
勝村巌
@katsumura
2026年4月26日

茶の本
会田誠,
岡倉天心,
岡倉登志,
田内万里夫
読み終わった
日本の現在の美術を語るときに避けて通れないキーパーソンとして、毀誉褒貶、清濁併せ持った存在として強烈な存在感を放つ男がいる。岡倉覚三、もしくは岡倉天心である。その岡倉天心が1906年にアメリカで出版した本。
冒頭にあるように、新渡戸稲造の『武士道』を「死の術」について述べた本と捉え、それが西洋で受け入れらるている状況に対し、日本における「生の術」として茶の道がある、という切り口で書かれた本。
生と死。日本文化における貴族的な文化とサムライ文化を相対的にバランスをとる形で、『武士道』へのカウンターになるような内容で、美や洗練、調和や秩序というものが日本ではどのように扱われてきたかを記している。という前提で読むと面白い。
岡倉天心は幼少期より漢学と英語をみっちり叩き込まれ、東京大学の第1期生となり、その語学力を見込まれてハーバードから、東大に雇われたお抱え外国人である、アーネストフェノロサの通訳を務めることとなる。
17歳で東大を卒業し、海外を漫遊し、27歳で現藝大の前身となる東京美術学校を立ち上げて、初代校長となっている。その後の岡倉天心の人生は浮き沈みの激しい波乱に満ちたものとなるわけだが、その辺りはここでは触れまい。
そんな彼がその若い50歳での死の7年前に執筆、出版したのがこの本ということになる。
これを英語で書いたとなると大変な語学力と思うが、そういう才能のある人だったのであろう。
この本では全体200ページのうち70ページ強が現代美術家会田誠による解説に割かれており、大変充実した岡倉天心もしくは日本の近代→現代美術論となっているわけだが、その中で会田誠はこの本を「文化度の高い上品なマダムたちに愛される本を作ろう」としてまとめられた文章なのでは、とまとめているが、それは納得である。
言葉が大変に詩的に洗練されており、ロマンチックで愛や平和、静謐さ、上品さ、が生の術として前面に押し出されているように感じる。
今この文章はブライアンイーノとか聴きながら書いているが、なんかそんな感じ。文化的な多様性とかフェミニズムみたいなものに直接触れているわけではないが、そういうフィーリングがある。
そういう優しさや懐深さみたいなものが元々の茶の道の中にもあるということなのだろう。
岡倉天心は明治元年に満4歳で大正2年没なので、まるまるの明治を生きた生粋の明治人である。
黒船来航以来の西洋文化に追いつけ追い越せの時代を生きてきて、日本の美術を通して、それを世界と対等のものと捉え、それが理解されていない、だからなんとかしなければ、という問題意識を内面化し具体的に活動した人間である。
そこに高い文化があるのに単純に知られていないがゆえに蛮族と捉えられている、というジレンマが割とストレートに文章に表されていたりもする。
茶の道は禅の影響を受けており、それは道教の教えということで、中国の古代文明の歴史や成り立ちについても大変に分かりやすく説明があり、分かりやすい。
なんと言っても文章がすっきりと明快で難しい概念を実例や格言などを用いてすっきり届くように書かれているのも素晴らしい。
岡倉天心はある種のカリスマを具現化した人物だったと記録からは読み取れるが、そこにはそういった引用の的確さと頭の回転の速さ、詩的でスピリチュアルなものを聞き手に信じさせる自己演出も含めたパワーがあったからに違いない。
岡倉天心のエピソードで「日本人が外国に行く場合は、英語が完璧ならばやはり和装で望むがいい。しかし、英語に自信がないなら、洋装をまとっていろ」ということを言っていた、というものがある。
僕もアメリカに一年住んでいたのでこの真意は痛いほど分かる。日本人で英語が完璧ならば、それは外国人にとっては畏怖すべきことなので、やはり日本を代表する意味で和装していた方が、よりチヤホヤ度は高まる。
こういう自己演出も内面化しながら海外のセレブや知識人と向こうを張って生きてきた人の含蓄は深い。
本の内容は茶の心を人情、流派、道教と禅、茶室、芸術を愛でる、花、茶人、の6章に分けて論じている。
各章はすっきりまとまっており、冗長なところはなく、簡潔でありながら深いところまで届きながらわかりやすい。
真に優れた本として読後には心地よい達成感すら覚えるだろう。読んだ自分、偉い! 見たく自己肯定感すらたちのぼってくる。
なんか勇気づけられる大変に良い本です。おすすめ!



