しぃ
@shiiiii
1900年1月1日
傲慢と善良
辻村深月
読み終わった
30代の婚活をテーマに「選択」の本質を問われる作品。
「傲慢」と「善良」という一見対立しているように見える両者が、ここでは単なる対立構造ではないということが明らかにされていく。そもそも、傲慢と善良は対義語ではない。傲慢の対義語は「謙虚」、善良の対義語は「邪悪」である。だから、傲慢さと善良さは併存することができるのだ。
作中で語られる「善良さ」は、日本人として多くの読者が共感するものであろう。(日本以外で生活をしたことがないからあくまでイメージではあるが、)日本は善良さに非常に重きを置く文化がある。家では親の言いつけを守り、学校では先生の指導に従い、真面目に生きることが良しとされる。一方で、善良なだけでは世の中を渡り歩いていけないのも紛れのない事実であるし、それを身をもって学びながらみんな大人になっていく。善良さだけでは生きられないことを知りながら、それでも善良さだけで生き延びていこうとする姿勢もまた1つの傲慢の形なのである。とても皮肉だ。
読了して感じたことは、傲慢であることはそんなに悪いことだろうか?ということである。先ほども述べたように、日本では善良さが非常に大切にされている。しかしだからこそ、その人をその人たらしめるのはむしろ「傲慢さ」の方であると思う。傲慢の裏にはコンプレックス≒個性が隠れている。善良さには個性ではなく正解があるだけだ。だから、傲慢なところが一つもない人なんて存在しないし、自分が何に傲慢であるかを知ることは自分を知る一助にもなりうるのだと思う。
さて、冒頭にこの作品は「選択」の本質を問うていると述べたが、これは朝井リョウさんのあとがきに大きく影響を受けている。私たちは毎日たくさんの選択を繰り返して生きている。その選択の理由はさまざまあれど、最終的にはどこか自分可愛さに帰結しているのではなかろうか。それはとても傲慢なことだが、その反面で選びとっていくことは自分の人生を描いていくことでもあるのだ。婚活に限らず自分の人生を歩んでいく上で、時に傲慢に選び進んでいくことは、善良でなくとも邪悪ではないだろう。
所要時間:5時間33分