
キイロノシャクナゲ
@dondondontaroo
2026年4月12日

さいごのゆうれい
斉藤倫,
西村ツチカ
読み終わった
かなしいとさびしいの違いがわからないと、大人なのに情けなくたまに思うときがある。かなしいはなくてはならないもの、さびしいはなくなるとよいもののような気がした。
私も、子どものころ、くるぶしサイズの靴下が流行っていたから、親にそれを強請って履いていたけれど、よく脱げたなあ。靴の中でクシャクシャっとなるのが嫌だった。大学生になってからは、絶対に脛くらいまである靴下を履くようになった。あのとき、近くに私に忘れてほしくないユウレイが居たのかな。それは、もうおじいちゃんでしかないな。
別の世界がもしあるのなら、夜桜四重奏のように重なっているんだと思っていた。この本でも、そのように解釈していたように感じている。
ロールキャベツのように染み出し、交じっちゃう感じ。それが、とーってもこわい時間なんだね。おじいちゃんおばあちゃんのお家は、その染みがすこし近い気がするんだよね。
なんてことない表現が、最後までキーとして残る。
この人の作品は本当に面白いな。また別のものも借りてみよう。
▼すきな表現▼
メロンのゼリーみたいなひかりを、長四角につめこんで、バスは停車した。ひかりが、たぷんとゆれて、あたりが急に暗くなった気がした
おかあさん、と、いうことばも、始祖鳥やアロサウルスみたいなひびきがする
ソックスのゴムの後ろのほうが、ついに、かかとをくるんと乗りこえた。大航海時代の船が、喜望峰を通過したら、もう時代はもどらない
ボウルに盛られると、サラダというより、小型のしょくぶつ園みたいに見えた
とびあがったら、かならずもと通り、着陸してくれなきゃ。・・・たまけど、きみが着いた地上は、きっの、飛ぶ前とはすっかりたがっているはずなんだよ
▼すきなフレーズ▼
手で見るって、ほっとする
じぶん、というのは、じぶんだけではわからなくて、まわりのひとの見たじぶんが、ないと、姿にならない
じぶんが、拝まれるために、苦しむものをつくって、救ってる。放火魔をつかまえたら、消防士だったようなもんだ
わたしは、きっと、ニーナの親になりたかったんじゃないかな。子どもでいることが苦しくて、はやくおとなになりたくて、それでおとなをとびこして、だれかの親になろうとした。それが、ニーナだったのかもしれないな
もう、むりだった。
あふれかえった。こころが、川だとしたら、そこに架ける橋がないほどに
★知りたいという気持ちは、とても苦しいときがある。でも、おとうさんは、研究者だから、苦しいほうに進むことにしているんだよ
からだじゅうが、泣いているの・・・こころは、もう泣きすぎて、泣けなくなってるから
★失ったひとを忘れたら、もうくり返したくないような、過去の<かなしみ>も、しだいに、なかったことになってしまう。そうすれば、ひとは、どんなおろかなことも、くり返せる。国や、政治家は、ひとびとを、かんたんにあやつれるようになるのですよ
★すべてのひとの気持ちを知るのはむずかしい。かなしみがどんなにかなしいかは、けっきょくそのひとしかわからないのだから
ひとは、かなしみにやられると、ほほえむ
★雨がなくたって、虹は架けられる。ぼくらが雨を忘れなければ。
きっと答えなんてなくて、それが、ただしかったんだと、おもえるようにしていく

