ゆき
@yu-ki
p14
「弾正には後詰がなかった。ゆえに敗れた」
〜「~毛利勢が山陽道を駆け上がって有岡城を救いに来ると、摂津守様は信じておられる」
「来ませぬぞ。〜毛利はそれにも増してなお、謀の多い家にござりまする。摂津守様は何とて、右馬頭づれをお信じなされたか。官兵衛それが悔しゅうござる」
ゆき
@yu-ki
p26
勝利の日を瀬兵衛と迎えたいとも思っていた。蘭世の習いとはいえ、ともとたもとを分かったことを何とも思わぬほど、村重は非情の人ではなかった。
だが村重は、そうした胸の内を語りはしない。村重にとって軍議は、おのれの胸の内を語る場ではなかったからだ。
ゆき
@yu-ki
p28
「大和田城が降ってござる」
〜
怒りも蔑みも忘れ、なによりもまず、信じられぬといった顔をした。
「安部兄弟が降ったと仰られるか」
〜降伏を決めたのは安部兄弟ではなく、その息子の仁右衛門であったという。
ゆき
@yu-ki
p30
「安部仁右衛門の一子自念、人質として城中にあり」
〜
「では、早速に。はたものでよろしゅうござるか」
そう久左衛門が訊いたのは、人質の成敗にも幾通りか手があるからだ
らはたものは磔であり、衆目に晒しながら殺すことになる。斬首は苦しみが少ない。〜武士としての名をまっとうさせるため、自害を命じてもよい。いずれにしてま、寝返り者の人質を殺すのはら乱世の習いであった。
〜
「自念は牢に繋ぐ」


