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@WineLove
2026年5月3日
イン・ザ・メガチャーチ
朝井リョウ
読み終わった
人物描写が卓越していた。朝井リョウの洞察力の深さに恐れ入った。3人の一人称で進む群像劇は浅く深く見えないところで絡み合う。
全てを曝け出す一人称でありながら、表層に出ない心を伝える文章力に脱帽。
読者の「いやお前の娘だよ」「これはウザいわ」「わかっていても引き換えせないのな」といった突っ込みが朝井リョウには手に取るようにわかるのかもしれない。
久保田は視野俯瞰から狭窄へ、澄香は俯瞰になりきれず狭窄へ、隅川は狭窄から俯瞰の皮を被ったより深い狭窄へ。形を変えて皆狭くなる。
苦しさも葛藤もじっくり醸成されているのに「幸せでしたか?」の言葉を否定できない境地。
視野拡張はどれだけでも出来る。でも視野狭窄もまた同じなのだ。正しい位置などない。完全に正しい人はいなかった。誰もがどこか間違っていてそれでも別の側面から見ればそれは正しい。
メガチャーチ渦巻きナラティブ溢れる日本でタブーともいえる内容だった。澄香、隅川、久保田、彼らのようになるまいと思いながらも、薄っすらとあそこまで情熱を傾けられることに羨望の眼差しが滲む。
「人生の後半に顔を出すのは、これまでやってきたことよりもこれまでやってこなかったことのほうだ」
その空洞に物語が入り込む。
しかしこの作品は事象で見れば起承転結の「転」で終わったようなもの。確かにこれ以降は作品の本筋からいけば蛇足なのだろう。余韻を最大限に残しそれぞれの脳内で醸される「物語」で完結する。それでももう少し先を求める気持ちがあった。彼らの未来にわずかでも光が差すところを朝井リョウの描く光景で見たかった。




