
kibita
@kibita
2025年3月18日

読みたいことを、書けばいい。
田中泰延
読み終わった
この本を手に取った時、まず考えたのはタイトルの意味だった。
「読みたいこと」とは誰にとってのものなのか? 自分か、それとも読者か?
できれば前者であってほしい。
そのほうがシンプルだし、何より楽しい。そう期待しながら読み進めてみると——
安心した。
本書は 「自分が読みたいことを書いて、自分が楽しむ」 ための本だった。
実際、noteでは「自分が読んで楽しい」と思えるものを書くようにしているが、それが純粋に書いてて面白い。
第2章までは「すべての文章は自分のために書かれるもの」「テクニックは不要」「ターゲットを想定する必要はない」「そもそも読まれない」などが書かれている。
一般的な文章術とは異なるが納得できることばかり。読者の存在を気にせず、自分に向けて書くことが大切ということだ。
第2章までは頷きながら読んだが……
しかし第3章「どう書くのか」で突然、毛色が変わったように感じた。
「うんうん、そうだよなあ」と共感しながら読み進めていたので困惑する。
一番「ん?」と思ったのは、「物書きは調べるが9割9部5厘6毛」 という話。
この本の主張ではネットで読まれている文章のほとんどは「随筆」、つまり 「事象と心象が交わるところに生まれる文章」 らしい。
だからこそ事象について徹底的に調べることが重要であり、筆者の感じたことは1%以下で良いという。
急にマッチョになったなと思った。
ここまで「自由に書けばいい」というスタンスだったのに、突然「自分の内面ばかり語る人間はつまらない」「幼児性が強い」 など厳しい言葉が並ぶ。
しかし章の要約を読むとそれまでの主張と矛盾するわけではないと気づいた。
「事象に出会ったとき、そのことについてしっかり調べて、愛と敬意の心情を抱けたならば、過程を含め、自分に向けて書けばいい」
素敵な言葉だ。
なるほど、マッチョさは愛と敬意の表れなのだろう。腑に落ちた。
とはいえこれを完全に実践するのは難しい。
自分が書きたいのは「随筆」ではなく「思考」なんだろうと思う。内面を掘り下げる文章を書くのが好きだし、それが「幼児性」だと言われてもやめたくはない。
全体的に共感できる一冊
第2章から第3章への落差には少し驚いたが、全体的に書かれていることには共感できる。それは書きたいものが随筆ではなくても変わらない。
よくある「バズるためのテクニック」ではなく「書きたい!」という原動力を力強く応援してくれる一冊だった。


