くりーむ "「生きるに値しない命」とは誰..." 2026年5月6日

くりーむ
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@cream
2026年5月6日
「生きるに値しない命」とは誰のことか
積んでたので。 第1部・ビンディングとホッへの『生きるに値しない命を終わらせる行為の解禁』の全訳部分を読みました。 第2部で批判的考察が為されるということなので、先に、私がおもったことをごく簡単に述べておこうとおもいます。論点はたくさんあるとおもいますが、2点に絞ります(内容の要約のため、精神障害に対する差別的な言説を含んでいます。ご覧になる前に、注意していただきたいです。)。 1. 経済的事情と「解禁」 ビンディングとホッへのどちらも、生きるに値しない命というのは、いつも終わらせなくてはならない、ということを主張しているわけではありません。しかし、2人とも、経済的に豊かではないということを理由に、このような「解禁」が行われるべきである、ということを主張します。そこには、現代の日本において、尊厳死が法制化(或いは終末期医療の制度「変更」)が行われようとしていることの論理と通底するところがあります。もっと穿った見方をすれば、経済的な事情をオブラートに包むかのように、尊厳の概念が出てきているようにさえ、見えてしまいます。 2. 「精神的に死せる者」とは ホッへは、ビンディングが「殺害の犯罪性に対する特別減刑」を考慮すべき者として「治療不能な知的障碍者」を挙げたことを受け継ぐ形で、それを批判的に展開します。そこでは、「精神的に死せる者」という言い換えを採用したうえで、その特徴づけの本質は「内側から主観的に生きたいと要求することもできないし、何らかの別な精神的な訴えを《示す》こともできない」(p90, 《》は引用者) ことだとされます。ここでは、結局のところ、精神というものを身体表面の、表面的動きの中――おそらくは言葉や表情といったもの――に見いだしているわけであり、一種の行動・行為主義的なところがあります。ここでは、精神とはなにか、といった本質的な問いが不問に付され、ごくナイーブなイメージが語られているといえるとおもいます。もっと積極的なことを言えば、精神→行動というプロセスの統合性に裏打ちされた「人間」なるものを前提にし中心化するというレベルでの精神至上主義が、底流しているようにおもいます。 著者らが、どのようにテクストに応答するのか、気を引き締めて読みたいです。
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@cream
行動主義という言葉を使ったのですが、心理学で用いられる概念とは全くの別物ではないとおもいますが、必ずしもそれを意図しているわけではないです……。行動や行為に内的なものを見出す、というくらいのニュアンスです。
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