うゆ "シェイクスピア 人生劇場の達..." 2026年5月2日

うゆ
うゆ
@otameshi_830
2026年5月2日
シェイクスピア 人生劇場の達人
シェイクスピアの生涯、シェイクスピア喜劇/悲劇の本質、シェイクスピアとその時代の人々の思想、演劇論、そして、人間とは何か。…今の私の痒いところに手が届きまくる本だった!新書を一気読みとかあんまりしないのだけど…面白すぎて止まらなくなってしまいました。 読みながらメモしたところ↓ 人は必ずまちがえる。なにかしら失敗する。馬鹿なことをするーそれこそが人間性であり、人間らしさだと認識するのが、当時のルネサンスという時代に流布していた人文主義思想だった。ルネサンスの時代思想としての人文主義とは、実用主義的な教育ではなく、全人格的な人間形成に必要な教養を得るために、古代ギリシャ·ローマ時代の古典文化の研究を旨とする。真の学問とは、よりよく生きるためのものであり、そのためには刹那的な目先の利益を追う近視眼的生き方ではなく、自分の死を視野に入れ、死ぬまでに何ができるかを考えなければならない。人間は神のように全知全能にも不死にもなれないのだから、己のいたらぬところを自覚しなければならないとするのが人文主義思想だ。 シェイクスピアの道化は基本的にソクラテスばりに、己の愚を知る「賢い阿呆」という矛盾した存在なのである。 シェイクスピアの喜劇には道化が多く登場する。道化の役割とは他の登場人物たちに自らの愚かさを認識させることだ。中世·ルネサンスにおける道化は、サーカスのクラウンやピエロとは違い、人間の抱える愚の認識の必要性を説く人文主義思想に基づく存在なのである。 オクシモロン 矛盾語法 撞着語法 賢い阿呆 矛盾した内容をあえて結びつけるこの表現は、近代的な整合性にこだわらずに奔放な想像力を行使するシェイクスピアの作劇を特徴づける表現方法だ。 なぜシェイクスピアが矛盾した表現を好むかと言えば、人間は矛盾した存在だという認識があるからだろう。 人間は理屈を超えた存在であり、矛盾のなかにこそ人生の危うさやおもしろさがつまっているのだ。 多くの喜劇で結婚が大団円を飾るのは、自分と配偶者が別々の個人であると考えるような近代的個人主義とは異なり、結婚をして初めて人は一人前になると考える時代だったからである。 「私」という一滴が、もう一滴である夫と一緒になったとき、それはもはや二滴ではなく、分かちがたい大きな一滴となるという発想だ。 恋をしている人間ほど「おめでたい」やつはいないのであり、パックはそんな人間の「めでたさ」を寿いでいるのである。恋は、人間が犯す最高に素敵な愚行なのだ。馬鹿なことをしない人ほどつまらない人はいない。 人間らしさとは何かと言えば、それは「おめでたく」なれることだ。「おめでたく」なれる人こそ幸せになれるのである。逆に、「正しさ」を絶対視して、自分の愚かさやまちがいが認めれない人は幸せになれない。 人間の肉体は土に還る。だから肉体は腐敗する泥のようなものだ。そのはかなさをしっかりと認識するとき、逆に、生きていることのすばはしさが実感できる。シェイクスピアの喜劇は、そんな暗さに支えられた光の劇なのである。 近代社会に道化は存在しない。道化は君主を頂点としたヒエラルキーを前提としたうえで、それを下から突き崩そうとする機能を持つ存在だからだ。シェイクスピアが作品のなかで道化を大いに活躍させて、市民よりもむしろ貴族を主人公に据えたのは、彼の心情がカトリック的な旧世界のほうに振れていたからかもしれない。 物を知覚するとき、プラトンは、心に心像(ファンタズマ)が形成されると考えた。プラトンによれば、この像は水鏡に映った像のようなもので、実体を正確に反映するものではい。このように心像によって物が象(かたち)となって表れてくる過程をファンタジア(phantasia)と呼び、そのラテン語訳のrepresentatioは、のちの時代に哲学や心理学の用語として「表象」(representation)という言葉に発展していった。 このプラトンの考えに基づき、エリザベス朝時代の人は何かを知覚した際、それを心のなかのイメージとして捉え、そのイメージのことをファンタズマ、ファンタズム、ないしファンタジーと呼んだ。いずれも「目に見えるようにする」という意味のギリシャ語「ファンタゾ」から生まれた言葉である。 ただし、知覚以前にイデアの存在を措定したプラトンとちがって、エリザベス朝の伝統哲学は、知覚や記憶に重点を置くアリストテレスの考えに多くを負っている。すなわち、知覚や記憶によって得た情報に基づいて、イマジネーションが心像を形成すると考えたのである。 この場合のイマジネーションとは、今日言う《想像力》ではなく、心像を形成する知覚機能を意味する。 エリザベス朝において、ファンタズマは、はっきりとした現存姓を持つものだった。 この知覚のメカニズムでは「実際」とか「現実」は正確に認識できないものであり、《イマジネーション》が作り出したファンタズマこそ、現実になる。言ってみれば、現実など、見る人によっていかようにも変わりうるファンタズマの総体でしかありえない。 心の目には真実が見える。その機能は、『白雪姫』の魔法の鏡と同じだ。エリザベス朝時代には、鏡には真実を映し出す力があると信じられていた。 ハムレットは、母親を責めるときに、鏡をつきつけて次のように言う。 … また、ハムレットは芝居を打つことでクローディアスが父を殺したかどうかという真実を明らかにしようとするが、それというのも、芝居には「鏡を掲げる」機能があるからだと言う。
シェイクスピア 人生劇場の達人
読書のSNS&記録アプリ
hero-image
詳しく見る
©fuzkue 2025, All rights reserved