授受 "彗星交叉点" 2026年5月5日

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@mocca1104
2026年5月5日
彗星交叉点
「偶然性による結果的ポエムの考察」について。 偶然耳にした誰かの会話、筆者が直接交わした会話、そこから偶然生まれた言葉が、意図せずして帯びる詩情の不思議さについて語る。 “素人の方が面白い”系のバラエティ番組が成立するように、磨き上げられた言葉より、感じたことを感じたまま出力したとき、言葉は凄みを感じるほどに強い輝きを帯びることがある。 エピソードはどれも短くてさくっと読めるけど、どのエピソードにも ①偶然から生まれる驚き ②間違いという別世界 ③「幼さ」という眩しさ のどれか(或いは幾つか)が紛れ込んでいて、そのどれもが「意図から外れる(縛られない)」ことを思わせる。 子供は「宇宙」。大人になると、そこから「正しさを共有する世界」=「地」に足が突く。言葉を扱う術を身につける。 だけど言語化をすることは、翻って言葉の枠に輝きを押し込めてしまうことでもあって…。“言葉にならなさ”を常に抱えながら、矛盾に自覚的で在りながら、それでも言葉を紡ごうとすることこそが感受性の発揮なのだと思う。 偶然(他者との出会い)は選ぶことができず、間違い(エラー)は制御できず、衒いのない言葉(率直な出力)は意図に先行して行われる。作者がそれに詩情を覚えて惹かれるのは、きっと、囚われないもの・縛られないものへの羨望があって、自分もそうありたいという願いがあるのかな、と思ったり。 そして多分、それに惹かれる筆者はきっと、「歌人である」ということ以前に、「言葉にせずにはいられない」ひとなのかも。 意図の外にあるものに惹かれながら、自分もまたその一つとして言葉を紡ぐ。観察者でありながら観察対象にもなっているな、という所感でした。
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@mocca1104
・成熟することとは即ち本書曰く「正しさの認識を共有する世界の住人に近付いてゆく」ことであり、それは即ち宇宙が「固まってゆく」ことでもある。だけど宇宙は決して消えないし、言葉は彗星のように今も飛び交い続けている。 ・漸次的に失われる自由な感性への哀惜はあれど、歳を重ねることへの悲哀一辺倒という訳でもない。寧ろ感受した眩しさを出力する作業は、成熟するほど精度を増すものだともと個人的には思う。 ・成熟する=地に足が突くということは、地と空とを分かつ境界を確定させることであり、「空を見上げる(邂逅する)」ための地盤が固まるということでもあるのかも。 ・幾つになっても「空を見上げる」という機会は平等に与えられている。その視線が一際眩しい彗星と交わる瞬間、そこに詩情が芽生えるんじゃないかな。 ……という一晩明けての所感も補記。 いくらでも深掘りできるけど、同じ著者の同じテーマの本でもう一冊読みたいものがあるのでもうやめます。
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