
DN/HP
@DN_HP
2025年3月20日

俺たちの日
ジョージ・P.ペレケーノス
読み終わった
読書日記
再読
ハードバップ
チャーリー・パーカー
「なにを聴いてるんだい」
「チャーリー・パーカーだ。ダイアル・レーベルの」
「いや、どういう種類の音楽かと思ってさ」
「ジャズだよ」ジュニアはにやりと笑った。
「ジャズ?スウィングってことかい」
「ちがう。スウィングなんかじゃない。ジャズだ。ハードバップさ、カラス。”ヘッド・ミュージック“だよ。ちょっと聴いたくらいじゃ、なにがなんだかわからないだろう。ほんとにブッ飛んじまって、なんでもありって感じなんだ。しかし、それでいて美しい。どんな方向に向かってるかわからないんだからな。まるで人生そのものさ」
1940年代後半のワシントンD.C.を主な舞台にした小説を読むとき、どんな音楽を合わせるのが良いのだろうか。↑の会話を読むまでは年代で合わせた40年代のデューク・エリントンのビッグバンド、それこそ「スウィング」を流していたけれど、その後の頁からは、勿論チャーリー・パーカーのダイアルともう一つのレーベルに残された40年代中、後期の演奏を集めた音源を流しながら読み進めたのだった。
これはなかなか良いですね、と頁を捲りながら思いつつ、同時に黒人ギャングスタのハードバップについての語り(時代的にビバップのような気がするけど)はこの小説自体のことも語っているのではないか、と考えはじめる。はじめてしまう。
ギリシャ、イタリア、アイルランド、中国。それぞれの国からの移民の息子、それに黒人の「ワシントンに育った生粋のワシントン人」たち。少年時代の友情や争い街の思い出、第二次大戦の過酷な体験。ある種の共通した経験を経て成長変化し、それぞれの道を、小説での語りに倣うなら別々のバスに乗り込み、それぞれの生活をそれぞれのやり方で解決しようとしはじめる。他人は疎か自らもどんな方向に向かっているかもわからないまま走り続ける幾つもの解決していない人生。
そんな人生たちが街の事件やそれぞれの思惑、外から来た人間のまた別の人生によって再び同じ道、同じバスに乗り込まざるを得ないとき、凄まじい突風「BIG BLOWDOWN」が起こり「本当にブッ飛んでしまって、なんでもありって感じ」のような混乱に入り込んでいく。しかし、そのなかでも「真っ当なことをするチャンス」をみつけ「死にたいわけじゃない。だがいつかは、なにかを守るために立ち上がらなきゃいけないんだ」と、ここでもまだどんな方向に向かっているかわからないながらも核と覚悟をもって、「俺たちの日」を迎えようとする。そんな人間の姿、人生、それを描いた小説はどれも「それでいて美しい」というか、それだから美しいのだ。と納得出来る気がした。
だいぶこじつけたし穿ち過ぎかもしれないけれど、穿った穴から小説、物語の存在しないかもしれない向こう側を覗き見てしまうような読み方は、“正しく”ないかもしれないけれど、楽しくて大好きなのでした。感想ってそういうことでしょ。批評じゃないし。違うかな。多分そう。
そういえば、これはペレケーノスで最初に読んだ一冊なのだけど、ジャケットに使われたグローブの写真に魅かれてジャケ買いしたのだった。そういう出会い方もまた、楽しくて大好きですね。

