くりーむ "ポラリスが降り注ぐ夜" 2026年4月25日

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@cream
2026年4月25日
ポラリスが降り注ぐ夜
読み返してみると、今の私にずいぶんと影響を与えた作品だと気づきました。 群像劇の感想ってどうやって書いていいかわからない、ひとりひとりにフォーカスするなら(そもそも、そんなことできる?)、この作品が群像劇である意味は、なくなってしまうかもしれないし、全体で起きていることを「綺麗に」まとめてしまうなら、それはきっとセクマイ「史」になってしまう、とおもいます。 どちらに振り切ることもできない、ということが、この作品が群像劇でなければならなかったということを最も強力に示しているとおもいます。 最後の短編は歴史の話、個々人と歴史、の話、だとおもいますけれども、歴史と個人をいかにして結びつけるか、という問題意識を放っているように、おもいます。 暁(あきら)というひとが中心のお話です。暁は中学卒業間近で2丁目にデビューし、大学生になったいまはレズビアンバーのポラリスでアルバイトとして働いています。店長の夏子(なつこ)はたぶん50代くらいでしょうか。夜明けの2丁目・Lの小道にひっそりと佇む閉店後のポラリスで2人がお店の片付けをしながら話をします。起きていることはそれだけで、紙幅の多くは、内藤新宿まで遡る2丁目の歴史(それは暁が卒業論文として調査し、まとめたものです)について割かれています。印象的なのは、暁と2丁目の歴史の間の繋がりは、夏子が媒介している、ということです。「夏子が時々、石塀越しに墓地の卒塔婆の群れに向かって合掌していることを、暁は知っている。墓碑銘も名前もないあの女たちこそが、新宿という街を繁盛させた功労者であることを思うと、彼女たちの失われた命が、今ここにいる自分につながっているような気がした。」 一方に大きな歴史があり、もう一方に個人史があります。これらはどちらも歴史ですが、一方からもう一方を導くのは難しく、ともすれば片方を空洞化させてしまうことすら、ありえるようにおもいます。己を歴史の中に放り込めば、(自分を含む)周囲の人間は消え去ってしまい、歴史の重力を否定すれば、「明日」も「今日」も闇の中でしょう。 この作品で提示されている回路は、自然と、私の眼を世代の問題へと向けさせます。『ポラリスが降り注ぐ夜』に於いて、年長者と年少者の関係はシンプルなものではないようにおもいます。同じような立場に立ったことがあるから寛容であれる、というわけでもないです。それはどちらかというと、「深い縦穴」で、香凜(かりん)と人生相談屋がであったような、全く偶然のもののようにおもわれます。『ポラリスが降り注ぐ夜』。道標となる北極星は粉々に砕けてしまって、降り注ぎ、もはや私たちは、同じところを目指してはいないが、しかしそれでも、個々の人間の出会いの中に、役割としてではない、ひとりとひとりの関係のなかに、歴史への回路がある、そういうふうに読みたくなってしまうのは、期待のしすぎでしょうか(たぶん、しすぎですね……)。 というのは、再び読んだ私の感想ですが、初めて読んだときは、たぶん、「五つの災い」に最も心を抉られたような気がします。それから、当時の私が唯一線を引いていた箇所も、記録として、引いておこうとおもいます:「神よ、お与えください。変えられるものを変えていく勇気を。変えられないものを受け入れる冷静さを。そしてその両者を識別する知恵を。」
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@cream
最後のニーバーの言葉は、五つの災いに出てくるものではないけれど、この短編において最も、切実な想いになるような感じがしています。死なないための言葉、という感じがします。
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@cream
フェアじゃないから真面目なことを書いておくと、普通に読めば、「ポラリスが降り注ぐ」というのは、ポラリスの光があまねく届く、という意味だとおもいます。そのような中心として、新宿2丁目が想像されています(たぶん)。
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