーストというジェノサイドを可能にしたのだとしたら、繰り返されるガザの虐殺を可能にしているのは、私たちの無関心だとも言える。茶の間に流れるガザのニュースは、一瞬、心を波立たせはしても、多くの者にとってそれ以上のものではないのだ。 - 2026年5月25日
黄色い家川上未映子親元を離れた17歳の主人公・花が、「黄美子」という女性や同年代の少女たちと疑似家族のように暮らし、生きるためにより深い闇・犯罪へと巻き込まれていく物語。 読みながら胸が苦しくなる物語だった。 生まれながらに変えられないものに対するやるせなさ。安心して生きること、幸せを守ることへの切実さ。窮地の中に現れる日常の幸せ。 花が黄美子さんとの生活をなんとか守ろうとし、それでも崩れていく様子は辛い。 本当に辛いときに支えてくれた黄美子さんとの生活に花が執着するのは仕方がなくて、花も黄美子さんも悪かったとは思えない。 黄美子さんや花の母親の様子は『ケーキの切れない非行少年たち』を思い出した。 自分も当たり前の幸せを軽く見過ぎでいるのかもしれない。 ・『血ってなんだ』 しばらくして雨俊さんは言った。 「ガキの頃からさんざん言われてきたけどさ、じっさい俺、わかんねえんだわ。あいつらの言ってる血ってのがなんなのか。血に汚いとかきれいとか、えらいとか、そんなのあるのか?本当のところ、あいつらはどういう意味で言ってんだ?仮にそんなのがあるとして、でもそれをなにでみわけるんだ?食べてるものか?生まれた場所か?親の、そのまた親のやってきたことか?顔つきか?それとも名前か?なんなんだ、血って』「連中もわかってないよ』志訓さんは言った。『わかってないから言えるんだろ」「なんだそれ、なんでてめえでわかってないことが言えるんだよ』「わかってないことを話すときが、人間いちばん調子にのれるからだろ』 「調子にのる?」雨俊さんは志訓さんの顔を見て首をかしげた。『なんだよ、調子にのるとかの問題かよ」 「そうだよ、雨俊』志訓さんは笑った。『だいたいのことは、ぜんぶ調子の問題だよ。理由とか、本当はどうとか、そういうの誰もいらないんだよ。調子にのってるやつといると、自分までうまくいってるように感じるだろ、気分がよくなって、ぜんぶうまくいってるように思える。みんなそれが好きなんだよ。だから調子にのってるやつに、人も金も、運も集まる。力をもつ。だからいちばん調子にのってるやつの言うことが、そのときいちばん正しいってことになるんだ』 「おまえの言うことは、いっつもよくわかんねえけど』雨俊さんは頭をかいた。『調子にのったやつがいい目するなら、じゃあ、俺らが調子にのれんのはいつなんだよ。どうやったら調子にのれんだよ。俺も調子にのりてえよ』『あはは、俺らは無理だよ』 「なんでだよ」 「なんでもだよ」 そう言って笑う志訓さんに、雨俊さんは最初は納得できないような顔をしていたけれど、そのうちにつられて顔をゆるめ、最後は三人で声を出して笑った。 ・金を出すやつは金を出してもらうやつより強い。金を出してもらわないといけないやつは、金を出してくれるやつより弱い。金を出すやつは口を出すし、それが通る。金を出すやつには意識していてもいなくてもいつも優越感があって、出してもらうほうは無意識のうちに卑屈になるし、顔色をうかがうようになっていく。強いものは弱いものを自分の都合でいつだってないことにできる。現にスナックを辞めて不動産屋の仕事を一緒にやるんだと目を輝かせていた母親は二年もたたないうちにそうなった。別れたのが病気のあとなのかまえなのかはわからないけど、けっきょくなんにもならなかった。いつだったかエンさんが言っていたことも思いだす。金をもってる男にろくなのはいないーもちろん金をもってるのは男のほうが多いからエンさんの言うことは筋が通っているかもしれないけれど、でも肝心なのは金をもっているのが誰なのか、つまり、金のありかなのではないだろうか。貯めて貯めてちょっとこぼれてくるのをすするくらいがちょうどいい、エンさんはそうも言っていた。自分で稼いだ金だけが自分の金で、自分を守ってくれるのは誰かの金ではない。自分で稼いだ自分の金だけなのだ。 ・「・・・・・・・映水さんの仕事のことね、わたし最初すっごいびっくりして、わけがわかんなくて怒ったんだよね。「れもん』が勝手に使われてるのもいやだったし。怖かったしさ。なんかじられないって感じで。でも、映水さんの話を聞いてるうちにーうまく言えないんだけど、なんかいろいろ、考えるようになって」 「うん」 「だってわたしだってさ、未成年で家出同然で、まだお酒飲んじゃいけないのに毎日飲んで仕事してるわけだよね。響察が来たときびくびくしたし。今も年齢は隠してるしさ。でもね、わたしからすると、生きていくにはこれしかないっていうか、これ以外になかったっていうか、それは本当なわけだよ。だから映水さんも、そこはおなじで」 「うん」 「だからって、べつに自分のやってることとか映水さんのやってることが正しいって言いたいわけじゃないし、言えないんだけどね、でも、じゃあ、わたしは間違ってるのかって言われると、なんか、そうは思えなくて」 わたしは考えていることがうまく説明できなくて、こめかみをごしごし掻いた。 「正しくないよ、そりゃ正しくはないけど、でも間違ってるわけじゃない。そう感じるの。未成年だし、その意味で悪いことなのかもしれないけど、でも、人生として間違ったことをしてるのかって訊かれると、そうじゃないっていう気持ちがどうしてもあって。わたし、なんか、映水さんの話きいてから、ときどきそういうこと考えるんだ。わたしは年をごまかしたりしてるけど、その意味で嘘をついてるってことにもなるんだろうけど、でも1間違っていないと思う。でも、おまえの人生どうなんだって訊かれたら、なんて答えられるんだろうって」「人生って?」 「いや、だから、間違ってないかもしんないけど、でも、おまえの人生どうなんだっていう」「それは」黄美子さんがわたしの顔を見て言った。「誰に訊かれるの?」「え?」 「誰が、そんなこと訊くの?」 「誰って」 わたしは黄美子さんの顔をじっと見つめた。 「誰もそんなこと、訊かなくない?」 「訊かないかもしんないけど」 「じゃあ、いいじゃんか」「え、いいの?」 「だってそんなこと、誰も訊かないよ」「・・・・・・自分が自分に、訊いてるのかもしんないけど」「じゃあ、自分で自分に訊くの、やめればいいじゃんか」 わたしは黄美子さんの目を見た。自分で自分に訊くのをやめるしそれはこれまで考えたこともなかった発想だった。わたしは何秒間か言葉に詰まり、黄美子さんはそんなわたしを不思議そうに見ていた。 「いや、でも、それだとー」「うん?」 「困るっていうか、いや、困りはしないけど」「じゃあ、いいじゃん」「そうかも、しれないけど…・・・・」 「なんか、むずかしく考えるの花っぽいけど」黄美子さんは笑った。わたしはなんて答えていいのかわからず黙ってしまった。テレビは料理番組から通販番組に変わり、金粉入りのクリームが画面いっぱいに映しだされていた。 ・「あー、あんま深く考えないでいいよ」ヴィヴさんがふふんと笑った。「世の中は、できるやつがぜんぶやることになってんだから、考えたってしかたないよ。無駄無駄。頭を使えるやつが苦労することになってるんだよ。でもそれでいいじゃんか」「苦労するのは、いいことなんですか」 「いいことだとは言ってないよ。しょうがないってこと。でも苦労もできない馬鹿よかましでしよ。あいつらは幸せかもしれないけど、馬鹿だよ。あんた、幸せになんかなりたい?」「わかりません、幸せっていうのがどういう感じか」 「幸せな人間っていうのは、たしかにいるんだよ。でもそれは金があるから、仕事があるから、幸せなんじゃないよ。あいつらは、考えないから幸せなんだよ」ヴィヴさんは言った。「あんたは頭が使えるんでしょ。じゃあいいじゃん、それで。頭使って金を稼げば。博突なんかやんないでふつうに生きていくぶんには、金はわかりやすい力だよ。それはそれでなかなか面白いもんだよ。知恵絞って体使って自分でつかんだ金をもつとね、最初からなんの苦労もなしに金をもってるやつの醜さがよくわかる。頑張んなよ」 ・いっぽうで、わたしはすごく機嫌のよいときもあって、そんなときは以前のようにみんなを連れてマックに行ったり吉野家に行ったり、駅前をぶらぶらしたりした。桃子と蘭は渋谷や新宿に行くのが好きだったけれど、わたしは三茶以外の場所に行きたい気持ちにはなれなかった。大きな街はアタックで行くだけで充分だった。三茶を歩いていると、住宅街でも商店街でも、友達や家族、それから恋人みたいな誰かと楽しそうに歩いている誰かを、かならず見かけた。わたしとおなじ年くらいの女の子たち。みんな顔からはみでそうな屈託のない笑顔をみせて、みんな幸せそうにみえた。その幸せはたぶん、親なのか家族なのか彼氏なのかは知らないけれど、でも、自分より強い誰かに守ってもらっているという自と安心からにじみ出ているなにかであるように感じられた。そんな光景を見たあとには胸のあたりにどす黒いものが渦巻くのを感じた。 ・「ねぇ、き、黄美子さん、わたしと」 わたしは両手で顔を押さえて言った。 「わたしと一緒にいこう」 自分がどれだけのことを言っているのか、そんなことができるのかどうかもわからなかった。 でもわたしはそう言わずにはいられなかった。仕事もない、狭い部屋で、自分ひとりが生きていくのがぎりぎりの日々で、ここから黄美子さんを連れて出て、こんな自分にいったいなにができるのかわからなかった。でもあの日、黄美子さんはわたしを連れていってくれた、ひとりぼっちだったわたしを一緒に連れていってくれた、長い時間がたってわたしたちはこんなことになったけど、こんなふうになってしまったけど、でもわたしたちが一緒に暮らした日々は、それだけじゃなかった、ひどいことばかりじゃなかった。 黄美子さんは「れもん」で、あの家で、ご飯を食べながら、歩きながら、心から笑うことをおしえてくれて、わたしをしあわせにしてくれた、受けとめてくれた、わたしがいま黄美子さんにできることはこれしかなかったし、取り返しのつかないことだけが残った今のなかで、黄美子さんはこうしてひとりきりで目のまえにいて、誰も頼れずに弱っていて、黄美子さんを支えることができるのは、こんなわたしだけれど、でももう、わたししかいないのだ、もう一度、黄美子さんとやり直すことができたら、そうすることができたなら、黄美子さんを救うことができたならわたしは泣きじゃくりながら、黄美子さんに言った。 「黄美子さん、わたしといこう」 黄美子さんは口を半分ひらいたまま、わたしを見ていた。 - 2026年5月25日
- 2026年5月24日
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九条の大罪(16)真鍋昌平 - 2026年5月16日
九条の大罪(15)真鍋昌平 - 2026年5月16日
九条の大罪(14)真鍋昌平 - 2026年5月16日
九条の大罪(13)真鍋昌平 - 2026年5月16日
九条の大罪(12)真鍋昌平 - 2026年5月16日
九条の大罪(11)真鍋昌平 - 2026年5月16日
九条の大罪(10)真鍋昌平 - 2026年5月16日
九条の大罪(9)真鍋昌平 - 2026年5月16日
九条の大罪(8)真鍋昌平 - 2026年5月16日
九条の大罪(7)真鍋昌平 - 2026年5月16日
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