Reads
Reads - 読書のSNS&記録アプリ
詳しく見る
綾鷹
@ayataka
読んだ本の内容を忘れちゃうので、自分の記録用...
  • 2026年2月14日
    シンプルな情熱
    シンプルな情熱
    離婚後独身でパリに暮らす女性教師が、妻子ある若い東欧の外交官と不倫の関係に。 彼だけのことを思い、逢えばどこでも熱く抱擁する。 その情熱はロマンチシズムからはほど遠い、激しく単純で肉体的なものだった。 「ある女」に続いて。 アニー・エルノーは自伝的な作品が多いのかな。(2作しか読んでないけど) 相手を片時も忘れられないほどの恋をし、そのために、クラシック音楽を捨ててこともあろうにシルヴィ・ヴァルタンに聴き入り、女性誌を手に取ればまっさきに星占いの頁を開き、つまらぬことで根拠のない嫉妬に悶える・・・・・ 共感に加えて、現実を直視する強さを感じる内容だった。 最後の「今の私には、贅沢とはまた、ひとりの男、またはひとりの女への欲しい恋を生きることができる、ということでもあるように思える。」という言葉が素敵だった。 ・化粧がすみ、髪も結え、家の中も片づいて用意がととのってしまうと、私は、たとえ時間が残っていても、読もうとする本は手につかず、生徒たちの答案のチェックをする気にもなれなかった。ある意味では、Aを待つことから気持ちを逸らせたくなかったのだともいえる。待つということを大切にしたかったのだ。しばしば一枚の紙に、日付・時刻とともに「もうすぐ彼が来る」と記したうえで、彼がもしかしたら来ないのではないかとか、いつもほど私を欲しがっていないのではないかとか、不安な気持ちを文にして書きつけた。夜になってから、その紙をもう一度取り出し、「彼が来た」と記し、その日の逢い引きの細々したことを思い出すままに書き連ねた。それから私は、乱雑に文字を書きなぐったその紙を前にし、それぞれ事前と事後に書いたのだけれど、一気に続けて読むことのできる二つのパラグラフを眺めて、茫然自失した。この二つの書きつけの間に、いくつかの言葉が発せられ、いくつかの動作がおこなわれた。 その言葉や動作に比べたら、それらを定着しようとして文章を綴ることも含めて、他のいっさいの行為は取るに足らなかった。彼の車ルノー25の二つの音、ブレーキをかけて停車する音とふたたび発進していく音に区切られた時間の持続の間、私は確信していた。これまでの人生で、自分は子供も持ったし、いろいろな試験にも合格したし、遠方へも旅行したけれど、このことー昼下がりにこの人とベッドにいること以上に重要なことは何ひとつ体験しなかった、と。 ・私は、人がその気になればどんなことを仕出かし得るか、何でもやりかねないのだということを発見した。崇高な、あるいは致命的な欲望、みっともない振る舞い、あるいはまた、自分自身がそれに頼ったり訴えたりすることになるまでは他人事として見て、およそばかげていると思っていたある種の嬉心や行動…………..。彼は、彼自身の知らぬ間に、私を以前より深く世界に結びつけてくれたのだ。 ・子供の頃の私にとって、贅沢といえば、毛皮のコート、ロング・ドレス、それに海辺の別荘だった。その後、贅沢といえるのは、知識人の生活を営むことだと信じた。今の私には、贅沢とはまた、ひとりの男、またはひとりの女への欲しい恋を生きることができる、ということでもあるように思える。
  • 2026年2月14日
    ある女
    ある女
    金原ひとみさんのエッセイの中に アニー・エルノーが出てきたので読んでみた。 著者の母親の死と、その母親の女性としての生き方を描いた小説。 貧しい階層に生まれながらも小売商売人になり果敢に生きていく母親、無学ながら何事も学ぶことに熱心だった母親、娘に自分よりいい生活をさせるために犠牲も厭わない母親、強く美しい母親、自分の考えを押し付ける感情的で暴力的な母親... 様々な母親の姿を回顧する中で、愛と憎しみと母親に対する相反する著者の感情がはっきりと感じられる。 自分と家族のことをこんなに剥き出しで語るのは勇気がいるのではないだろうか。(自分なら向き合うことが怖くて逃げてしまうと思う。。) 母娘の愛と苦しみがこんなに感じられる小説は初めてだった。 ・一九三一年、彼らは、イザトーから二十五キロ離れた、人口七千人の労働者の町リルボンヌに、酒類提供及び食料品小売の店を賦払いで買った。カフェ兼食料品店は、ラ・ヴァレ(谷間)地区にあった。十九世紀以来の繊維工場が、掘り籠から墓場まで、人々の時間と生活を支配している地区だった。今でも、戦前のラ・ヴァレと言えば、それだけで何を言いたいのか察しがつく。人口に占めるアルコール中毒患者と未婚の母のパーセンテージの極度の高さ、壁を水滴がしたたり落ちるほどの湿気、そして、消化不良の下痢で二時間ばかりで死んでしまう乳幼児たち。当時、母は二十五歳だった。まさしくその土地で、彼女は彼女になり、私が長い間初めから彼女のものだったように思い込んでいたあの顔と、あの趣味と、あの物腰を身につけたのにちがいない。 ・ある日曜日、父と母は私を連れ、ある森の近くの土手で、家から用意していった軽食を食べた。家族水入らずで、肉声と、生身の体と、途絶えることのない笑いに満たされた親密さの中にいた思い出。帰り道、私たちは空襲に出くわした。私が父の自転車に乗せてもらっているその前方を、母は先に立って坂を下っていく。サドルの上にどっかりとお尻を乗せ、背筋を伸ばしてー。私たちは二人とも、母に恋していたように思える。 ・私は、母の粗景さ、溢れんばかりの愛情、また非難の言葉を、彼女の性格の個人的特徴としてのみ考えるのではなく、それらを彼女の人生の軌跡と社会的境遇の中にも位置づけようと試みている。この書き方ー真実に近づいていく方法のように私が感じているこの書き方は、私が個人的な思い出の孤独と闇から出ようとするのを、より一般的な何らかの意味の発見を促すことで助けてくれる。ところが私は、自分の中の何かが抵抗するのを感じる。できれば、もっぱら情緒的な母のイメージ、温もりとか戻のようなものを、それに意味など与えずに取っておきたい気がする。 ・彼女はますます、まわりにいる人間を区別も識別もしなくなっていった。さまざまな言葉が彼女の耳に届いたが、それらにはもう固有の意味がないも同然だった。それでも彼女は、行き当たりばったりに答えていた。相変わらず、意思伝達をしたがっていた。彼女の言語機能は少しも損なわれていなかった。彼女の口から発せられる文には軽合性があったし、語も正確に発音されていた。 ただ、言葉が物から離れ、本人の想像の世界にのみ従属していたのだ。彼女は、もはや自分のものではなくなってしまった人生を、空想で作り上げていた。パリへ行く、一匹の金魚を買った、夫の墓へ案内された、等々。が、時折、彼女は知っていた。「私の状態は、もう元に戻らないんじゃないかと心配だわ」あるいは、彼女は憶えていた。「わたしはね、できることは何でもして娘を幸せにしようとしたんだよ、でも娘は、そのぶん幸せになったわけじゃなかったわ」 ・この本は伝記ではないし、もちろん小説でもない。おそらく文学と社会学と歴史の間に位置する何かだと思う。被支配階層に生まれ、そこから脱出しようとした母自身が、歴史となる必要があったのだ。彼女の望みにしたがって、言葉と思想を持つ支配階層に移った私が、その階層の中で、自分をそれほど孤独でも不自然でもないと感じるためにー。 私が彼女の声を聞くことは、もはやない。大人の女である私を、子供だった頃の私に結びつけていたのは、彼女と、そして、彼女の話し言葉、彼女の手、仕種、笑い方、歩きぶりなどだった。私は、自分の生まれ故郷にあたる階層との間の最後の絆を失った。
  • 2026年2月13日
    チャーリーとの旅
    チャーリーとの旅
    「かくして、わたしは気がついたのだ、自分の国を知らない、と」。時は1960年、大統領選挙の直前。ロシナンテと名づけたトラックに乗り、老プードル一匹を相棒にアメリカ全土をめぐる旅行譚。 アメリカ全土への旅のために車を快適に改造する描写も描かれているが、とても憧れる。。 旅には人をわくわくさせる力があるなぁ。 大統領選や南部の黒人差別についての話題も出るが、飼い犬のチャーリーがいることで終始気を張らずに読むことができた。 訪れた土地についてだけでなく、人との出会いと対話もこの本を魅力的にしている。 著者の相手を理解しようとする姿勢は素敵だった。 時間を空けてまた読みたい。 アメリカ杉がジュラ期からある植物だとは初めて知った。 昔のアメリカ旅行の際に見れたらよかったなぁ。 ・計画され支度されていたものがひとたび実行に移されると、旅は新たな一面を見せるようになる。 旅も狩りも探検も、他とは違う独自のものとなるのだ。旅そのものが人格や感情を持ち、個性的で独特なものとなる。旅自体が一個人であり、似たものは二つとない。あらかじめ計画していようが安全を気にかけていようが役に立たないし、規制したり禁止したりしたって無駄である。 長年もがいた末に我々はこう悟る。人が旅に出るのではなく、旅が人を連れ出すのだ。 旅そのものが個性を発揮しはじめたら最後、かっちりと定めた目的も練り上げた計画も取っておいた予約も木っ端みじんにされる。そして本物の風来坊は、それを確かめた時だけ安らかに旅に身を任すことができる。そうなって初めて欲求不満が解消されるのだ。 その点、旅は結婚に似ている。コントロールしようというのが間違いのもとなのだ。 ・チャーリーは背の高い犬である。助手席に座ると頭の位置はだいたい私と同じ高さになる。彼は鼻面を私の耳に近づけ、「フッチュ」と言った。 私の知る限り、彼は子音のFを発音できる唯一の犬だ。これは門歯が曲がっているためで、おかげでドッグショーに出られないのは悲劇だが、上の門歯がわずかに下唇に触れてFが発音できる。 「フッチュ」は大抵、茂みや木に挨拶したいという意味だ。 ドアを開けて外に出してやると、彼は儀式にとりかかった。彼にとっては意識せずともうまくやれることである。字も読めず車も運転できず算数も分からず、多くの面でひどく無知な彼だが、いくつかの分野では私より賢いようだ。今実行しているような彼の専門分野、ゆったり堂々とにおいを嗅ぎまわって片足を上げるという儀式においては、彼の右に出る者はいない。 もちろん彼の世界は限られたものだが、では私の世界はどれほど広いというのだろう? ・「どちらまで?」 「どこまでも」 そして私が見たのは、旅の間に何度となく見ることになった憧れのまなざしだった。 「いやあ、私も行けたらなあ」「ここが気に入らないんですか?」「そりゃ満足はしてますよ。でも行きたいもんですね」「どこに行くかも分からないのに?」「構やしません。どこでもいいから行きたいね」 ・現場に飛び、鍵を握る人物に鋭く質問し、世論を掴み、道路地図のように整ったレポートをまとめるような記者を、私は前々から尊敬している。そういう技術を羨ましいとも思うが、同時にそうしたレポートが現実をそのまま映しているとは言じない。一つのレポートだけを肩じるには、現実の捉え方は多すぎると思うからだ。 私がこの本に書くことは一面の真実だろう。しかし私以外の誰かが同じ道を辿れば、また別のやり方で世界を捉え直すに違いない。文芸批評において、批評家が目についた犠牲者を自分の身の丈に合わせて作り変えるのと同じことだ。 ・えらく低次定の話だが、神話が作られていく仕組みを紹介しよう。生まれ故郷の町を訪れた時、私を子供の頃から知っている老人と話した。彼の私に関する記憶は鮮明だった。私は痩せこけた子供で、ある凍てつく朝に展えながら彼の家の前を通ったらしい。オーバーコートのサイズが合わないので、馬用の毛布を留めるピンを使って小さな胸の前で留めていたのだそうだ。 かわいそうな貧しい子供だった私が、まあ大したスケールではないにしろ、大人になって出世している。ーー些細な話だが、これこそが神話を作る材料なのである。 私はその時の記憶などないのだが、そんなことはありえないと分かっていた。私の母はボタンつけにはとびきり熱心だったのだ。ボタンがついていない服なんて、だらしないのを通り越して罪悪だった。もしも私がコートをピンで留めていようものなら、母に殴り飛ばされたことだろう。 本当のわけがないのだが、老人はこの話をとても気に入っていて、訂正したところで納得しそうもなかった。だから私もあえて言わなかった。もしも故郷の町が私に馬用毛布のピンをつけさせたいのなら、私が別のものに替えることなどできっこない。その子のオーバーコートは、真実などでは留められないのだ。 ・時がたつにつれ、自分の反応が鈍くなっているのに気がついた。いつも口笛を吹いていたのに吹かなくなった。飼っていた大とも話さなくなった。微妙な感情というのが消えていたのだろう。とうとう快楽と苦痛だけを基準にするようになっていたのだ。 そこで分かった。感情や反応の機微というのはコミュニケーションの結果なのだ。コミュニケーションがなければ機徴もなくなる。何も言うべきことがない人間は言葉を失う。逆もまた真なりで、何か言ってくれる相手がいない人間にも言葉は必要なくなり、言葉を失うのではなかろうか? ・こういう話は、懐古主義に凝り固まった年寄りの繰り言とか、改革反対を叫ぶ馬鹿や金持ちの主張のように響く。しかしそうではない。今のシアトルは、私の知っているシアトルが変化したものではない。新たにできた別物だった。ここがシアトルだと知らずに連れてこられたら、私はどこにいるのか分からないだろう。 いたるところが狂ったように発展している。ガン細胞のような発展だ。ブルドーザーが緑の森をなぎ倒してゴミに変え、積み上げて燃やそうとしている。コンクリート建築から撤去された足場用の白い丸大が灰色の壁の脇に積み上げられている。 発展というものは、どうしてこうも破壊と似ているのだろう。 ・アメリカ杉の木々からは静寂と畏怖が伝わってくる。肩じられない大きさや、見る間に移り変わる他合いだけではなく、我々の知っているどんな木とも違う存在なのだ。彼らは違う時代からの使者なのである。百万年前に絶滅したシダ類が、三億年前の石炭紀において石炭へと変化したという謎も、太古から生きる彼らの中には秘められているのだ。 光も影も彼らの中にある。どんなに自惚れた人間も、どんなに有頂天で不遜な人間も、アメリカ 杉を目の当たりにすると敬の念に打たれてしまう。まさに言葉通りに畏れ敬うのだ。紛れもない王者の風格を前にすると、人は頭を下げるべきだと感じるものなのである。 ・しかし私の頭で覚えたりもっと深い感覚に刻んだりしてきたものは、絡み合った無数の出みたいなものだ。ずっと以前に海洋生物の採取と分類に取り組みながら悟ったのだが、何を見つけるかはその時の気分に深く影響されるものなのだ。自分の外部の現実であっても、突き詰めれば自分の内部と繋がりを持っているものである。 巨大な国土の最強の国家、未来を生み出す種子たるアメリカも、私という小宇宙から見た大宇宙だと分かった。もしイギリス人やフランス人やイタリア人が私と同じルートを旅して、私と同じものを目にし、私と同じことを耳にしたとしたら、心に残る光景は私とは違ったものになるだろう。 ・「さて、この犬が喋れて、二本足で立つことができたらと考えてみてください。きっと何であっても上手にやってみせることでしょう。彼を晩餐会に招待することだってできるかもしれません。しかし、あなたは彼を人間と見なすことができますかな?」「つまり、自分の妹を彼の嫁にできるかってことですね?」 彼は笑った。 「わしはただ、物事に対する感情を変えるのがいかに難しいかを申し上げておるのです。それからこうはお考えになれませんか?黒人たちにしても、我々白人に対する感情を変えるのは難しいのです。それは我々が黒人への感情を変えるのと同じことですな。なにも新しい話ではないのです。長いこと続いてきたことですよ」 ・私が何度も寝返りを打つものだから、とうとうチャーリーが怒って何度も「フッチュ」と文句を言った。チャーリーは人間たちの問題など関係ない。原子を分裂させる知恵があるのに平和に暮らす知恵はないような種になど、犬は属していないのだ。チャーリーは人種のことなど知らないし、自分の妹の結婚なんて気にもかけない。そんな心配ごととは無縁なのである。 かつてチャーリーはダックスフントに恋をしたことがある。種族的に釣り合わず、体格的にも馬鹿げており、機能的にも無理がある恋だった。しかしそんな諸問題などチャーリーは気にしなかった。彼は相手を深く愛し、犬らしく全力を尽くしたのである。 なんだって千人もの人間が集まって一人の小さな人間を罵っていたのか、犬に向かって論理的かつ倫理的に説明するのは難しかろう。私は犬たちの瞳の中に、呆れて馬鹿にした表情が一瞬浮かんで消えるのを何度も見てきた。犬たちは基本的に人間を馬鹿だと思っていると、私は確信している。 ・私はただ、幾人かの人々が私に語ったこと、そして私が見たことを記しただけである。それが典型的なことなのか、そこから何らかの結論が導けるものなのか、私には分からない。私に分かるのは、南部は苦しみの中にあり、人々が混乱に陥っているということだ。そして解決に至る道のりは険しく込み入っていることだろう。 ムッシュー・シ・ジの言う通りだ。問題は結末ではなく、そこに至る手段なのだ。その手段が、恐ろしく不確かなのである。
  • 2026年2月11日
    強運の持ち主
    強運の持ち主
    ショッピングセンターの片隅で占い師を始めたルイーズ吉田は、元OL。かつて営業職で鍛えた話術と、もちまえの直感で、悩む人たちの背中を押してあげるのが身上だが、手に負えないお客も千客万来。「お父さんとお母さん、どっちにすればいいと思う?」という小学生。何度占いがはずれてもやって来る女子高生。「俺さ、物事のおしまいが見えるんよ」という大学生まであらわれて、ルイーズはついに自分の運勢が気になりだす…。 短編4つともとても心が温かくなった。 瀬尾まいこさんの小説はからっとした明るさと人と関わる温かさに溢れてるなぁ。 どの小説も、大変なことがあってもなんとかなるさと楽観的な気持ちになれるし、自分の周りにも人の温かさは沢山あると信じたい気持ちになる。 特に好きだったのは、再婚に最適な時期が占いで出てるのに、竹子さんが子供を理由に時期をずらすと伝えるシーン。 正論やデータよりも、自分の直感や感情が自分の大切にしたいものを表しているのだと思う。 ルイーズが帰宅すると、いつも通彦が変わったご飯を作って待っているところもほっこり。 相手への愛情って日常のそういうところに感じられるよなぁ。 人との関わりに疲れたら、また読みたい小説だった。 ・その晩はそのまま二人でリビングで朝まで過ごした。二人とも翌日仕事があるのに、うとうとしては目を覚まして、しゃべったり、愛し合ったりして過ごした。 通彦の身体の柔らかさも温かさも、どれもずっとなじんできたもので、終わりのにおいはどこにもない。通彦にくっつきながら、私の中の不安はおもしろいくらい簡単にするすると消えていった。結局、どんな才能のある人の言葉でも、予言や占いは当てにならない。自分で確かめてこそ、納得ができるのだ。 とりあえず、私と通彦の終わりはまだまだ訪れそうもない。通彦と抱き合っていると、そう確 僧できた。そして、それと同時に、私は自分のおしまいが何なのかがわかった。私の元に訪れるおしまいは、もっと他のことだったのだ。 ・うん。いくら正しいことでも、先のことを教えられるのは幸せじゃないよ。占いにしたって、事実を伝えるのがすべてじゃない。その人がさ、よりよくなれるように、踏みとどまってる足を進められるように、ちょっと背中を押すだけ。占いの役割って、そういうことなんだね。武田君におしまいを宣告されて、身をもってそれがわかった気がする ・「忙しかったけど、楽しかったな」と、大きな伸びをした。 「たくさんの人を見ると、その分やっぱり面白いよね」 「ええ。見ず知らずのいろんな人の話を聞くだけでも面白いのに、その上、その人の身の上のこととか、将来のこととか一緒に考えられるんだもん。お得な商売です」 「いかにも竹子さんらしい発想だね」 と、私は笑った。でも、案外当たっているかもしれない。それが占いの醍闘味なのかもしれな い。 ・「でも、早くしないと彼の運気はどんどん下がるよ。五月までに結婚しておかないとうまくいくかどうか・・・・・・」 「そうでしたね」 「そうでしたねって、せっかく今がチャンスなのに」「いいんです。私の人生は、健太郎しだいだから」「健太郎しだい?」 「ええ。いくら相性がよくても、健太郎がいやなものはだめだし、いくら時期がよくても、健太郎が認めてくれないと動けないから」 占いにまじめな竹子さんが、さらりと言ってのけた。 「そうなんだ」 「そうなんです。子どもがいると、大変ですよ。占いにも従えないんだもん」竹子さんはちっとも大変そうではなく、楽しそうに顔をしかめて見せた。 竹子さんの明日を決めるのは、占いでも自分自身でもない。竹子さんの明日は子どもによって、動いていく。私の運勢を動かすのは、今はまだ自分自身だ。だけど、ほんの少し、私のこれからを決めるのに、通彦が入り込んでる。通彦も同じ。私が入り込んでるはずだ。
  • 2026年2月10日
    着眼と考え方 現代文解釈の基礎
    改めて勉強
  • 2026年2月9日
    何者
    何者
    就職活動を目前に控えた拓人は、同居人・光太郎の引退ライブに足を運んだ。光太郎と別れた瑞月も来ると知っていたから――。瑞月の留学仲間・理香が拓人たちと同じアパートに住んでいるとわかり、理香と同棲中の隆良を交えた5人は就活対策として集まるようになる。だが、SNSや面接で発する言葉の奥に見え隠れする、本音や自意識が、彼らの関係を次第に変えていく……。 就活のときの惨めさを思い出した。。 友達の結果に一喜一憂して自己嫌悪に陥るのなんて身に覚えがありすぎて😱笑 自分の就活時代を思い出して胸がきゅーっとなると共に、登場人物の心理描写がリアルで共感できる小説だった。 自尊心を保つために人は本心を隠すけど、サワ先輩が言うように敢えて言わない本音、弱さを想像できたら、自分も相手も尊重できる気がする。 ・ツイッターの自己紹介画面に映っている自分の名前。にのみやたくと@劇団プラネット。 劇団の脚本を書いたり役者として舞台に上がるときは、漢字をひらいて、名前をひらがなで表記する。 漢字をひらがなにする、たったそれだけのことで何者かになれた日々は、もう遥か昔のことのようだ。 ・いつからか俺たちは、短い言葉で自分を表現しなければならなくなった。フェイスブックやブログのトップページでは、わかりやすく、かつ簡潔に。ツイッターでは一四〇字以内で。就活の面接ではまずキーワードから。ほんの少しの言葉と小さな小さな写真のみで自分が何者であるかを語るとき、どんな言葉を取捨選択するべきなのだろうか。 ・就職課には、内定者ボランティア、と呼ばれる人たちが常駐している。就活生のどんな相談にも乗ってくれる内定者ボランティアはみんな、首から小さなカードをぶら下げている。そこにはその人の名前より大きな文字で、内定先の企業名が書かれている。 ・個人の話を、大きな話にすり替える。そうされると、誰も何も言えなくなってしまう。 就職の話をしていたと思ったら、いつのまにかこの国の仕組みの話になっていた。そんな大きなテーマに、真っ向から意見を言える人はいない。こんなやり方で自分の優位性を確かめているとしたら、隆良の足元は相当ぐらぐらなんだろうな、と俺は思った。 ・やっぱり、想像力が無い人間は苦手だ。 どうして、就職活動をしている人は何かに流されていると思うのだろう。みんな同じようなスーツを着るからだろうか。何万人という学生が集まる合同説明会の映像がニュース番組などで流れるからだろうか。どうして、就職活動をしないと決めた自分だけが何かしらの決断を下した人間なのだと思えるのだろう。周囲がみんな黒髪でスーツを着ているときに髪を染めて私服を着ていられるからだろうか。つまらないマナー講座を笑っていられるからだろうか。 たくさんの人間が同じスーツを着て、同じようなことを訊かれ、同じようなことを喋る。 確かにそれは個々の意志のない大きな流れに見えるかもしれない。だけどそれは、「就職活動をする」という決断をした人たちひとりひとりの集まりなのだ。自分はアーティストや起業家にはきっともうなれない。だけど就職活動をして企業に入れば、また違った形の「何者か」になれるのかもしれない。そんな小さな希望をもとに大きな決断を下したひとりひとりが、同じスーツを着て同じような面接に臨んでいるだけだ。 「就活をしない」と同じ重さの「就活をする」決断を想像できないのはなぜなのだろう。 決して、個人として何者かになることを諦めたわけではない。スーツの中身までみんな同じなわけではないのだ。 ・俺たちは、人知れず決意していくようになる。なんでもないようなことを気軽に発信できるようになったからこそ、ほんとうにたいせつなことは、その中にどんどん埋もれて、隠れていく。 光太郎が、成績証明書が必要になるくらいの段階にまで辿り着いていたことだって、ツイッターもフェイスブックもメールも何も無ければ、隠されていたような気持ちはしなかったかもしれない。ただ話すタイミングが無かったんだ、と、思えたかもしれない。だけど、日常的に光太郎のことを補完してくれるものがたくさん存在してしまうから、意図的に隠されていたような気持ちになってしまう。 俺は紙の白を見つめる。 ほんとうのことが、埋もれていく。手軽に、気軽に伝えられることが増えた分、ほんとうに伝えたいことを、伝えられなくなっていく。 ・就職活動において怖いのは、そこだと思う。確固たるものさしがない。ミスが見えないから、その理由がわからない。自分がいま、集団の中でどれくらいの位置にいるかがわからない。面接が進んでいく中で人数が減っていき、自分の順位が炙り出されそうになったところで、また振り出しに戻ってしまう。マラソンと違って最初からゴールが定められているわけではないから、ペース配分を考えるなんていう頭脳戦にも持ち込めない。クールを装うには安心材料がなさすぎるのだ。 だから、その中でむりやりクールを装おうとすると、間違った方向に進んでしまうことになる。説明会で自分だけ私服だったことをアピールしてみたり、就活という制度そのものを批判することで、個性とか、夢とか、そういう大きな話への転換を試みてみたり。 ・「お前、こんなことも言ってたよな」 返事をすることができないでいると、サワ先輩の声が少し、小さくなった。 「メールやツイッターやフェイスブックが流行って、みんな、短い言葉で自己紹介をしたり、人と会話をするようになったって。だからこそ、その中でどんな言葉が選ばれているかが大切な気がするって」 サワ先輩は、ツイッターもフェイスブックも利用していない。 「俺、それは違うと思うんだ」 サワ先輩は用があるならメールじゃなくて電話して、と、いつも俺に言ってくる。 「だって、短く簡潔に自分を表現しなくちゃいけなくなったんだったら、そこに選ばれなかった言葉のほうが、圧倒的に多いわけだろ」サワ先輩は、この現実の中にしかいない。 「だから、選ばれなかった言葉のほうがきっと、よっぽどその人のことを表してるんだと思う」 俺はサワ先輩の背中を見つめる。 「たった一四〇字が重なっただけで、ギンジとあいつを一緒に束ねて片付けようとするな よ」 いつのまにか、目の前には、目的の図書館がある。 「ほんの少しの言葉の向こうにいる人間そのものを、想像してあげろよ、もっと」 ・誰も渡らない深夜の横断歩道を前にして、タクシーは動かない。 「なんかみんなさ、すげえ考えてんの。これからの出版業界のこととか、どういう企画やりたいとか、すげえ熱く語れんの、すでに」 十数時間前、光太郎は、会社の同期に初めて会った。昼に人事部を含めて食事会をして、そのあとは同期だけで夕方までファミレスにいたという。 「それ聞いてさ、俺、思ったんだよね」 僧号が青になる。 「俺って、ただ就活が得意なだけだったんだって」車が動き出して、背もたれに乗っている光太郎の頭が小刻みに揺れた。 「足が速いとかサッカーがうまいとか、料理ができるとか字がうまいとかそういうのと同じレベルで、就活が得意なだけだったんだよ」また、メーターが上がる。 「なのに、就活がうまくいくと、まるでその人間まるごと超すげえみたいに言われる。就活以外のことだって何でもこなせる、みたいにさ。あれ、なんなんだろうな」チッチッチッチ、と音がしたと思うと、タクシーが右に曲がった。 「それと同じでさ、ピーマンが食べられないように、逆上がりができないように、ただ就活が苦手な人だっているわけじゃん。それなのに、就活がうまくいかないだけで、その人が丸ごとダメみたいになる」 ・「笑われてることだってわかってるくせに、そんなことしてるのは何でだと思う?」 理香さんは、歯を食いしばりながら、言葉の続きを絞り出しているように見える。 「それ以外に、私に残された道なんてないからだよ」 唇からではなく、全身から、声が聞こえてきたような気がした。 「ダサくてカッコ悪い自分を理想の自分に近づけることしか、もう私にできることはないんだよ」 鳴っているみたいだ、と俺は思った。 「ダサくてカッコ悪い今の自分の姿で、これでもかってくらいに悪あがきするしかないんだよ、もう」 震えるようにそう言う理香さんは、まるで全身を鳴らしているように見える。 耳の中で、いろんな人の声が蘇る。 「自分は自分にしかなれないんだよ。だって、留学したってインターンしたってボランティアしたって、私は全然変わらなかったもん。憧れの、理想の誰にもなれなかった。貧しい国の子どもと触れあったり、知らない土地に学校を建てたりした手でそのまま、人のアドレスからツイッターのアカウント探したり、人の内定先をネットで検索したりしてる。 それがブラック会社って噂されてるようなところだったら、ちょっと、慰められたりしてる。今でも、ダサくて、カッコ悪くて、醜い自分のまま。何したってね、何も変わらなかった」
  • 2026年2月7日
    満月が欠けている
    歌人である著者が持病である緑内障とその周辺について語った本。 子供時代から弱かった目の話から、眼科の主治医・精神科医との対談、目に関する詩、死生観についての話が書かれている。 弱みを抱えて生きるということ。 でも、世間一般で考えられている弱みは本当に弱さなのだろうかと考えさせられる。 「涙と同じ成分の目薬は何かに違反してる気がする」という詩と、「統合失調症患者は人類にとっての『生きのびるための保険』だと言えるのではないか」という話が特に好きだった。 ・人は苦しむ以上に恐れる フランスの哲学者のアランの『幸福論』という本の中に「われわれは苦しむ以上に恐れるのである」という言葉があります。子供の頃、その言葉を見つけて、線を引いた記憶があります。 ちなみに、私がとても恐れているのが睡眠不足です。夜中に自宅に帰ってきて、翌朝早くに起きなくてはいけないことになると、今すぐ寝てもほとんど眠れないのではないかと思ってなかなか寝つけないんです。 すると、余計な心配が頭に浮かんできてすごく焦り始めます。ただ、実際に寝不足で大失敗したことなんて人生で記憶にないくらいのことなんですよ。だけど、寝不足を恐れたことは100回や200回じゃ済まないぐらいあります。その労力に全然釣り合っていないんですよね。自分にとっては苦しんだり失敗したりすることよりも、不安で恐れることのほうが心の中に占める割合がすごく大きいみたいです。 実際には、ほとんど寝ていなくても次の日に眠くなった記憶はありません。むしろ、仕事が終わって、たっぷり寝た次の日のほうが眠いことがあるから不思議ですよね。 どうやら、まだ物事が起きていない時にこそ、人間は不安を感じるらしい。 実際に本番になったら、「昨日俺は寝ていないんだ」みたいには思わないですよね。 でも、どうしても克服できない。次の仕事の前日になると、また同じ不安に駆られてしまうんです。 ・ビクビクの個人差 私の中で睡眠不足を恐れることと緑内障を恐れることは似た側面があります。緑内障は自分が病気であることに気づいていない人が多いそうです。現在治療している人はほんの一部で、潜在的には500万人近い人が緑内障の有病者だと言います。 でも、たとえ病気に気づいていなくても、失明などの致命的なことが起きる割合は、おそらくそんなには多くないのではないでしょうか。なぜなら、緑内障は高齢者に多い病気なので、実際に自覚症状が出る前に亡くなる人が多いからです。おそらくそうした人は、自分の目が悪いとはまったく思わずに人生を終えたのではないかと思います。 でも、私は早めに緑内障が見つかったので、すごくビクビクしていろいろと情報を調べました。眼科にも何度も行って目薬も総額でいくらになるのか分からないほど購入しています。時間もお金もメンタルも削られて、最後まで何とか生活に不自由のない視野が保てれば、「良かった」と思うことができるわけですが、緑内障であることに気づかないまま亡くなった人と私の差っていったい何なのだろうと考えると、不思議な感情に襲われます。 でも、気づいてしまった以上、ギリギリセーフとギリギリアウトは大きな違いです。 リアルタイムの患者としては、早く見つかって良かった、というのは確かなことです。 ただ、緑内障の患者さんの中には、病気が見つかっても放置する人も多いと聞きます。だから、誰もが未来のことを恐れるわけじゃないんですよね。 徹夜が平気な人もいれば、仕事に行って居眠りをして失敗をしても、さほど気にしないという人もいます。それどころか、また同じことを繰り返す強いメンタルの人すらいます。物事を恐れる度合いには大きな個人差があるみたいですね。 ・涙と同じ成分の目薬は何かに違反してる気がする シラソ ・消し惜しむ手術前夜の冬灯視力戻るは五分五分なれば 越前春生 ・誰も他人のことは分からない 妻と食堂に入ると、「きっとこれを注文するだろう」と、予想してみるのですが、結構な割合で外れてしまいます。今まで一度も頼んだことのないようなものを急に注文したりして、驚くことがよくあります。長年いっしょにいてご飯を食べている夫婦でも、そういうものなんですね。 また、違った意味で予想できなかったのが、編集者の二階堂奥歯さんのことです。 二階堂さんと本の打ち合わせをしていた時、私がのろのろしていて、なかなか仕事を進めないことに業を煮やした彼女が、「早く書いてくれないと、私死んじゃうかもしれないから間に合いませんよ」って言ったんです。 私はその言葉を完全に冗談だと思っていました。なぜなら、彼女は若くて賢くてセンスがあって、編集者としても非常に優秀な人でした。また、多くの友人に囲まれて恋人もいて家族仲も良かったそうなんです。客観的に見ると、死ぬ理由なんてまったくないように思えたんです。 ところが、ある日、訃報というタイトルのメールが来ていて、文面を見たら、二階堂さんが亡くなったという知らせでした。衝撃でした。「あの言葉は本当だったんだ」と思いました。実際、二階堂さんとつくろうとしていた本は、まだ打ち合わせ段階で完成しませんでした。私は全然、分かっていなかった。 芸能人などの自殺のニュースに驚くことがありますよね。美しくて活躍していて幸せそうで、苦しみの気配なんて見えなかった人が突然亡くなってしまう。 でも、その人からしたら、生きていたくないほど苦しかったんでしょう。それなのに、他人が外から見ても、そのことは分からないという事実に衝撃を覚えます。これってすごく怖いことですよね。 もしそうなら、死のこと以外でも、親しいと思っている人に嫌われている可能性だって、そのほかのなんだって、十分あり得るわけですから。 ・精神科の場合、病気を治すという発想でやっていたらあまり意味がありません。患者さんの考える幸福の着地点をいっしょに見つけるほうが重要だと思います。軽い病人であるほうが幸せなんていう人はいくらでもいるわけです。健康すなわちハッピーとはまったく言えません。 どう生きていきたいのかという患者さんの主観にかかっているんですね。 病気を「やっつける」「退治する」といった単純な考え方では、精神科では通用しないということです。その延長で申すなら、ぜんそくや緑内障などの慢性疾患も完治するという発想を捨てれば、どの辺りで折り合いをつけるのかという話になると思います。その点では精神科と近いところがあるのではないでしょうか。 ・私が診療で重要だと思っているのが、「プロセス」と「罪悪感」です。人生にはなかなか結論や結果が出ないとか、どう頑張っていいのか分からないとか、中途半端であったり曖昧な状態にとにかく耐えなければならないシーンが多い。我武者羅に努力すればどうにかなる、なんてわけにはいかない。だからせめて過去の成功体験にすがって自分を勇気づけたり、本やドラマを通して自身を鼓舞したり、楽天的で前向きな気持ちになろうとあれこれ工夫しつつ機が熟すのを待つしかない。 でも精神を病むと、機が熟すのを待つだけの余裕が失われてしまうんです。「待てば海路の日和あり」と驚場に構えてみるとか、せめて可能な範囲で準備を繋えるとか、ちょっと方向性を変えてみるとかの「ゆとり」がなくなってしまう。 あたかも無駄とか回り道のように見えるプロセスの必要性を患者さんは倍じられなくなる。私が言う「プロセス」とは、そのような無意味に映るけれども実は必要不可分な過程のことですね。 罪悪感について言えば、患者さんの中には親の期待に応えられなかったり、自分自身の理想に近づけなかったりといったある種の後悔を引きずっている人がいます。でも、罪悪感を持っていない人なんていません。むしろエネルギーにすらなり得る。そのことをはっきりと指摘したほうが患者さんの中で気持ちが整理されて楽になる場合もあるんですよね。 ・人間以外の動物はおそらく死ぬのはまったく怖くないのだと思います。種として存在してさえいればいいというようなある種の安心感のようなものを感じます。人間以外の動物にとって死は皮膚細胞の一つがはがれるような感覚なのでしょう。 確かにそう見えますね。動物にとって死は恐れることではないとすると、時間の概念がないとも言えると思います。でも、動物も歳をとります。動物が時間を知らなくても老化を免れないというのは、不思議な感じがしますね。 春日 動物も「最近不便になったな」というような感覚はあるのではないでしょうか。 「もっと高くジャンプできたのに」とか思っているかもしれませんね。でも、人間は「今60歳なのでまだこれぐらいはジャンプできるけど、80歳になったらさぞかし厳しいだろう」とか思ってしまいます。どうしたら、人間は主観的な幸福感を最大限にして死んでいけるのでしょう。 誰もが工夫していますが、いまだ達成できていないテーマだと思います。ただ、最近のベストセラー本を読んでいると、「自分が滅びてもいずれ誰かが達成できればよいと思えるようなライフワークを見つけなさい」とは言っていますね。 いわゆる大義ってことでしょうか。でも、動物は繁殖できればライフワークは達成なのでしょう。ある時代までは人間もそのような感じだったのかも。やがて家族や家という制度ができてくる。 精神科の立場で見ると、家族や家が精神病理に与える影響は大きいものがあります。ちなみに、思想家の内田さんは両親と子一人の核家族は家族ではなく、単なるパワーゲームの場だと言っています。つまり、子供が小さいうちは親の権力が絶大で、子供が成長すれば親に復讐することもあるというわけです。そこで、内田さんは「おじさんか、おばさんがいれば、親の絶対性が揺らいでパワーバランスが整うのだ」と指摘しています。もし、そのような環境がないのだとしたら、就職や結婚などで早いうちに家の外に出ることが生物的に自然なことなのだと思います。精神的に不健康な家族から逃げ損ねた人を診察していると、親といることで、精神病理がますます煮詰まっていく傾向にあるように感じます。 確かに、動物は早いうちにみんな独り立ちしますよね。そうなると、人間にとって家を出るというのはどういった意味があるのでしょうか。 「自分なりの価値観に基づいて生きていく」ということでしょう。自分に正直に、ね。でもそんなことを言いながら私も30歳まで家にいましたけどね。 ・生と死について疑問に思っていることがあります。私たちはふだん、生をノーマル状態、死を一種の非常事態のように捉えていますが、実際は逆なのではないかということです。死の大海の上にかろうじて浮かんでいる木切れのような生のイメージです。むしろ生のほうが例外的な事態なんじゃないか。 そんな我々にとって、死は無根拠に突然襲ってくるものなので、本来は絶えずそれに対して心を向けていなくてはいけないはずです。でも、その事実による衝撃があまりにも大き過ぎるので、とても耐えることができない。ですから、私たちの意識は死をぎりぎりまで直視しないように隠蔽する方向に向かうのだろうと思います。 確かに、医療現場で患者さんが亡くなって家族が泣いているシーンを見ても、泣かなきゃいけないと思って泣いている人が案外多いように感じます。死を特別なものとして扱わなければならないというある種の思い込みがあるのでしょ らね。 詩人の言語感覚に死への感度を見ることがあります。以前、あるイベントに登壇して、最初に一人ずつ「こんにちは」と自己紹介をしている時、詩人の白石かずこさんは第一声で「私が死のうと思った夜、電話が鳴った」と言われました。 思わず息を呑んでしまいましたが、考えてみると、最初は「こんにちは」から入るというのは「しばらくは死なない」と宣言しているようなものかも。言わば、死の隠蔽が手順化したものと言えるのではないでしょうか。 白石さんが「こんにちは」と同じくらいの感覚で「自殺を考えていることをほのめかす」というのは死を日常的なものとして見ているということですよね。 精神科医をしていると、度々自殺をする患者さんに遭遇することがあります。 自殺は個別的に見ると痛ましい出来事ですが、仮に私が神様で人間をつくるとしたら、自省を促す契機を与えるといった意味合いで、一定の割合で自殺をするプログラムを組み込むと思います。自殺によって「人間の心はなんて不可解なんだろう」と、時にはショックを与えることも必要なのではないかと思っています。そうやって人間の感情を揺さぶることによって、不可解な出来事を探求したり繊細な感情を表現したりする哲学や思想や芸術が生まれたのでしょう。 マクロな視点で見れば意味があるということですね。 詩人の感受性と世間でときおり生じる不可解な自殺とは、どこかで通底しているのかもしれません。 ところで、統合失調症患者は孤独と痛みに対してとても強いと言われています。 彼らはどこか浮世離れしていたり、そつなさを求められる通常のコミュニケーションではハンディがありますが、ジャングルの中で水源を発見するような場面ではある種の鋭敏さを発揮します。 現代の基準では非日常的な場面でこそ力を発揮するということですね。 ちなみに、「統合失調症患者はどの国、どの人種にもほぼ1%弱いる」と言われています。神様が非常時に救世主となる存在をプログラムしていると考えるならば、統合失調症患者は人類にとっての「生きのびるための保険」だと言えるのではないでしょうか。 途方もない天変地異が起きても誰かが生き残るためには、現代社会では力を発揮できないような人が一定数いなければいけない。言わば多様性ですよね。そういったマクロな視点で見ると、病気にも潜在的な意味があるのではないでしょうか。 ・本当に大切なもの 私は子どもがカブトムシやプラモデルを大切に思う気持ちと大人が健康やお金を大切に思う気持ちには、大きな隔たりがあると思っています。子どもは健康を損ねたり、お金を自分で使ったり管理したりする経験が乏しいので、これらを強く意識することはありません。つまり、子どもがカブトムシやプラモデルを大事に思う気持ちの中には純粋な関心や興味しかないんです。一方、大人が健康やお金が大事という時には、言葉の詐術による価値のすり替えのようなものが働いているのではないかと思っています。 私も歳を重ねるにつれて、健康を維持するために病院に行く機会が増えています。 内科だけでも二つとか行くようになると、お金も時間もかかります。歳をとると通勤するように病院に行く感覚がだんだんと分かるようになってきました。でも、本当は病院に行きたい人なんていないと思います。それよりも旅行に行ったり趣味に時間を使ったりしたいはずですが、病院のほうが強制力が強いんですよね。会社にも病院と似たところがあって、こちらはお金のためですね。もしかしたら、病院や会社に行きたい人もいるかもしれないですが、健康やお金のためだと思うと強制力は強くならざるを得ません。 でも、私は本当の意味ではお金や健康など大切ではないと思っています。それらはただ、なくてはとても困るものというだけなんです。お金はただの紙切れと金属だから、大切なわけがないのですが、なくては困るんです。健康だって自分自身を人質に取られているようなものです。 一方、カブトムシやプラモデルはなくても絶対的に困ることはない。ただ、純粋に好きだから大切というだけです。なくては困るものを大切と言うのであれば、健康やお金はもちろん何よりも大切ですが、私にはその二つは本当は別のことのように思われます。 ・「生きる」と「生きのびる」 表現をする際に意識していることは他にもあって、例えば「生きのびる」と「生きる」という概念です。生きのびるというのは、前述のように健康やお金について、「なくては困る」がイコール「大切」と意識がずらされている状態を言います。つまり、生きのびなければ、生きることができないということです。ちなみに、生きのびるということの目的は全員が共有しています。当然目指すべきベクトルもいっしょになっていきます。 病院や会社を最高の場所と思っていなくても、生きのびるためにどうしても行かなくてはならないことがあります。我々は生きのびるという土台の上で、初めて生きることができるからです。 一方、生きるのほうは、先ほど述べたように詰将棋や乗り物の空気抵抗の考察など、人によってやりたいことの方向性が異なります。例えば、住宅地の道で私がずっとしゃがんでいるとしましょう。すると、不審者だと思われてお巡りさんがやってきます。 この時お巡りさんに「コンタクトレンズを探しています」と言えば、全員が共有している生きのびるの概念に該当して、社会的にOKになります。コンタクトレンズを探すのは「なくては困る」からですよね。 しかし、「このアリの列がどこまで続いているのかなと思って」と言うとNGになります。この「なぜアリの列が見たいのか?」と聞かれても答えることができない状態こそが生きるに相当します。その人にとって、なぜそれが大切なのかは説明が難しいけれども、人間の最終的な目標は生きるのほうのはずです。多くの人が死ぬ時に後悔するのは生きのびることに資源を割き過ぎたということなんですね。「もっと純粋に生きることに熱中すれば良かった」と思う。でも、死ぬまでの時間を何十年も引き延ばされてしまうと、生きのびることの強制力のほうがどうしても強くなってしまうんです。 無頼派の詩人やロックスター、冒険家、犯罪者といった非社会的な適性がある一部の人以外は、なかなか生きのびることへの強制力に抗えません。また、多くの場合、生きのびることに抗ったロックスターや冒険家や犯罪者は早く死にがちです。そうしたこともあって、我々はこうした人々のことを心のどこかで羨ましく思いつつ、決して真似しようとは思いません。 ・みんな方舟の上に乗っている 社会は生きのびるという全員の共通目的の上で、個人に対して最大公約数的な生存への優位性を求めます。ただ、それも時代や国が変われば、まったく変わってしまうんです。例えば、「みだらな行為」という言葉がありますよね。つまり、これは性的な行為のことを指すわけですが、この言葉が使われるのは報道の場面など特定の状況だけです。本来は種の保存にとってなくてはならない行為が局面によって善にも悪に もなる。 昔の日本ではいわゆる婚前交渉は禁忌で「一線を越える」などと表現していましたが、時代を経るにつれて「できちゃった婚」「授かり婚」といったようにネーミングが変わっていきました。いつの間にか良いものであるかのように意味さえも変わってしまっているんです。現象自体は同じことを指しているのに、ネーミングが変わっているのは社会のニーズが変化したからだと言えるでしょう。 そうした観点で今の社会を見ていると、自分が若かった頃に関心を持ち、みんなが資源を投入して、コミットした問題は、もはや現在の重要事項ではなくなっているという感覚があります。でも、それが果たして解決したのかと言うと、必ずしもそうではないと思います。私はこうした時代の変化の本質をマイノリティ性の問題として捉えています。 若い世代の人たちは、当事者性やマイノリティ性の問題に非常に敏感です。さまざまな領域の若い人たちと話すと、彼ら、彼女らの多くは弱さをキーにした表現の展開に関心を持っています。 私も以前からマイノリティ性や弱さを表現のテーマの一つにしてきましたが、それは自分の資質的なものが大きかったんです。「暗いダメ人間が魔法の杖を手に入れて世界をひっくり返す」というようなイメージを持っていました。単に今までマイナスだったから、プラスになる魔法の杖はないかなと探すような感じですね。これは弱さが強さに反転するという夢を求めているだけなんですよ。 でも、若い世代の人たちはもっと倫理的なことを考えているみたいです。その根本では、他者とどう向き合っていくのかということが問われていると思っています。人間の数だけ無限の立場と考え方があり得るわけなんです。でも、かつての私が表現の中で想定していたのは他者がいない世界なんです。 私の若い頃には世界が滅びるとか日本がダメになるとか、そういう感覚はありませんでした。当時は、世界はとても広く、ポテンシャルがまだまだあると思っていました。そうした条件下においては、他人と傷つけあっても互いに別の場所で生きていけばいいだけで、無数の選択肢があると考えることができました。 でも、時代の流れの中で近年感じるのは、全員が方舟に乗って危うい運命を共有しているような感覚です。そんな状況だと、方舟の上で喧嘩するとか焚き火をしちゃうとかいったことは、非常にリスクが高くなってしまいます。加害性について全員が敏感になる必要がある。かつてのようにそこにポテンシャルがあれば互いに傷つけあってもいいだろう、といった考え方は今は成立困難に思えます。
  • 2026年2月7日
    ケーキの切れない非行少年たち
    児童精神科医である著者は、多くの非行少年たちと出会う中で、「反省以前の子ども」が沢山いるという事実に気づく。少年院には、認知力が弱く、「ケーキを等分に切る」ことすら出来ない非行少年が大勢いたが、問題の根深さは普通の学校でも同じなのだ。人口の十数%いるとされる「境界知能」の人々に焦点を当て、困っている彼らを学校・社会生活で困らないように導く超実践的なメソッドを公開する本。 自分が当たり前だと思っていることが当たり前でない人がいる、他の人が感じない行きづらさを抱えて生きている人がいるということを知り、自分の"当たり前"だけでモノを見る危険性を再認識できた。 著者が挙げる社会面の支援は知能の高低に関わらず必要だと感じた。 最近は非認知能力の大切さについて広く人口に膾炙しているが、前提として認知能力あってのことだとわかった。 ・自分に自肩がないと自我が脆くて傷つきやすいので、"また俺の失敗を指摘しやがって"と攻撃的になったり、”どうせ俺なんていつも目だし・・・・・・と過剰に卑下したりして、他者の言葉を好意的に受け取れないのです。 ・怒りのもう一つの背景として自分の思い通りにならない”といったものもあります。 これは「相手への要求が強い」「固定観念が多い」といったことが根底にあります。相手に「こうして欲しい”と願う要求の強さや、"僕は正しい””こうあるべきだ”といった歪んだ自己愛や固定観念が根底に強くあるのです。 ・1次障害:障害自体によるもの 2次障害:周囲から障害を理解されず、学校などで適切な支援が受けられなかったことによるもの 3次障害:非行化して矯正施設に入ってもさらに理解されず、厳しい指導を受け一層悪化する 4次障害:社会に出てからもさらに理解されず、偏見もあり、仕事が続かず再非行に繋 がる ・ここで気付いて欲しいことがあります。時代によって知的障害の定義が変わったとしても、事実が変わるわけではないことを。IQ70~84の子どもたち、つまり現在でいう境界知能の子どもたちは、依然として存在しているのです。 彼らは知的障害者と同じくしんどさを感じていて、支援を必要としているかもしれません。では、これらの子どもたちはどのくらいいるのでしょうか。知能分布から算定すると、およそ14%いることになります。つまり、現在の標準的な1クラス35名のうち、約5人いることになります。クラスで下から5人程度は、かつての定義なら知的障害に相当していた可能性もあったのです。もちろん話はそんな単純ではありませんが、現在の学校では、このようにクラスで下から5人の子どもたちは、周囲から気付かれずに様々なSOSのサインを出している可能性があるのです。 ・前章でもお伝えしましたが、現在知的障害者の定義はおおよそIQが70未満で社会性に障害があることとなっています。この定義であれば、およそ2%が知的障害に該当することになります。しかし、1950年代の「IQ85未満」を適用すると、16%ということになります。16%から2%を引くと、IQ70~84のかつての軽度知的障害者は14%もいた、という計算になります。もちろん最新のDSMー5による知的障害の診断基準ではIQの値がなくなり、今では全く当てはまりませんが、この世の中で普通に生活していく上で、1Qが100ないとなかなかしんどいと言われています。IQ85未満となると相当なしんどさを感じているかもしれません。 ・"褒める"話を聞いてあげる”は、その場を繕うのにはいいのですが、長い目でみた場合、根本的解決策ではないので逆に子どもの問題を先送りにしているだけになってしまいます。 例えば、勉強ができないことで自をなくしイライラしている子どもに対して、「走るのは速いよ」と褒めたり、「勉強できなくてイライラしていたんだね」と話を聞いてあげたりしても、勉強ができない事実は変わらないのです。根本的な解決策は、勉強への直接的な支援によって、勉強ができるようにすること以外では有り得ません。 ・第二に、そもそも「自尊感情が低い」ことは問題なのか、ということです。 我々大人はどうでしょう。自尊感情は高いのでしょうか?仕事がうまくいかず、自肩を失って自尊感情が低いことはあるでしょう。逆に、仕事が軌道にのり、社会的に成功すれば、自尊感情が高くなることもあるでしょう。それでも、社会の荒波に揉まれながら思った通りの仕事ができない、職場の対人関係がうまくいかない、理想の家庭が築けないなど、自肩がなかなか持てず、自尊感情が低くなってしまっている大人の方が多いのではないでしょうか。 だからと言って、ほとんどの人が社会で犯罪を行っている、不適応を起こしているわけでもありません。つまり、自尊感情が低くても社会人として何とか生活できているのです。逆に、自尊感情が高すぎると自己愛が強く、自己中のように見えてしまうかもしれません。大人でもなかなか高く保てない自尊感情を、子どもにだけ「低いから問題だ」と言っている支援者は、矛盾しているのです。 問題なのは自尊感情が低いことではなく、自尊感情が実情と乖離していることにあります。何もできないのにえらく自言をもっている。逆に何でもできるのに全然自信がもてない。要は、等身大の自分を分かっていないことから問題が生じるのです。 "自尊感情が低い"といった言葉に続くのは、「自尊感情を上げるような支援が必要である」といった締めの言葉です。こんな文章を見る度、「そもそも文章を書いている心理技官の自尊感情は高いのか」と聞きたくなります。無理に上げる必要もなく、低いままでもいい、ありのままの現実の自分を受け入れていく強さが必要なのです。もういい加減「自尊感情が••・・・」といった表現からは卒業して欲しいところです。 ・社会面の支援とは、対人スキルの方法、感情コントロール、対人マナー、問題解決力といった、社会で生きていく上でどれも分かせない能力を身につけさせることです。これらのどれ一つでも出来ていなければ、社会ではうまく生活していけないでしょう。 そういった最も大切な社会面の支援が、学校教育で系統立ててほとんど何もなされていないということが、私にはどうしても理解できません。学校教育で何もなされていないので、少年院に入ってきた少年には、一から社会面について支援していかないといけないのです。 ・しかし、一つ問題があります。このソーシャルスキルトレーニングは認知行動療法に基づいていますので、「対象者の認知機能に大きな問題がない」ことが前提になっています。認知行動療法は、考え方を変えることによって不適切な行動を適切な行動に変えていく方法ですが、"考え方"を変える以上、ある程度の「考える力」があることが当然の前提になっています。そこには聞く力、言語を理解する力、見る力、想像する力、判断する力が必要なのです。これらの力がまさに認知機能と呼ばれるものです。 逆に言えば、対象者の認知機能に何かしらの問題があれば、トレーニングを受けていても何をやっているのか理解できない、判断できない、といった状況が生じてしまい、その効果は分からなくなってくるのです。にもかかわらず、矯正教育や学校教育の現場の中には、対象者の能力を考慮せずに、ソーシャルスキルを上げるにはとにかくソーシヤルスキルトレーニングを、といった形式的な対応がなされていることもあるのです。 ・ここに述べた実際の声は、大きく次の二つにまとめられるかと思います。一つは自己への気づきであり、もう一つは自己評価の向上です。 人が自分の不適切なところを何とか直したいと考えるときは、「適切な自己評価」が 150 スタートとなります。行動変容には、まず悪いことをしてしまう現実の自分に気づくこと、そして自己洞察や葛藤をもつことが必要です。適切な自己評価ができるからこそ "悪いことをする自分”に気づき、”また悪いことをやってしまった。自分って何で駄目な奴なんだろう""いつまでもこんなことしていられない。もっといい人になりたい”などといった自己洞察・自己内省が行えるのです。そして、理想と現実の間で揺れ動きながらも、自分の中に「正しい規範」を作り、それを参照しながら"今度から頑張ろう”と努力し、理想の自分に近づいていくのです。そのためにはやはり、自己を適切に評価できる力、つまり”自分はどんな人間なのか"を理解できることが大前提なのです。 ・自己に注意を向けることで自己洞察や自己内省が生じる背景に、自覚状態理論というものがあります。自己に注意が向くと、自分にとってとても気になっている事柄に強く関心が向くようになります。その際、自己規範に照らし合わせ、その事柄が自己規範にそぐわないと、不快感が生じます。この不快な感情を減らしたいという思いが、行動変容するための動機づけになる、というものです。例えば、ある少年が万引きをしようと考えた時、自己に注意を向ける機会があると、万引きという行為自体についても関心を向けるようになります。そして、万引きは悪いことだ”といった規範をその少年がもっていれば、そんな自分を不快に感じ、万引きを止めるきっかけになる、というわけです。 自己に注意を向けさせる方法として、他人から見られている、自分の姿を鏡で見る、自分の声を聴く、などがあります。かつて飛び込み自殺が多かった札幌の地下鉄のホームに鏡を設置したところ、自殺者が減った、といった報道がありました。事実関係を直接調べたわけではありませんが、これは頷ける話です。鏡で自分の姿を見ると自己に注意が向けられ、「自殺はよくないことだ」という自己規範が生じ、自殺者は減るだろうと考えられるからです。 この理論が正しいなら、学校で先生が子どもに対し"あなたを見ていますよ”といったサインを送るだけでも効果があります。また、少人数のグループワークではメンバー同士、お互いがお互いを密に観察し合っていますので、それだけでも抜群の効果があると考えられます。学校でのグループワークの大切さの所以です。加えて、平生から我々大人が見本となり、「正しい規範」を子どもに見せることが重要なのは言うまでもありません。 自分が変わるための動機づけには、自分に注意を向け、見つめ直すことが必要です。 先に挙げた少年たちが変わろうと思ったきっかけに共通しているのも、これまで社会で失敗し続けて自肩をなくしてきた彼らが、集団生活の様々な人との関係性の中で、 “自己への気づきがあること” そして様々な体験や教育を受ける中で、 ”自己評価が向上すること" のこうなのです。特に自己への気づきについては、押しつけでなく少年自身が自ら「気づきのスイッチ」を入れねばなりませんので、我々としては少しでも多くの、かつ様々な気づきの可能性のある場を提供し、スイッチを入れる機会に触れさせることが大切です。 これらは学校教育でも全く同じと感じます。矯正教育に長年携わってきた方が、こう言っていました。「子どもの心に扉があるとすれば、その取手は内側にしかついていない」。まさにその通りだと思います。子どもの心の扉を開くには、子ども自身がハッとする気づきの体験が最も大切であり、我々大人の役割は、説教や叱責などによって無理やり扉を開けさせることではなく、子ども自身に出来るだけ多くの気づきの場を提供することなのです。 ・それで気づきました。少年たちに"教えるんだ"という視点では駄目なのだ、と。これまで幾度となく”こんなのも分からないの?"と言われ馬鹿にされ続けてきた少年たちは、自分たちも、 ”人に教えてみたい” ”人から頼りにされたい” "人から認められたい" という気持ちを強くもっていることを知りました。そしてそれが自己評価の向上に繋がっていくのです。学校でも「どうせやっても無駄」と思っていて、やる気のない子どもがいるでしょう。しかし、そのような子どもでも、皆に問題を出す役や答えを教える役などをやってみたい、という気持ちがあるかもしれません。そのまま導入するのは難しいとは思われますが、人の役に立つことで自己評価の向上に繋がり、次第に勉強へのやる気も出てくる可能性があるのです。
  • 2026年2月7日
    夜明けのすべて
    夜明けのすべて
    PMS(月経前症候群)で感情を抑えられない美紗。パニック障害になり生きがいも気力も失った山添。 友達でも恋人でもないけれど、互いの事情と孤独を知り同志のような気持ちが芽生えた二人は、自分にできることは少なくとも、相手のことは助けられるかもしれないと思うようになり、少しずつ希望を見出していくーー。 瀬尾まいこさんの物語はどうしてこんなに温かいんだろう。。 私は本当にこういう物語が好きだなぁ。 生きていると苦しいことも多いけど、希望にも満ちていることを教えてくれる。 自分を気にかけてくれる、温かく見守ってくれる人がいることが、どれくらい支えになるだろう。 自分が苦しみを知っていることで、より人を支えることができるのだと思う。 私もそんな強さと弱さを持った人になりたい。 ・そう思うと同時に、「病気にもランクがあったんだね」という藤沢さんの言葉が頭に浮かんだ。俺は知らず知らず、自分の病気をかさに着るようになったのだろうか。まさか。 本当のことなんだからしかたない。PMSよりパニック障害のほうがつらいに決まっている。いや、はたして、本当にそうだろうか。俺はPMSどころか生理のことも知らない。 実際は想像以上にしんどいのかもしれない。ああ、もう考えるのはやめだ。そんなことどうだっていい。俺はざわざわした思いが広がりそうになるのを振り払うように、炭酸を一気に飲んだ。 ・五年前、婦人科でもらった薬について調べたことがある。その時、ソラナックスを服用する症状としてPMS以外に、鬱やパニック障害という病名にたどり着いた。パニック障害がどういう病気か、いくつがネットのページを見て知ってはいたはずだ。 それなのに、山添君が発作を起こす姿を見るまで、彼がパニック障害だったことにまったく気づかなかった。 飴やガムを食べるのは気分を落ち着かせるためだったかもしれないし、思いどおりに行動できず遅刻してしまっていたのかもしれない。顔色だって冴えないのに、どうして私は簡単に、彼のことをやる気のない人間だと決めてかかっていたのだろう。 「生理は病気じゃない」 そう思っている人はけっこういる。女同士であっても、生理を理由に休むことをずるいと言われることもあった。PMSが病気というカテゴリーに入るかどうかはわからないし、同情や心配を欲してもいない。だけど、気持ちの問題では決してない。体がどうしたって思いどおりに動かないのだ。どう努めても、感情がコントロールできない。治せるならなんだってする。以前の私は、それをどうすれば周りがわかってくれるのだろうかと悩んでいた。それなのに、自分以外の病気については、妊娠や生理を鼻で笑っている男と同じくらい無知だったなんて。 ・「そうですね。えっと、水虫もたいへんそうです」私が言うと、社長は「藤沢さんらしいね」と笑ってから、「もう年季が入った水虫だから、うまく付き合ってるけどね。だけどさ、誰にも言わずにいるんだけど、かみさんには気づかれているみたいで、靴に炭入れられたりスリッパこまめに干されたりしてる」 「そうなんですね」 「かみさんは自分に移されたくなくてやってるんだろうけど、そうやって気にしてくれる人が一人でもいるだけで、気は楽さ。山添君もそうじゃないかな」社長は「よいしょ」と席を立った。もうすぐ住川さんが出勤してくる。私も自分の席へ戻った。 誰かの負担を和らげるのは、強引に髪を切ったり、勝手に告白したりすることなんかじゃない。靴に炭をしのばせる。そういうことが、苦しさを軽減させてくれるのかもしれな い。 ・藤沢さんにはパニック障害だと知られているから平気だったのだろうか。いや、それなら付き合っていた千尋だってそうだった。千尋は俺が最初にパニック障害を打ち明けた相手だ。何度も大きな病院に行くようにと勧めてくれたし、すぐに治るはずだと励ましてもくれた。千尋とは一年以上一緒にいたから、ありのままの自分も見せていたし、泣き言や弱音も吐いていた。でも、千尋の前では、いつもどおりの俺でいたかった。失敗するのも、間違って恥をかくのもいい。だけど、理由もなく発作を起こして倒れることはしたくなかった。治る見込みのない症状を抱えて千尋のそばにいるのはつらかった。心配や同情や励ましや慰め。ありがたいけど、毎日それらを向けられるのは重圧だった。千尋もそんな俺にどう接していいか迷っているようで、無駄に気を遣わせていた。一緒にいると楽しかった。顔を見るだけでほっとできた。それなのに、パニック障害になってから、千尋と会うたび心のどこかが緊張した。 ・「PMSはいいところあるんですか?」 「そうだなあ。PMSになって、ヨガとかピラティスとかいろいろやったから、体は柔らかくなったかな」 藤沢さんが「昔は体硬かったのに、今、足一八〇度開くよ」と自慢げに言うのに、俺も「そういえば、パニックになって外に出なくなったから無駄遣いはしなくなったな。給料は減ったのに貯金は増えました」と答えた。 どこかずれているような気もするけど、困難が襲ってきて得るものって、実は現実的なものかもしれない。それにしても柔軟性と貯金って。俺たちはなんとなく顔を見合わせて、思わず笑った。 ・PMSだから、誰とも付き合えないと思っているわけではない。だけど、説明して理解してもらって、それでも驚かれて謝って、少しずつ距離を縮めて......。そういうのを考えると億劫になってしまう。そこまでして、人と一緒にいるのはしんどい。 「そんなの、大丈夫だよ。それに、環境変わったら、けろっと治ったりするかもしれないしさ。先のこと心配したってしかたないじゃん」「うん、かもね」 いろいろ手を尽くしてきて現在があるのに、環境の変化で治るわけがない。それでも、こうやって心配してくれる友達がいるのはありがたいことだ。 ・伊勢神宮のお守り。まだ俺のことを覚えていてくれたんだ。辻本課長は今の俺を見て、どう思うだろうか。社会に出たばかりの俺にすべてを教えてくれた人だ。こんな俺に、がつかりするだろうか。いや、あの人は自分がかかわってきた人間に、失望することはない。 恋人に友達、一緒に仕事に向かっていた仲間や上司。みんな遠くに行ってしまったと思っていた。パニック障害を抱えてしまっているのだ。新たに誰かと打ち解けることなどないと思っていた。でも、本当にそうだろうか。 お守りを手にしながら、藤沢さんが買ってきてくれたコーラの残りを飲み干す。俺はすべてから切り離された場所にいるわけではない。完全な孤独など、この世の中には存在しないはずだ。 ・パニック障害になってから忘れていたことを、この半年足らずでいくつか思い出した。 クイーンをよく聴いていたこと、和菓子が好きだったこと、自転車に乗るのが得意だったこと。同時にできないことも思い知った。映画館に入ることも、電車に乗ることも、まだ俺にはできそうにない。 でも、手段はある。 美容院に行けなければ髪くらい家で切ればいいし、映画館に入れないのならポップコーンを食べながらサントラを聴けばいい。電車が無理でも自転車がある。代わりではなく、そのほうがずっと楽しいことも多い。 ・「こんなにたくさんいらないよ。明後日には退院するのに。山添君、家で飲んで」そう言って、藤沢さんが袋に入れてくれた飲み物は、冷蔵庫に入っていたものだろう。俺が持って行った数より増えている。カーテンで仕切られた病室の狭いスペース。藤沢さんといるその空間は、緊張感も圧迫感もなかった。 寒い十一月の土曜日。髪の毛を切りに来た藤沢さんが、ハンドクリーナーやらごみ袋やらを出してきたことを思い出した。突拍子もないことをしてしまえるところじゃなく、俺は藤沢さんのそういうところが好きなんだ。そう思った。 ・働かないと生きていけないし、仕事がなければ毎日することもない。だから会社に勤めている。けれども、仕事のもたらすものはそれだけではない。自分のできることをほんの少しでも、何かの役に立ててみたい。自分の中にある考えを、何らかの形で表に出してみたい。そういう思いを、仕事は満たしてくれる。働くことで、漠然と目の前にある大量の時間に、少しは意味を持たせられる気がする。 ・人に悪く思われないためなのか、人に喜んでもらいたいためなのか、自分の行動の根源にあるものは自分でもわからない。けれど、嫌われたくない。そればかりだったら、みじめだ。気を遣っているわけじゃなく好きでやっている。そういうことにしておけば、気持ちは楽だ。 「そんなふうに考えられたら、少しは自分のこと嫌じゃなくなりそうだね」 「無理して好きになることもないですけどね」 おやつまで待てないと、桜餅を食べながら山添君が言った。 「そう?自分のこと好きでいるのは基本でしょう。自分を大事にできない人間は人を大事にできないって、よく聞くよね」 「そんな理論がまかり通ったら、人を粗末にする人が続出しますよ。藤沢さんの聞き間違いじゃないですか」 「まさか」 自分を好きになることが大切だって、小学生のころから何度も聞いたことがある。そのままの自分を好きになろうって、自分を好きになれる人が他人を愛せるんだって、歌でだって小説でだってよく言っている。 「ぼくは自分が嫌いです。臆病だし、将来の見通しもゼロ。好きになれる要素がないで す」 山添君はパソコンに向かっていた体をこちらに向けて、話し出した。 「そんな悲観することないだろうけど」 「悲観はしてませんよ。ただ、タコと自分が好きじゃないだけで。でも、藤沢さんを好きになることはできます」 ・昔の俺は、誰とでも近づいて、たくさんの言葉を交わしていた。人と知り合うことも、みんなで集まることも好きだった。そのころは社交的だとよく評された。それに比べ、今の俺は、口数は当時の半分にも満たない。交友関係を広げることもなく、人と接することを避けている。 だけど、あのころの俺は、悲しい話が展開されるとわかっていて、会話を進めることができただろうか。自分の発作のことをこんなにも自然に口にできただろうか。数えきれないほど冗談を口にし、笑いあってきた。けれど、今のような話を誰かとしたことはなかった。 ・「薬、減らして大丈夫でしょうか?」 「一気にではなく徐々にやればいいし、できなきゃ、また元に戻せばいいだけだからね」 医者はさらりと言った。 断薬はつらいし、一度失敗すると苦労する。そういう話は、ネットの情報で何度も読んだ。俺にそれができるのだろうか。 「たいへんだってよく聞きますけど・・・・・・・」 「誰から?」 「まあ、ネットで」 「でしょうね。簡単に手に入れられる情報なんて、声が大きい人のものがほとんどですよ。山添さんのことを知っている人が発している意見ではないでしょう?」
  • 2026年2月7日
    spring
    spring
    バレエダンサーにして振付家の萬春(よろず・はる)。 彼は八歳でバレエに出会い、十五歳で海を渡った。 同時代に巡り合う、踊る者 作る者 見る者 奏でる者―― バレエダンサーの深津純、春の叔父の稔、幼少期同じバレエ教室に通っていた幼馴染であり作曲家の七瀬、萬春本人の視点から彼の肖像が浮かび上がっていく。 登場人物が美しくバレエを踊る姿がイメージできる小説だった。 「蜜蜂と遠雷」も同様にその道の天才達を描いた小説だったが、「蜜蜂と遠雷」と比較するとそこまで物語にのめり込めなかった。 七瀬のパートで知らない知識が大量に出てきて置いてけぼりのような気持ちになったからかな、、、 もしくは本人視点になるまで主人公の欠点が1つも出てこず、主人公に全く感情移入できなかったからか、、、 ・歌舞伎にしろ、バレエにしろ、つくづく型のあるものは強いな、と思う。 身体に染みこみ、叩き込んだ型があってこそ、自由に踊れるようになるのだ。 俳句に短歌、漢詩にソネット。どれも厳格な縛りや約束ごとがある。それらの制約の中でこそ、イメージは無限に翔べる。 ・それは、ダンサーにとっても、振付家にとっても非常に重要なものだ。語彙が増えれば増えるほど、より繊細に、より複雑な物語を語れる。血肉となったその豊富な語彙から、いかに自分らしい言葉を選び、自分らしく語るか。それがダンサーとしての大きさ、振付家としての大きさに繋がる。 ・要は、何が言いたいかというと、終わった仕事はあまり振り返らない、ということだ。 『アサシン』の成立過程について、後でいろんな人からさんざん聞かれたし、本に書いた人もいるのだが、これまで話してきたように一直線に出来上がったわけじゃないし、あちこち種を蒔いて徐々に下地が築かれてきた上に花開いたものなので、そうひと口に説明はできない。 春ちゃんもまた、あまりおのれの作品を残すということに執着しない人なので、「「アサシン』、大変だったなー」くらいの認識しかなくて、取材した人たちは一様に面喰らっていたようだ。あたしも同じ言葉で済ませたい。「アサシン』、大変だった。 ・時分の花、という言葉がある。まだ未熟で未完成なアーティストであっても、その若さでしか、その時にしか表現できない、刹那の輝き。散ることのない、「まことの花」とは異なる、一過性の、散ってしまう花。なんとなく、ジャンがしばしば俺に「HANA」を明らせたのはそういうものを自覚させたかったのかなと思う。 俺には、もちろん「踊りたい」という衝動は常にあったが、割と早くから自分の頭の中にある踊りを観たい、という衝動も強かった。こちらに留学してすぐに振付を始めたのも、早く踊りを観たい、と焦っていたのだろう。 ジャンは、「今は踊れ」としばしば俺をたしなめた。ダンサーとして極めろ、と再三言った。ダンサーには成長過程でその時々の「時分の花」があるのだから、それをしかるべき時にちゃんと体験していないと決して成熟できないし、将来振付をする時に、他のダンサーの「時分の花」にも気付けないぞ、と。 「時分の花」は世阿弥の「風姿花伝』に出てくる言葉だが、ジャンの口から普通に出てきたのを聞いた時はびっくりした。 ・西行法師の有名なあの歌。 願はくは花の下にて春死なむその如月の望月のころ 「春」と「死」の文字の並びがパッと目に飛び込んできて、ずしんと胸を衝かれた。 春は死の季節。そんなことをうっすらと考えるようになったのは、この歌のせいかもしれない。ジャンだったか、誰だったか。たぶん、複数の先達に言われた言葉が、頭の中で混ざりあっている。 歳を重ねて老年の境地に足を踏み入れるようになると、年々、春が恐ろしくなる。今年も冬を越せたという喜びよりも、生き延びて春を迎えるいたたまれなさのほうが勝るようになる。春の臆面もない明るさに、芽吹く生命の獰猛さに、気後れを覚えるようになる。 さあ、年寄りども、道を空けろ、新しい生命に居場所を空けろ。そう糾弾されているよう な心地すらするーー
  • 2026年2月6日
    こだまでしょうか、いいえ、誰でも。-金子みすヾ詩集選
    子供の頃に金子みすゞさんの詩が好きだったことを思い出して。 詩を読みながら 子供の頃の自分を上から眺めているような、 忘れていた感覚が呼び戻されるような、 不思議な気持ちになりました。
  • 2026年2月4日
    そして誰もいなくなった
    そして誰もいなくなった
    アガサ・クリスティー没後50年とのことで。 結末を知っていても面白い。 よくこんな設定を思いつくよなぁ。 登場人物が過去の自分を正当化するところや 疑心暗鬼に陥るところがやけにリアル。
  • 2026年2月4日
    踊り場に立ち尽くす君と日比谷で陽に焼かれる君
    憤怒、怠惰、情欲、憎悪、自己嫌悪、孤独... 隠したくなるような感情が本の中に溢れている。 こんなに感情でいっぱいのエッセイは初めてだ。 金原ひとみさんの文章の中に諦めと希望が入り混じっていて、過激な言葉で心が落ち着き、自己嫌悪の気持ちが薄らいでいく不思議さ。 YABUNONAKAは金原ひとみさんの実体験から着想を得ているのかな。 これ程の苦しみを創作に転化できるなんて尊敬する。 ・それは十四歳くらいの頃に、「自分はこういう人間だ」と認識した自分からあまり変わっていない。世間的、社会的なものに適応できず、あらゆるものが許せなくて、しかし己自身は空虚かつ軽海で、夜型で、小説を読むことと書くことでのみ息ができて、欲望や衝動に振り回される愚かな人間だ。 ・もう何年も直視していないはずのシルコの目は、今にも飛び出したり、ふわりと異様な色彩を放ったりしそうだった。そして、母と一緒の時、驚くほど残酷になれていた自分を思い出した。まだ年端もいかぬ子供のように残酷に人を傷つけ、むしろ相手を傷つける事に興奮するような嫌らしさまであり、子供と違っているのは、その時の事をあまり良い気分で思い出していないという所だけだった。私は、シルコに残酷になり、意地悪をして、悪意を割き出しにしていた自分を思い出して身震いするような正体の分からない恐怖を感じ、吐き気すら催したのだ。しかし母を目の前にして意地悪をしないなんて、その時の私には出来なかった、という諦めの気持ちもあるので罪悪感には読まれないものの、やはり良い気分ではなかった。母にだけあれほど残酷になれるのは、私が母の子供だからなのだろうか。そんなはずはない。私はもうとうの昔にシルコの子供である事を止め、完全な人間となったのだ。あれは私とはもう関係のないシルコなのだ。 ・こちらを子供扱いしているかのような口調に、不意に体が軽くなった。社会も、周囲の人々も、大人である事を強要する。二十代半ばにもなってそういう当然の事がとてつもなく辛くて、本当は全ての責任から逃げ出したくて、でも逃げられないという事は自分自身も大人としての責任を認めているのだろう。誰かにスポイルされたい。 甘やかして甘やかして、駄目にして欲しい。私から、自立心という泥水を抽出して、どろどろの砂糖水で私の自由を奪って欲しい。ねっとりとした砂糖水で髪の毛の先までべとべとになっている自分を想像すると、鳥肌が立ち、うっとりとする。もう長らく、私の欲望は満たされていない。満たされない状況に甘んじていくのが大人だというなら、大人になんてなりたくない。十代の頃は脳から直で口に出来たその悩みが今はもうとても口に出来ない。 ・お迎え。コンビニに寄ると、「お菓子一つ。ジュース一つ」娘は自分からそう言って、お菓子とジュースを一つずつ選んだ。充実感と共に虚しさが募る。二人目が生まれたら、私とこの子の関係性は変わるだろう。私たちは三年半、二人で過ごした膨大な時間の中で培ってきた関係性を、お腹の子の誕生によって失うだろう。偉いね、ちゃんと一つずつにできたねと、娘と手を繋いで歩きながら、私は残り僅かとなった二人の時間をどうやって過ごすべきか考えていた。 ・生きることは、謎という海に身を投げ出すことだ。赤ん坊は訳のわからない世界に泣きわめき、言葉を操るようになると何故どうしてとたくさんの質問を親に投げかける。思春期になれば何故どうしてでは答えの出ない疑問に苦しみ、社会人となりいわゆる大人になっても、人にものを教える立場についたり、子供を持ったりしても、人は漠とした不安と疑問を抱え続ける。読書というのは、そんな果てしない謎の中に生きる自分自身と向き合う行為ではないだろうか。謎を解くため、答えを探すため、そして何よりも謎の中に生きる自分の輪郭をしかと見極めるため、人は本を読むのではないだろうか。 ・黙って本の文字を目で追う人が何故あんなにも美しいのか、それは彼らが何よりもその間、この世のあらゆるものから自立し、一人で謎と対峙しているからだろう。 作家別に模様を変えた、革装の本の群れを見ながら、人の本棚を見る時に湧き上がる緊張感と罪悪感と共に、シャネルはそこに何を黙視していたのだろうと思いを馳せずにはいられなかった。 ・原発事故の時にも同じような分断が生じたし、パリ同時多発テロの時にも外出を控える派と気にしない派でくっきりと違いが表れた。人はあらゆる非常事態に於いて、その生き様を露わにする。私たちは今、人を、自分自身を見極める機会を与えられているとも言える。何を大切と思うのか、何を掬い上げ、何を切り捨てるのか、あるいはなぜ自分は何も掬い上げられないのか、なぜ何も切り捨てられないのかを。 ・それは泥臭いことを馬鹿にして軽蔑して忌み嫌ってきた私が、怯えながら地べたを這いつくばり泥を噛み潰し無理やり飲み込み続けるような時間だったと言っても過言ではない。そうして身を削るような育児を経て、長女が自分とは全く違うメンタリティを持った人間に成長し、私とは全く違う思春期を送り、私とは全く違うものを大切に思い、時々好きな曲を勧めてくれるという事実が、最近染みる。 この人に出会わなければこの小説は生まれなかった。私の小説には、必ずそう思う人が一人はいる。そして私の著作の何冊かは、長女がいなければ生まれなかったものに違いなかった。否定も肯定もなく、すぐそこに自分とかけ離れた他者が存在するという事実に、私はどれだけ苦しみ、どれだけ救われてきたか分からない。 ・断捨離、結構捨てたのと聞くと、今回は思い切ったと言う。フランスで知り合って以来定期的に飲んでいるAは、来年初めにカナダに行く。悲しいなとため息混じりにこぼすと、夏とかに一ヶ月くらい遊びにおいでよと無茶を言う。私より先にフランスから本婦国をした時も、彼女は全然悲しくなさそうだった。二軒目でオレンジワインとクラフトビール。私再来月仕事辞めるからそしたらめっちゃ飲もうよとやはり彼女は楽しそうだ。悲しみは、行く先がないと元々そんなものなかったような気がするところがいい。 ・四十を過ぎた今も、自分は幼い頃からあまり変わっていない。小説を読む。小説を書く。今もこの二つによって世界を把握しようとしているし、社会を考えているし、理解できない他者について考えているし、そうしながら同時に自分自身のことも合わせ鏡のように考えている。この世に小説がなかったら、私は無思考でただ生きづらさに悶えながら生き続けていたか、生きづらさと和解して死んでいたかのどちらかだっただろう。 もちろん、音楽に救われたこともある。映画にも。毎日飲み続けた抗らつ剤安定剤眠剤でも一向に救えなかった精神を一枚のEPで救ってくれたバンドもあるし、BGMのように一本の映画を流し続けることでやり過ごせた、破滅と隣り合わせの期間もあった。でも、自分には小説が一番チューニングが合っている、という感じがする。 この世界を生きるために何か一つ武器を選びなさいと言われたら、自分には小説しかないだろうな、という感じ。 ・「あれはなんだったんだろうって思う。生活の心配もないし、仕事も恋愛もしてなかったのに、子供時代が人生の中で一番苦しかった」 二人で飲みに行った時、幼い頃のことをこんな風に語ると、「子供が合わない子供っているんだよ」と父親は答えた。確かに、当時の自分は、合わない型に押し込められるような窮屈さと痛み、押し込めようとする社会や世間への怒りと憎しみ、これらを共有できる相手のいない悲しみと孤立感を幼い体にパンパンに詰め込んでいた。 ・何か賞を受賞しても、新人賞の選考委員なんかをやっても、子供の課題や遅い帰りを心配しても、友達と居酒屋で騒いでいても、ちょっといいレストランで「カルダモンの香りがする」とか言っていても、ライブで叫びながら飛び跳ねていても、普通に生きているような顔でテレビや雑誌のインタビューを受けていても、あの時の非常階段で泣きながら消えたすぎて戦慄いていた自分と地続きのところに私はいるんだという意識が、どこかにある。多分、内容物は何も変わっていない。潰れたり丸まったり伸びたり曲がったりして形が変わることはあっても、中身の配合は絶望三割伝えたい二割壊したい一割愛したい愛されたい二割ずつ。多分そんな感じで構成されている。 ・「自分が予想していた未来と、今の自分を比べて、どうですか?」数年前何かの取材で、割と唐突にそう聞かれた。私は質問の意図が分からず黙り込んで、その意図がなんとなく分かった瞬間ショックを受けて目眩がして、「私には、自分の未来を予想したり、人生を構築してきたという意識がありません」と正直に答えた。これは、人生を自分でコントロールしてきたという自を持つ者、あるいはコントロールするべきだと思っている者だけが考えつく質問だ。この世にこんな質問があると知り、その、一人一人にとっての人生、世界に対する認識のズレの大きさに目眩がしたのだろう。それからしばらく、この質問がことあるごとに脳裏に蘇っては、私はやっぱり倒れそうになった。 ・例えば、我が子が恋人と長く付き合っていく中で、私からは一切注意されなかった「食べ物を残さない」だったり「脱いだ服を畳む」だったりを身につけていく様子は、(自主的にその習慣を取り入れたのであれば)いい影響だと感じるし、微笑ましくもある。でもその恋人が男尊女卑的な思考の持ち主であれば、私は我が子がその思想に染まらぬよう、最大限のアドバイスをする必要が生じるだろう。 そういう、生まれた家から始まり、学校、友人、恋愛、仕事、SNS、あらゆる人間関係の中で無尽蔵に与えられる影響の数々から身を守ったり、身を委ねたり、戦ったりする中で、今の自分が形作られ、さらに変化し続けているのだと思うと、あまりの途方のなさに愕然とする。ありとあらゆる取捨選択を一つも間違えないことはほぼ不可能だし、もっと言えば取捨選択の余地もなく「そうせざるを得ない」ケースも山ほどあるからだ。今の自分は、否応なしに突きつけられて何度も間違えたり失敗したりした取捨選択と、「そうせざるを得なかった」の成れの果てでしかない。だから私は、理想というものを持ったことがない。常に迫られる取捨選択と、「そうせざるを得ない」が目の下まで浸水して、溺れないようにすることで精一杯だった。 ・信じたい。私は常にそう思っている。ドキュメンタリーにもノンフィクションにもフィクションにも人に対しても、常に信じたいと願っている。常に心を開いている。 世に出ている作品だけでなく新人賞の選考作品に対しても、あらゆるドキュメンタリーにもルポにも、それぞれ対面する個人に対しても、余す所なく開いて関わろうとしている。でも全てを受け入れたいと願うその姿勢自体が事実や本質を捻じ曲げることはよくあることで、ミニマムな例で言えば、離婚を考えている夫婦の両方から話を聞くと、どちらにも非があるように、そしてどちらにも理があるように見えるものだ。 どちらかが現実や本質を捻じ曲げているのか、それとも現実や本質は一つではなくたくさんあって、それぞれそれなりに矛盾し合うものなのか、自分には確かめる由もない。最後には自分が何を信じたいかに、何が正しいと信じたいかに委ねられている。 こんな世界で間違わずに生きていくのは、正しく生きていくのは、無理がある。目隠しをされて耳栓をされて全身に拘束具をつけられた状態で、世界の裏側にある真実の日を見つけ出せと言われているかのように、高難易度のミッションと言えるだろう。
  • 2026年1月31日
    この場所であなたの名前を呼んだ
    日々、命の重みを実感する場所、NICU(新生児集中治療室)。 赤ちゃんが健康に育っていくことも、無事に生まれてくることも、すべてが奇跡。 与えられた人生は、1分1秒でも無駄にできない大切なもの。 当たり前すぎて誰もが忘れてしまいそうなことに、NICUという命の場所に身を置いたことで気付かされた、両親、看護師、清掃員、臨床心理士、医師 、7人の物語。 心ちゃんの話はあまりに切なくて大号泣。。 出産って本当に奇跡だよなぁ。 私の子供は障害がある訳じゃないけど、子供への無条件の愛おしさや、補強されていく親としての強さは共通のものなのではないだろうか。 ・もしも、目が見えにくかったとしても。もしも、耳が聴こえにくかったとしても。 今度こそ守りたい、と思った。もし問題となる箇所があったとしても、何もかもを受け入れて、できる限りのサポートをしたい。 自分がこの子にできることは何だろうか。わからない。今もそうだけれど、驚くほど、絶望してしまうほど、少ないのかもしれない。だとしても精いっぱいやらなくてはいけない。目の前で呼吸をして、小さな身体で眠るこの子を、なんとしても育てていくのだ。 ・そうか、ここはまだ始まりなのか。冒険と呼ぶかどうかは別にして、長い道が続いていくのだ。意外な場所から始まることになったけれど、きっとこれからも、予想もしないものが待ち受けているのだろう。わたしにも、この子にも ・わたしもずっと、祥真に会いたかった。 保育園のお迎えは、夫や、今は亡くなった義母に頼むことも多かったのだが、それでもわたしが行けることもあった。祥真はいつも、玄関に立っているわたしを見つけると、一瞬驚いた表情を見せ、それから笑ってこっちに近づいてくるのだ。短い距離を走って。 仕事でトラブルがあっても、祥真の寝顔を見れば、疲れは溶けていくように感じたし、この子のためならどんなこともできる、と本気で思えた。 Nで多くの親子の姿を見てきた。もちろん全員ではないが、保育器の前や、コットの前に立つとき、一瞬で表情を柔らかくする母親や父親がいる。きっと彼らは、自分の表情の変化にも気づかずに、目の前の最愛の存在を、ただ見つめている。 わたしもかって、そんな表情をしていたのかもしれない。 ・ずっと、18トリソミーではなかったのなら、どんなにいいだろうと思っていた。けれどもし、その願いが叶うことで、生まれてきた赤ちゃんが心ではなくなってしまうのならば、意味がなかった。心でよかった。心がよかった。 重なっている手の指。カーブした足。何もかもが特別で、愛おしかった。心だけの形。あらゆる部分が、可愛らしい。 ・「心」 両腕に少しだけ力を加えて、さらに抱き寄せるようにした。心の形。心の重み。心の柔らか さ。 「ありがとうね」 わたしは言った。 もういいよ、と思った。 ずっと生きていてほしかった。できるだけ長く。わたしの人生よりも長く。だけど、心が苦しいのなら、もう無理しなくていい。ずっと頑張ってくれていたんだから、もうこれ以上、頑張らなくていいんだよ。ありがとう。心、ありがとう。 ・母の愛は偉大だというような、この国にはびこっている母性神話は苦手だし、なくなればいいとも思うが、それでもたくさんの母親と話す中で、彼女たちの強さを目の当たりにする。もともとの強さというよりも、補強されていく強さを。 ・「乃愛の一日は、全部、もう返ってこない一日なのに。毎日、なるべく考えないようにして、見ようともしないで。もう絶対に見られないものなのに。どんなにお金を払っても、どんなに頑張っても、昨日や一昨日の乃愛には、絶対に会えないんですよね」 ・心ちゃんがいなくなった悲しみは、彼らにとっては、重たく、苦しいものだったはずだ。俺とは比較できないくらい。彼らの中からその悲しみが消えることは一生ないに違いない。それでも彼らはまた歩く。悲しみを消すのではなく、悲しみを背負いながら、生きていく。
  • 2026年1月30日
    成瀬は天下を取りにいく
    「島崎、わたしはこの夏を西武に捧げようと思う」幼馴染の島崎みゆきにそう宣言したのは、中学二年生の成瀬あかり。閉店を間近に控える西武百貨店に毎日通い、ローカル番組の中継に映るといいだした。さらに、お笑いコンビ・ゼゼカラでM-1に挑み、高校の入学式には坊主頭で現れ、目標は二百歳まで生きること。最高の主人公の青春小説。 読みながら「スキップとローファー」の 主人公に近いものを感じた。 (2巻までしか読んでないから見当違いかもしれないけど) 周りの目が気になったり、失敗することを恐れたり、自分に言い訳したり、努力する人を否定してしまったり... そんな人が多いから、真っ直ぐで誰も傷付けない主人公が愛されるのだろう。 努力したり、挑戦できる人はかっこいい! 自分も周りから応援してもらえる人になりたい。
  • 2026年1月30日
    汝、星のごとく
    風光明媚な瀬戸内の島に育った高校生の暁海(あきみ)と、自由奔放な母の恋愛に振り回され島に転校してきた櫂(かい)。 ともに心に孤独と欠落を抱えた二人は、惹かれ合い、すれ違い、そして成長していく。 2人の17歳から32歳までを描く恋愛小説。 恋愛小説なんていつぶりに読んだだろうか。。 優しくて何も切り捨てられない主人公の2人。 ずっともどかしく感じるけど、 そんな2人だからこそのラストに感動した。 文章が美しく切ない。 夜空の青、海の青、煌めくビーズの色... 終始、様々な青が思い浮かべられ、 静かに感情を揺さぶられる小説だった。 ・「暁海ちゃんは好きに生きていいの」 「そんなの自分勝手です。許されない」「誰が許さないの?」 間髪いれず問い返されて答えに詰まった。 「自分の人生を生きることを、他の誰かに許されたいの?」 島のみんな。世間の目。でもその人たちに許されたとして、わたしは一体ーー。 「誰かに遠慮して大事なことを諦めたら、あとで後悔するかもしれないわよ。そのとき、その誰かのせいにしてしまうかもしれない。でもわたしの経験からすると、誰のせいにしても納得できないし救われないの。誰もあなたの人生の責任を取ってくれない」 ・今度も無理そうだ。俺は幸せになれそうかと訊いたのだ。幸せにしてくれそうかなどと訊いていない。誰かに幸せにしてもらおうなんて思うから駄目になる。自分で勝手に幸せになれ。自分は自分を裏切らない。母親を通して、俺自身に言い聞かせた。 ・きっぱりとした口調。瞳子さんは昔と少しも変わらない。世間から後ろ指を差されても、自分というものを手放さない。わがままであることと、優しいことと、強いことを並び立たせている。そういうところにわたしは噛れ、でも少しも近づけない。 ・「人は群れで暮らす動物です。だからなにかに属さないと生きていけない。ぼくが言っているのは、自分がなにに属するかを決める自由です。自分を縛る鎖は自分で選ぶ」「矛盾してませんか。不自由さを選ぶための自由なんて」 「実際ぼくたちは矛盾だらけの生き物じゃないですか」 ・「何度でも言います。誰がなんと言おうと、ぼくたちは自らを生きる権利があるんです。ぼくの言うことはおかしいですか。身勝手ですか。でもそれは誰と比べておかしいんでしょう。その誰かが正しいという証明は誰がしてくれるんでしょう」 「•・・・・・わかりません」 「ええ、ぼくにもわかりません」北原先生はわたしに真っ直ぐ向き合った。 「正しさなど誰にもわからないんです。だから、きみももう捨ててしまいなさい」
  • 2026年1月29日
    思いどおりになんて育たない
    思いどおりになんて育たない
    気になったので、さらっと読んでみた。 育児は正解がないし、子供はそれぞれに違う。 親の育児で子供の将来が決まるなんて、 おこがましいんだろうな。 ・ペアレンティングが規範として間違っているというなら、正しい考え方とはどのようなものなのか。※親”という言葉は実際には動詞ではないし、仕事の形態でもない。そして子どもを決まったタイプの大人につくりあげるという目標に向かうことではないし、そうあるべきでもない。親であるー子どもを世話するーことは、深くて無二の人間関係の一部になり、ある種の愛に浸るということだ。仕事は人間の生活の中心である。それがなくてはやっていけない。しかしフロイトとエルビス〔・プレスリー〕が言った〔と少なくとも伝えられている〕ように、仕事と愛の両方が、人生を価値あるものにしてくれる。 ・私たちはもっとうまく誰かを愛したいと望むことはあっても、愛を仕事とはあまり考えない。 よい妻、よい夫になれるよう努力するとか、よい友人やよい子どもでいることは大切だと考えることはある。けれども夫の性格が結婚してからよくなったかどうかという尺度で結婚を評価しょうとはしない。私は昔ながらの友人との友情を、初めて会ったときより相手が幸福か、あるいは成功しているかどうかで評価することはない。むしろ苦しんでいるときにこそ友情の真価が問われる。ところがペアレンティングにはなぜかそれが当てはまらない。親としての質は、育てた子どもによって判断できる、さらには判断するべきであるという考え方をとる。 ・子どもを愛する目的は、特にそのよるべない人間の子に、豊かで安全で安定した環境しやがて変化、革新、新たなものが花開く可能性を持つーを与えることだ。これは生物学的、進化論的な見地からも、個人的、政治的観点からも正しい。子どもを愛するということは、子どもに行き先を示すことではない。旅に必要なものを与えることだ。つまり親であることは単純に子どもを愛するということだ。ただしその愛は決して単純ではない。 ・ではなぜ親になるのだろうか。子どもの世話に価値があるのはなぜなのか。親になることに価値があるのは、いずれ立派な結果がもたらされるからでも、決まったタイプのすばらしい大人を生み出すからでもない。親になると、文字通りの意味でも、比喩的な意味でも、新しい人間を世界に送り出すことができるからすばらしいのだ。どの子もまったく新しい唯一無二の存在だ。それは新たな遺伝子と経験、文化、そして運が複雑に組み合わされた結果である。きちんと世話をすれば、どの子も大人になって、唯一無二の新たな人生をおくることができる。その人生は楽しかったり悲しかったり、うまくいったりいかなかったりするかもしれないし、誇りや後悔に満ちたものかもしれない。最も価値のある人間の生活とは、これらすべてのことだろう。自分の子に対して感じる無条件の愛情は、その唯一無二なものを尊重し支える手段なのだ。 ・最初に私はこんな疑問を呈した。私の子どもの育て方は正しかったのか。子どもたちの人格形成に私はどんな影響を与えたのか。それを振り返ってみて、私はこうした疑問自体が不適当だっ たと強く感じている。 私の子どもたちは誰も私の人生をなぞっていない。それぞれが自分で無二のすばらしい人生をつくりあげている。それは私の価値観と習慣、子どもたちを教えたり世話してくれた人の価値観や習慣、彼ら世代が生み出したもの、彼ら自身が生み出したものが、ごちゃまぜになったものだ。ときどきは理解できなかったり、あぜんとしたりすることもある(ピアス?ギャングスタ・ラップ?)が、驚いたり喜んだりすることのほうが多い(プロがつくる総菜!エコな家具!)。私はこれ以上は何も望めない。
  • 2026年1月29日
    同志少女よ、敵を撃て
    独ソ戦が激化する1942年、モスクワ近郊の農村に暮らす少女セラフィマの日常は、突如として奪われた。急襲したドイツ軍によって、母親のエカチェリーナほか村人たちが惨殺されたのだ。自らも射殺される寸前、セラフィマは赤軍の女性兵士イリーナに救われる。「戦いたいか、死にたいか」――そう問われた彼女は、イリーナが教官を務める訓練学校で一流の狙撃兵になることを決意する。母を撃ったドイツ人狙撃手と、母の遺体を焼き払ったイリーナに復讐するために。同じ境遇で家族を喪い、戦うことを選んだ女性狙撃兵たちとともに訓練を重ねたセラフィマは、やがて独ソ戦の決定的な転換点となるスターリングラードの前線へと向かう。おびただしい死の果てに、彼女が目にした“真の敵"とは? ロシアのウクライナ侵攻(2022年2月24日)の数ヶ月前に発売されているのか。そのタイミングにも驚き。 この物語では、国家がいかに個人を蔑ろにするか、戦争ではいかに善も悪もわからなくなっていくかが描かれている。 戦争という過酷な状況では、その中で生き残るために人の言動・考えも最適化されていく。それが平時では罰せられるべき行動でも。 同じ国民だから、戦争という異常な状況下だから、という理由で許していいのだろうかと考えさせられた。 そして、もし私がその状況でその立場だったら、信念に反すると対抗できるだろうか? また、ソ連に女性の狙撃手が実際にいたことは知らなかった。 戦争は男性的なイメージが強いが、色んな立場の物語を知るべきだと思い知る。 戦時中は日本も他国に同じことをしてるんだよなぁ。。 自分は現実では関わっていない、歴史でしか知らない戦争の事実。私はどのように受け止めるべきか、逡巡している。。 ・セラフィマはサンドラの生き方に哀切を覚えた。それとともに、混乱するのを感じた。 女性を助ける。そのためにフリッツを殺す。自分の中で確定した原理が、どことなく胡乱に感じられた。今までは迷うこともなかったのだ。憎むべきフリッツは侵略者であり、女性を殺し、傷つけるのだから、それを殺して女性を救うということは。 だがサンドラは、少なくとも主観ではフリッツを愛していた。 他方で、アデレはドイツ人女性でありながらフリッツに虐げられていた。 被害者と加害者。味方と敵。自分とフリッツ。ソ連とドイツ。 それらは全て同じだと、セラフィマは疑うこともなく信じていた。 だが、もしもこれらが揺らぎるならば。 もしもソ連兵士として戦うことと、女性を救うことが一致しないときが来たのなら。 ソ連軍兵士として戦い、女性を救うことを目標としている自分は、そのときどう行動すればよいのだろう。 ・「たとえどんな事情があっても、女性への暴行は許されることではない」「悲しいけれど、どれほど普遍的と見える倫理も、結局は絶対者から与えられたものではなく、そのときにある種の『社会』を形成する人間が合意により作り上げたものだよ。だから絶対的にしてはならないことがあるわけじゃない。戦争はその現れだ」 「どんな理由があろうと暴行魔は悪魔よ。絶対にしてはならないことは確かにある。戦争という特殊な環境を利用し、少数の『社会』がそれをねじ曲げるだけでしょう」 「八〇人殺したことを自慢する君みたいにか」 ・「君の言う通りなんだ。女性を乱暴することが許されるはずがないとも。ただ、僕は敵地に突撃する自走砲兵で、あまりにも近くでそんな話を聞いてきた。・・・・・・尊敬していた指揮官が、部下を後ろに並ばせて十何人で女を分けたとか、そんなふうに笑う、そういう様子を見てきたんだ。ショックを受けたけれど、それって、指揮官が悪魔だったからじゃない・・・・・・この戦争には、人間を悪魔にしてしまうような性質があるんだ。僕はそれを言いたかった」 ・ソ連へ行って知らないロシア人と殺し合い、市民をパルチザンと呼んで銃で撃ちまくり、逃げ帰って少年にパンツァーファウストを持たせて、ソ連軍に丸めた紙で拷問される以外の人生はあったかも知れない。視界が滲んだ。腕をほどいてほしかった。 「なんで、今俺にそんな話をするんですか」 ユルゲンの目から涙があふれた。ある意味で、先ほどの拷問よりも辛かった。 目の前の女性はうつむいた。 「何でだろうな」 その目に、少し涙が浮かんでいた。これも尋問のための演技だろうか。彼女は、顔立ちが整っていて人目を惹く雰囲気があるので、確かに女優になれそうだとユルゲンは思った。自分がサッカー選手である世界なら。そのとき、あの女兵士は外交官だったのだろうか。 だが、そうはならなかった。現実は一つしかない。 顔を上げた彼女は、また尋ねた。 「なあ、なんでだと思う?」 ユルゲンはうつむいた。涙がぼたぼたと床に落ちた。 「分かりません」 ユルゲンは声を殺して泣いた。その後は誰一人として口を開かなかった。 ・自分はイリーナに殺し屋にされた。 自分は生きるために殺す道を選んだ。 自分は生きる意味を得るために復讐を望んだ。 どれも違った。 殺すことを拒絶して生きる生き方、それを選ぶ道は、目の前にあった。 自分は自らの意志で戦いに挑み、そしてターニャはそれを拒んだ。 自らの家族を殺され、敵を憎まず、それどころか治療する生き方が、狙撃兵としての生き方よりたやすいなどと、誰が言えるだろう。 ・頭の中に、様々な思念が交錯した。 自分は赤軍兵士だ。 自分はナチに復讐するために戦った。 自分はなんのためにここへ来た。 何のために戦うか、答えろ。私は、女性を守るために戦います。 そう。自分は女性を守るためにここまで来た。 ママ、ヤーナは、見ず知らずのドイツ人少年を守ってみせた。 女性を守るために戦え、同志セラフィマ。迷いなく敵を殺すのだ。 だが私はお前のようにはならない。お前のように卑怯には振る舞わない。私は、私の信じる人道の上に立つ。 同志少女よ、敵を撃て。 ・そしてソ連でもドイツでも、戦時性犯罪の被害者たちは、口をつぐんだ。 それは女性たちの被った多大な精神的苦痛と、性犯罪の被害者が被害のありようを語ることに嫌悪を覚える、それぞれ社会の要請が合成された結果であった。 まるで交換条件が成立したかのように、ソ連におけるドイツ国防軍の女性への性暴力と、ソ連軍によるドイッ人への性暴力は、互いが口をつぐみ、互いを責めもしなくなった。 心地よい英雄的な物語。美しい祖国の物語。 いたましい悲劇の物語、恐ろしい独裁の物語。 そしてそれは、独ソのどちらでも、男たちの物語だった。 物語の中の兵士は、必ず男の姿をしていた。
  • 2026年1月26日
    52ヘルツのクジラたち
    52ヘルツのクジラとは、他のクジラが聞き取れない高い周波数で鳴く世界で一匹だけのクジラ。何も届かない、何も届けられない。そのためこの世で一番孤独だと言われている。 自分の人生を家族に搾取されてきた女性・貴瑚が、母に虐待され「ムシ」と呼ばれる少年・愛と出会い彼を救うために立ち上がる姿を描いた物語。 「蜜蜂と遠雷」が良すぎたので、 1人本屋大賞まつり! 誰しも人に言えずに抱え込んでいることがあるし、孤独を感じて生きているからこそ、この本が本屋大賞に選ばれたのかなと思う。 特にアンさんの秘密には心が痛む。。 コロナ禍に発売された本だと知って、あの時の不安感、孤独感が増幅していく感覚を思い出した。 誰か1人でも助けようとしてくれる人がいれば強くなれるし、全てを理解できなくても側にいてくれる人がいるだけで救われる。 一時的でもそんな人に出会えたら幸せだ。 ・ひとから言われた言葉なんだけどね、ひとには魂の番がいるんだって。愛を注ぎ注がれるような、たったひとりの魂の番のようなひと。あんたにも、絶対いるんだ。あんたがその魂の番に出会うまで、わたしが守るよ ・魅力的な表題である「52ヘルツのクジラ」とは、同じクジラの仲間たちにも聞こえないような周波数で歌を歌う、世界で一頭しかいないクジラのこと。無限に広がる大海原を巨大な身体で泳ぎながらも究極の孤独を感じている。これは生きづらい現代の象徴でもある。理不尽なことばかりのこの世に生まれ、苛烈な日々に心が傷つき、身体を痛めながらもひたむきにもがき続けている僕らのためにある物語なのだ。
  • 2026年1月26日
    社会人1年目の社会学
    社会学がどのようなものか 気になったので読んでみた。 社会で起こる事象について、 なぜ起こるのか背景を考える学問という印象。
読み込み中...