
yomitaos
@chsy7188
2026年5月21日

教育
遠野遥
読み終わった
@ 自宅
ディストピア小説は、起こり得そうな未来を先取りしているところに面白さや怖さがあると思っている。本作もその系譜にあるが、解説で吉川浩満も述べているように、実は現実とほとんど変わらないところに凄みがある。
舞台となる学校でのテストは いわば透視という超能力によって行われている。その超能力を磨くための教育が行われているわけではないのに。獲得点数が進級に関わるので生徒たちは何とかして当てようと試行錯誤するが、確率で決まるため、その望み方は結局神頼みでしかない。
数字に一喜一憂するのは現代社会でも同じだ。学校でも会社でも、高い数字を得ることが成長や承認につながるが、そこにどれほどの実質が含まれているのだろう。1点の違いが昇進や合否を分つが、その差は個人の能力差を示せているのか。誰もが疑問に思っているはずだが、半ばそういうものだからと諦めている。そう思っているのだとしたら、本作で描かれている異様な世界とたいして差はないのだと思う。
あまり具体的には描かれていないが、無意識下の女性差別にも目がゆく。例えば、1日3回以上のオーガズムが推奨されているというところ。常に監視カメラが回っている環境で、第三者からオーガズムの有無を確認するとなると、圧倒的に男性が優遇されることになる。男性のオーガズムは目に見えるからだ。
権力を振りかざす人間側には男性が多く配置されているのも興味深い。オーガズムの数が権力確保につながるのであれば、男性が上に立つのも当然だろう。目に見えるかたちで、計上できるのだから。
この作品の舞台となる学校は異様だが、冷静に考えると現実の学校も似たようなものだと思う。教師は校則への批判を嫌う。それはルールに従わないからではなく、なぜこのルールがあるのかを自分が説明できないからなのではないか。
疑問を持つこと自体が否定され、排除される社会。権力側のいうことは常に正しく、批判は「反発」と言い換えられ、教育を施す対象とされる。
あれ、これって日本のことじゃない?
世界中で似たようなことが起こってない?
本作がディストピア小説であり、現代小説でもあると思えるのは、そんな実感を抱かせるからだろう。
