
にょっき
@niki
2026年5月10日

夏
イーディス・ウォートン
読み終わった
夏というタイトルの雰囲気を両面合わせ持つようなお話。一方ではノースドーマーの涼しげで青々とした植物や風景が描かれ、もう一方ではジメジメと湿った複雑な人間模様が描かれる。一方では都市の青年との情熱的な出会いと日々があり、もう一方では秘密や裏切りがある。主人公チャリティは、ハーニーに恋をすると彼以外のものの輪郭がぼやけ、まるで存在していないように見える。田舎の無垢さ、無邪気さは、都市出身の美しいハーニーを羨望の眼差しで見ることしかできず、彼もまた彼女に対して同じ想いでいることを期待する。ハーニーは近眼だったが、彼といるうちにチャリティも近視がうつってしまったのかもしれない。しかしこの彼女の精神的近視の魔法は、彼女の本当の生まれ故郷であり、ノースドーマーの人間から嫌悪されている「山」へ行ってから段々と解け始める。「山」から丘陵を大きく見下ろすことで、自身の属す場所を広い視野で捉えたチャリティは、ハーニーの曖昧なプロポーズを吹っ切ることができるのであった。
結末はちっとも笑えない。ハーニーの子を身籠りながら、後見人でチャリティを「山」から引き取ったロイヤル氏と結婚することになるのだが、ロイヤル氏は既に元妻に先立たれており、チャリティの養父として彼女を育ててきたという背景がある。彼は妻の死後2回も成長したチャリティに結婚を申し込んだが、どちらも拒否されている。しかし、結婚を示唆しないままチャリティと逢瀬を重ねた無責任なハーニーに面と向かって結婚を約束させるくらいには養子としてチャリティを愛していたという側面も持つ。とはいえハーニーには別に婚約者がおり、結局チャリティを選ばなかったのだけれど。このプロットも、「中絶代を渡すので、俺のことはもう忘れてください」というセリフつきで現代でも通用しそうである。恐ろしいなぁ。
チャリティは、一度訪れた中絶病院で、お金がないため担保としてハーニーがくれた青いブローチを置いていった。再度お金を持って訪れ、当初より高い額を払ってまで、そのブローチを取り返した。その物体は唯一ハーニーを感じられるものだったからだ。読み終わって作者の言葉を調べていたら、こういうのがあった。
『終わった恋は忘れられないのではない。まだ心のどこかで続いているの』
そっかぁ。作者も多分こんな経験をしたんだろうな、と思いました。作者は白人でニューヨークの名家の出、片やチャリティは浅黒い肌の非白人で嫌厭される「山」の出ということもあり、バックグラウンドにはあまり共通点は見当たりませんが、同じ女性として直面する思春期、恋愛、結婚、妊娠(作者は不毛でしたが)という大きなライフステージの変化を共有する点では同じです。この作品は特に女性の苦悩や精神性、社会からの目を顕著に描いており、まさに女性作家にしか書けないお話のように感じます。また、ハーニーが密かに婚約していたのが良家の白人女性であるという設定は、非白人であるチャリティとの社会的階級の差を描き、白人であるハーニーに結婚の選択肢を委ねることしかできなかったチャリティの心情もまた、白人の特権性というテーマを暗に明示しているかなと思います。
男性中心社会、そして白人至上主義におけるチャリティのようなマイノリティ女性が持つ選択の少なさと生きづらさがありありと想像できます。1917年に出版された本にしては自由恋愛に没頭する若い女性がしっかり描かれていて驚きました!この本から学んだことは、第三者(男性)に自分の人生の舵を握らせてはいけないということでしょうか。もちろんこれは第二波フェミニズム〜第三波にかけて先人たちが当たり前にしてくれた権利なのですが、チャリティが描かれた当時は今とは全く違うので、どんな心情であろうと、男性が示す指針にただついていくことを余儀なくされることがほとんどだったと思います。実際にチャリティの願いが叶うことはありませんでした。今は、ありがたいことに女性が自分自身の頭で考えたことを実現できる時代になったので、無責任な男性に身を預けることも、誰かと結婚することでさえ選択制になりました。かつてはなかった広範囲の選択権を、きちんと自分のために使うことが大事ですね。
