くりーむ "〈民主〉と〈愛国〉" 2026年4月23日

くりーむ
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@cream
2026年4月23日
〈民主〉と〈愛国〉
7章を読んでいます。 当時の記述をいろいろ並べて見れて面白いです。 さて、現代に生きる人間としては、「無気力なパンパン根性」「日本はナショナリズムについて処女性をすでに失った唯一の国」(丸山眞男)、「まだ内灘は清純な処女である」「(横須賀や横浜について)アメリカ軍に規制するアバズレ女にさせられてしまった」(清水幾太郎)、「日本はアメリカの妾である、妾であるからにはだんなに媚びなければならぬ」(池田勇人)などの記述に一貫する日本 = 女 = 犯される存在という認識の枠組みが気になるところですにゃ。 これらの記述と並べたいのは大江の『飼育』ですにゃ。この小説では、クライマックスの地下倉庫のシーンで、男(の子)が黒人兵に犯されるような描写(そういう空気の筆致・性的な緊張感に満たされている、といったほうが正しいですにゃっ)があります。この小説は、ずっと時間がたったあと、幼い頃を回想するというスタイルをとっていることも相まって、「戦後しばらくたった時点から回想して、戦後直後の性的なメタファーを同性間のものに読み替える」ようなものに、(飛躍ではありますが)感じられました。 このような妄想の先には、いろいろなものがあり得るとおもいます。それは、女性に対する所有感からくるものだ、と言えそうな一方で、それはユートピア的世界を生きる男の子、であり、単なる性そのもの(そういう機能)という理解を超えて、(このときには男の子という存在を介しての想像でしかなかったが)主体性の萌芽を備えた存在として理解しなおす一つのきっかけにもなり得るのではないか、ともおもいます。それは、60年代広範から始まるウーマンリブに連なるものとして読めるんじゃないかゃ。 早計なアイディアだとはおもいますが。
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