ゆき
@yu-ki
p12
老い先短い父のためにというより、それを見送らねばならない母のために、僕は父に心を閉ざし続けた。もう幾ばくもない家族の時間を、父と本音で対峙したら必ず起こるであろう言い争いや険悪な雰囲気で、壊してしまいたくないと思ったからだ。
けれど、本当にそれでよかったのか。
結局こうして最期の瞬間まで、僕は父と語らうことなく、ひとことも本音を告げることができないままに、父を見送ってしまった。本当に、本当に、これでよかったのだろうか?
ゆき
@yu-ki
p25
シンプルで、みんながちょっとずつ助け合わなくてはやっていけないぐらいにみんなちょっと貧しくて、たまに食べる外食のラーメンがとても贅沢です、仕事のあとに会社の仲間たちと飲む瓶ビールがとても冷えていて、頑張れば頑張っただけきちんとお給料に反映されていた、そんなニッポンを父は愛し、常に懐かしんでいた。
ゆき
@yu-ki
p27
偏向言説者に変節したのちの父の中では、その美しかったニッポンに対する喪失感が、「それは何者かによって奪われた」「何かによって変えられてしまった」という被害者感情に置き換えられていた。その被害者感情こそが、以前の父からは感じられなかったものだと気づいたとき、僕の中に「父は何者かに利用され、変えられたのだ」という答えが浮き彫りになってきた。
ゆき
@yu-ki
p35
〜何とか記憶を掘り起こしていく中で、不可解な事実を思い出したことだ。
父がいわゆる保守系ワードを日常会話の中で口にするようになったのは、父ががんを患った後のことではなく、そこから10年以上遡る「仕事をリタイアした直後」=2002年前後だったということでかる。
ゆき
@yu-ki
p39
当時父とその周囲にいた同世代のコミュニティの中で、〜共通言語や雑談上のテーマ、いわば「飲みの席での娯楽的なネタ(話題)」だったのではないかというこた。そして同じ傾向の思想を持つ狭い集団の中で対話するうちに、いわゆるエコーチェンバー現象(同じ価値観を持つ集団の中で対話を重ねることで、価値観や言葉が一般に通じないほどに先鋭化してしまうこと)が父の中にも起こってしまっていたのではないかということだ。
ゆき
@yu-ki
p47
腹をくくることににした。
敢えてパンドラの箱を開けよう。何が出てこようとも、改めて父を徹底的に知り、検証し、決着をつけよう。〜その決心がつくまで、実に父の死から1年半を要した。
ゆき
@yu-ki
p54
僕が最も苦痛に感じたのは、明らかにネトウヨできないメディアに触れていなければ使わないであろう、いくつかの特定用語(ネットスラング)が父の言葉の中に混在した事だ。〜こうしたスラングが父の言葉に混じることそのものが、僕にとっては日常会話の中に場違いなシモネタを織り交ぜられるのと同じぐらい、ショッキングなことだった。
ゆき
@yu-ki
p57
①中韓(主に韓国)に対しての批判
②社会的弱者に対する無理解(生活保護 シングルマザー 発達障害関係での発言)
③保守論壇の主張に含まれる「伝統的家族観の再生・回帰」「性的多様性への無理解」
④ミソジニー(女性嫌悪・軽視)が感じられるもの
⑤排外主義(日本文化の維持についての危機感)
ゆき
@yu-ki
p66
けれどここでぼくが「状況が一変した」と感じるには、二つの理由があった。
まず一つは、〜民主党批判であるだけでなく、ほとんど盲目的な自民党政権復帰願望を含んだものだったことだ。
それは宗教的な自民礼賛のよう
〜
もう一つのポイントは、それまでまで僕がネット右翼的だとは全く考えていなかった層の友人たちが、やはりsnsを通じて非常に右傾した政治的投稿を繰り返すようになったことだ。
ゆき
@yu-ki
p71
僕の中で固まってきたネット右翼像。
①盲目的な安倍晋三応援団
②思想の柔軟性を失った人たち
③ファクトチェックを失った人たち
④言論のアウトプットが壊れた人たち
五つ目を加えるならば、そこに「自分たちだけが真実を知っている」という妙な選民意識があること