
chika
@koitoya
2026年5月15日
USO7
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読み終わった
「あなたの嘘を教えてください」というテーマで書き下ろされた文芸誌シリーズ。
特に印象に残ったのは畑中章宏のエッセイだった。民俗学と恋愛という組み合わせが意外で気になったのだが、そもそも「恋愛民俗学」という分野があり、柳田國男がその端緒を開いていたという。
ただ、恋愛はフィールドワークに向かない。恋をしている人間は話を盛るから。なるほどと思った。恋愛の記憶や語りは、事実を伝えるというより、自分の感情や願望によって絶えず編集されるものなのだろう。
畑中はそれなら自分自身を調査対象にしようとしてきたが、結婚するともちろん外部で恋愛することはできず、代わりに動物や異類婚姻譚について妄想するようになったと書いていて、その身軽さとユーモアが面白かった。
読んでいて、昔犬派だった恋人が、私がいなくなった後に猫を飼い始めたことを思い出した。犬と猫という違いだけなのに、そこに不思議と「物語」を感じてしまう。失われた関係の痕跡を、人は別の生き物との関係に読み込んでしまうのかもしれない。これもある種の異類婚姻譚のように思えた。
また、若林恵「落ちたあとの世界」にあった、「声」に関する文章も印象深い。
「万葉集や古事記を通して、古代人にとって「声」がもつ意味を探究した国文学者の西郷信網は、言葉はものの名前ではなく、ものを動かす力だったと、どこかで書いていた記憶がある。かつ、それは、情報伝達の手段ではなく、感情を生成するものだとも語っていた。恋の歌、死の歌、祈りの歌は、いずれも、すでにあった感情の発露ではなく、声にすることで初めて感情が生まれ出るもので、声が感情をつくり出すのであって、感情が声を生むのではない。
この転倒は、人が、AIが書いた文章やロボットの演奏に「声」を聴き取れてしまう倒錯が、いかなる事情から発生するのかを説明してくれる。「声」というものは、「声」を求める者と出会うことで「声」になる、ということだ。別の言い方をするなら、声は、声を求めた者に、届く。それは伝達行為ではなく、相互が求め合うことで成り立つ、生成行為なのだ。」(p75)
国文学者の西郷信綱を引用しながら、古代において言葉は単なる情報伝達ではなく、ものを動かす力だったと述べている。恋の歌や祈りの歌は、感情が先にあって発せられるのではなく、声にすることで感情が生成されるという。興味深い。
