Reads
Reads - 読書のSNS&記録アプリ
詳しく見る
yomitaos
yomitaos
yomitaos
@chsy7188
居場所を増やすために始めてみました。居心地のよい場所にしたいですね。
  • 2026年5月26日
    どうすればよかったか?
    あったことを無かったことにする。するとあら不思議、問題は雲散霧消する。だって、そんな問題自体が無かったんだから。 なんだか日本の政治家について述べているみたいだが、そうじゃない。いち家庭の話だ。規模の大小を問わず、大抵の問題が解決しないのは、その問題があることを認めない、その態度が生み出している。思い当たる節が多すぎて、胃が痛くなる。おそらく、思い当たらない人はいないだろう。そんな邪な生き物が人間というものなのだから。 家族が統合失調症になる。この国では、ただそれだけが理由で村八分にされたり、会社や学校でいじめられたりする。著者の姉が発症したと思われる1983年当時に比べたら病気への理解はマシになっているかもしれないが、かといって差別がなくなったわけではない。 だとしたら、財力と体力が許す限り、ひたすらに隠し通そうとするかもしれない。もっとひどい場合には、死に至らしめてしまう可能性もある(実際にそんな事件はある)。 素早いレスポンスが好まれるこの時代、「どうすればよかったか?」という問いに即答する人も多いだろう。私としては、即答できるやつはロクなもんじゃないと思う。これはそもそも、答えのない問題だから。人の数だけ答えがあるとも言える。 最近流行りの言葉で言えば、ネガティブケイパビリティに耐えるというところだろうか。確かに著者のいうとおり、早く専門医師に診せるべきだったというのは答えのひとつになると思う。でも、それが最適解なのかは時代や文化、風潮によって容易く変わるだろう。 どうすればよかったのかを考え続けられる人が、少しでも増えることが、より豊かな解決を導くのではないかと思った。
  • 2026年5月26日
    営繕かるかや怪異譚 その肆(4)
    悩みや問題は「解決」しなければならない、と思ってしまうのは、人間だからなのか、教育のせいなのか。先延ばしにするのは褒められた態度ではないとされる。 実際のところ、すっきり解決できることなんてあるだろうか?人同士の問題でWINーWINになる落とし所ことなんてまず無いし、相手が論理の通じないものなら尚更。ホラーにおける怪異を調伏できるなんて、ファンタジーだからできることだろう。 営繕屋かるかやがしてくれるのは、建物を繕うことで不快な現象と折り合いをつけること。決して解決ではない。何かしら人間社会の論理では説明できないことが起こり、それが建物や土地を介して発生しているとわかったところで、きれいに解決する術はないのだ。 取り急ぎ、生活を送るのに支障がなければ問題はない。それを先延ばしと呼ぶこともできるが、大事なのは生活を送ること。生きること。参ってしまい視野狭窄に陥ってしまうと、そんなことも分からなくなってしまう。ある意味、かるかやがやってくれるのは京極堂シリーズにおける「憑き物落とし」なのかもしれない。 ※帯でコメントを寄せている、テレ東プロデューサーの大森時生という人は、たぶんこの本を読まずにコメントを書いている。家が安心できる場所でなくなってしまったなんて、どうやったらそう思えるのだろう。
  • 2026年5月26日
    あなたが正しくいられたとき
    あとがきで著者が語っているように、これまで単著に収められることのなかった短編が6作掲載されている。テーマもテイストもばらばらでごった煮のようと表現されているとおり、読み応えもばらばら。通しで読むと、その温度差で少し肩透かしを食らうところもある。 芦沢央の物語を読むと、苦虫を噛み潰したような気持ちになることが多い。それはどんでん返しで物語がひっくり返り、それまで共感を覚えていた登場人物への印象が逆転してしまうからだ。それはこの本でも踏襲されていたように思う。 なかでも攻めた構造になっているのが「薄着の女」だろう。読み始めた当初は、「えっ、これ本当に芦沢さんの書いた物語?」と動揺していた。言葉を選ばずに言うと安っぽい、凡庸なお話だなと。もちろんそれは著者の意図したところで、しっかり騙されていたのだが。しかしこれは、著者にとってもリスクのある挑戦だったのでは。 この短編が、収められる先が無かったのは想像できる。この「ごった煮」たる本だから実現したんだろう。
  • 2026年5月25日
    サイバースペースの地政学
    サイバースペースの地政学
    世界を繋ぐインターネット。それは人工衛星を介して滞りなく行われているもの。そんなふうに思い込んでいたが、衛星通信は全体の1%にも満たず、99%以上は海底ケーブルにて行われていると知って驚いた。 そんなの、切れたらどうするのかと思ったら、年間で100件ほどの切断があるらしい。しかも切れる原因の4割は漁業によると知ってさらに追い打ちを喰らう。そんな危険すぎるケーブルが私たちのネットインフラを担っているなんて…。 ネットは電脳空間に浮かぶユートピアなんて、今考えると甘っちょろい思想で考えられていたころもあるが、情報やデータが格納されているのは形を持ったデータセンターだ。個人情報も国家機密も、世界中にあるデータセンターに置かれていることになる。争いのかたちが情報戦争に変わったとしたら、狙われるのはデータセンターだ。 ロシアがウクライナに攻め込む前から、ウクライナの情報通信網を攻撃していたことを、この本で知った。情報を遮断する、もしくは盗聴できるようにコントロールするのは最優先なのだろう。 そう遠くない未来、戦争できる国になる日本は、こういった情報戦争に耐えられるのだろうか。この国の政府がデジタルに疎すぎるのは、ほぼ全ての国民が知っているに違いない。未来に不安しかない。
  • 2026年5月25日
    ととはり屋敷
    ととはり屋敷
    盛り上がるホラー・怪談業界への牽制が効いている。澤村伊智作品を読むといつも感じるその実感が、本作にも充満していた。 人気の比嘉姉妹シリーズにおける、短編が6作収録されており、過去作で明かされている兄弟姉妹たちの最期が描かれる、とても読後感の重い本だった。 大抵の場合、不幸な目に遭う被害者がいて成り立つのがホラーや怪談といった分野だと思うが、それをエンタメとして楽しむことの罪悪感を忘れさせてくれない。 例えば主人公たる琴子は凄腕の霊能力者だが、育った家庭においては、今で言うところのヤングケアラーだ。冷徹で達観した佇まいは子供の頃からで、それは子供でいることを許してもらえなかった環境に影響されているのは間違いない。 そして収められた短編の一つでは、それが理由で、琴子がピンチに陥る場面が描かれる。小さい頃から大人でいなければならなかった琴子が絶対に思いつかない、いや想定すらできない発想が解決に導く。これには唸らされた。 表題作の「ととはり屋敷」という短編にも、頼れる大人の不在がしっかりと描かれる。こういった社会批評の文脈が息づいているのが、澤村伊智作品が高く評価される理由なのだと思う。 因習村とか、グロテスクな化け物を出すとか、そういった手合いの真似事ホラーとは一線を画している。
  • 2026年5月21日
    教育
    教育
    ディストピア小説は、起こり得そうな未来を先取りしているところに面白さや怖さがあると思っている。本作もその系譜にあるが、解説で吉川浩満も述べているように、実は現実とほとんど変わらないところに凄みがある。 舞台となる学校でのテストは いわば透視という超能力によって行われている。その超能力を磨くための教育が行われているわけではないのに。獲得点数が進級に関わるので生徒たちは何とかして当てようと試行錯誤するが、確率で決まるため、その望み方は結局神頼みでしかない。 数字に一喜一憂するのは現代社会でも同じだ。学校でも会社でも、高い数字を得ることが成長や承認につながるが、そこにどれほどの実質が含まれているのだろう。1点の違いが昇進や合否を分つが、その差は個人の能力差を示せているのか。誰もが疑問に思っているはずだが、半ばそういうものだからと諦めている。そう思っているのだとしたら、本作で描かれている異様な世界とたいして差はないのだと思う。 あまり具体的には描かれていないが、無意識下の女性差別にも目がゆく。例えば、1日3回以上のオーガズムが推奨されているというところ。常に監視カメラが回っている環境で、第三者からオーガズムの有無を確認するとなると、圧倒的に男性が優遇されることになる。男性のオーガズムは目に見えるからだ。 権力を振りかざす人間側には男性が多く配置されているのも興味深い。オーガズムの数が権力確保につながるのであれば、男性が上に立つのも当然だろう。目に見えるかたちで、計上できるのだから。 この作品の舞台となる学校は異様だが、冷静に考えると現実の学校も似たようなものだと思う。教師は校則への批判を嫌う。それはルールに従わないからではなく、なぜこのルールがあるのかを自分が説明できないからなのではないか。 疑問を持つこと自体が否定され、排除される社会。権力側のいうことは常に正しく、批判は「反発」と言い換えられ、教育を施す対象とされる。 あれ、これって日本のことじゃない? 世界中で似たようなことが起こってない? 本作がディストピア小説であり、現代小説でもあると思えるのは、そんな実感を抱かせるからだろう。
  • 2026年5月20日
    ざんどぅまの影(5)
    かなり社会批判の色合いが強く、これまでの比嘉シリーズのなかでも本書は随一。読者がホラーを読むときは傍観者の立場で安心しきっている(自分が襲われることはない)ことが多いと思うが、しっかりハシゴを外される。もっと言えば糾弾される。思わず目を逸らしてしまう。 ホラーブームで雨後の筍のように作品が湧き出てくるなか、作品側から現実を侵食してくるような体験ができるのは、澤村伊智か小野不由美の物語を読んだときだけだと思う。 びしょびしょのお化けが人を襲うという、いかにもなホラーなテイストで物語は始まる。つい人外のバケモノを想像してしまうが、バケモノを「自分とは違う見た目の生物」と捉えるなら、外国人だって簡単にその枠に入れてしまえる。関西人や道民というくくりでだって枠に入れられる。 人間は共通の敵をでっちあげることで、簡単に結束してしまえる。それはトランプに代表されるレイシストの振る舞いを見ていればよくわかる。もっとも、本作を読んで思い浮かべるのは自民党や賛政党などの排外主義政党だろう。この本を読んで登場人物の高揚に心振るわせた人は、もれなく後悔することになる。 澤村伊智作品は、人の心に巣食うどうしようもない愚かな部分を抉ってくれるからたまらない。
  • 2026年5月19日
    人生のレールを外れる衝動のみつけかた
    Tverを流しながらパソコンで友だちとFPSをプレイし、状況を逐一Discordでやりとりする。自分が負けて手持ち無沙汰になったときにSNSやLINEをチェックし、ながら見で適切なリアクションを行う。自分はそういったことが全くできない人だ。できる人を尊敬する。嘘だ。 注意を分散させられての行動はダルい。やることをやった気にはなるが、すべてが惰性で行なっている気になる。究極のところ、相手は誰でもいいし、自分じゃなくてもいい。著者が本書で「クリスマスまでに彼氏が欲しい」というテンプレを出しているが、これが良い例だ。一定の基準はあるが誰でもいい。寂しさを埋めるための変数でしかない。 自分を忘れるほど夢中になれることを、このスマホに支配された世界でどうやって見つけるか。その難行に、なんとか道筋をつけようと試行錯誤しているのがこの本だ。キーワードは「衝動」。偏愛を解釈することで、その尻尾を捉えられるという提案に納得する。 それを見つけるために、「本当にやりたいことはなんですか?」「将来の夢は?」といったテンプレ質問は何の効果もない。むしろ悪影響しかない。いくつかある提案のなかで、「自分を丁寧に扱ったセルフインタビュー」という方法が、自分には合っていると思った。 当たり前だが、マルチタスクに慣れすぎた、すぐに答えを欲しがる人向けの端的な答えはこの本に無い。衝動を見つけ出すには、それなりの時間が必要だ。著者は辛抱強く向き合ってくれるので、こちらも辛抱強く付き合っていきたい。
  • 2026年5月18日
    ラーメンと瞑想
    先に読んだ「庭の話」と一緒に読むと、著者の提案するポスト資本主義時代の構造がよく見えてくる。 labor的な市場評価と、action的なSNSの相互評価ゲームしか存在しない現代において、workの再評価が必要だ(アーレントより参照)。そのworkという想像力の要る作業には、ラーメンという孤独と向き合う食事や、自己の解像度を高める瞑想が役立つ。 著者の食事に対する修行僧のような向き合い方にはたじろくが、考えてみるとスマホに侵食された私は食事という行為をただ消費しているだけだと思い直す。もしくは、コミュニケートのための道具か。 個人的に、食卓での盛んなコミュニケーションが好きではない。飲み会などその最たるもので、結局のところ馴れ合いや承認やおもねりのために料理という事物は存在している。動物のように食事に向き合い、心からそれを楽しむ著者の姿は神々しく見える。自分は長くそんな経験をしていない。孤独を愛しているのに。 この本を読み始めた人は、おそらく最初、ギャグマンガを読んでいるかのように吹き出すと思う。でも、次第に笑っていた自分が恥ずかしくなり、後半では自分も修行僧のような表情になっているはず。ある種のグルメ批評としても機能しており、こんな読書体験を得られる本は稀有だ。
  • 2026年5月17日
    その「正義」があぶない。
    良い文章がどんなものかを説明するのは難しいが、小田嶋隆のテクストを読めば身体で理解はできる。そういう気分になりたくて、久しぶりに手に取った。彼の新たなテクストが読めなくなって久しいが、ついぞ代わりになる物書きは生まれてこなかった。 この本にまとめられているのは、だいたい2011年ごろのテクスト。東日本大震災があったときで、数少ない非自民党政権が与党だったころ。そしてスティーブ・ジョブズが亡くなったときでもある。島田紳助が業界から消えてくれてホッとしたことを思い出す。 メディアや政治はすでに劣化しており、その流れは悪化の一途を辿る。この2026年に小田嶋さんが存命だったなら、参政党の躍進や維新の与党入りにたいしてどんなテクストを書いただろうか。良き物書きの不在が、悪しき社会の跋扈を招いているように感じられる。
  • 2026年5月16日
    とにかく死なないための「しょぼい投資」の話
    先に読んだしょぼい生活革命で興味を持ち、こちらも読んでみた。感想としては、それができれば苦労しないよ、と言ったところか。古老の重鎮に可愛がられるのって、会社で上司に気に入られるように振る舞うのと大差ないと思う。おそらくそれができない人が読者に多く含まれているんじゃないだろうか。 投資というのは、通帳の額面を増やすのではなく、持っている人間関係も含めた資産の総量を増やすものだという提言は理解できる。それが健全な、本来の意味での投資であるとも思う。ただ、言われたところでできないものはできない。 著者は会社員になったことがないそうだが、古い体質の大きな会社ほど、彼のような振る舞いができる人は愛されるのではと感じた。
  • 2026年5月16日
    しょぼい生活革命
    しょぼい生活革命
    話題が多岐に渡りすぎていて、今なんの本を読んでいたんだっけと振り返ること多々あり。3章までの内容でよかったのではと思う。 ポスト資本主義にはオルタナティブが無いと言われるなか、よく持ち出されるのは共同体というワードだが、提案される共同体の姿は誰しもが生きやすいものではない。醤油がないから隣の家に借りにいくような共同体で自分は生きられない。 内田樹が語る共同体は、愛情や共感がベースになっていないところにリアリティがある。そんな存在のあやふやな感情を軸に成り立つ共同体など地獄でしかない。最も声の大きく、威張り散らかすバカがのさばることになるのだから。 えらいてんちょうの複雑な出自もあってか、対談が理想論に傾いていないのが良い。
  • 2026年5月15日
    庭の話
    庭の話
    今年読んだ人文書ベスト1になる見込み大。
  • 2026年5月13日
    人はなぜ特攻に感動するのか
    人はなぜ特攻に感動するのか
    感動する=泣くことに直結しがちなのは何故だろう。鳥肌が立ったり身震いしたり、感動した結果、起こる変化はまちまちなのに。さらに言えば、泣いたからと言って感動しているわけではないと思う。子どもや動物が酷い目に遭っている映画のシーンで泣いたとしても、それは感動しているからとは言い切れない。ただの反射なんじゃないかなと思うことも多い。涙を流しながら「この映画、つまらないなぁ」と嘆いていることだってよくある。 本書のタイトルにある、特攻を描いた映画で泣いたことはあるが、べつに感動はしていない。惨めに死んでいったんだなぁと可哀想になってつい…という感じだ。基本的にエンタメ作品で泣けるというのは、意図的に泣かされていると捉えている。明確にこのシーンで泣いてほしいと思ってつくられているモノに対し、素直に反応しているだけ。 ただ、そこに含まれる感動のロジックが何なのかが気になって読んだのが本書だ。「未来」「自発的な行動」「父になる」の3要素を、ストーリー展開の中で必然性と説得力を持たせながら串刺しにすることで感動の爆発を引き起こせるのではという。わからないでもないが、納得感はなかった。少なくとも、こんなことで感動させられたくはないと思う。 とはいえ、現在進行形で起こっているリアルな戦争は、このロジックが仕込まれているというのは、確かにと思えるところはある。今後この国も戦争に参戦していくことになる可能性があるからには、我々がいったい何故特攻モノで泣かされているのかを理解しておくのは重要だ。
  • 2026年5月13日
    増補改訂版 スマホ時代の哲学 「常時接続の世界」で失われた孤独をめぐる冒険
    スマホどころか、携帯電話すらなかった時代に生まれ育った人間だが、もはやその頃を思い出せない。ただ、孤独を感じたことはほとんどなかった。おそらく、必要な程度のコミュケーションをリアルでこなしつつ、自分の好きなことをやる時間がほどほどにあったからだ。 いつでも誰かとすぐに繋がれる今の時代のほうが、はるかに孤独だ。必要のない数々の接続に注意を奪われ、常に朦朧としている。一種の酩酊状態だから、何に対しても気力散漫になる。かといって急に切断されると不安になり、俺の時間を奪わないでくれと思ってしまう。その時間を費やす先は、不毛な接続に過ぎないのに。 人類史上、人々がここまで注意を奪われた時代はなかったんじゃないか。だとしたら、そこに新たな哲学が必要になる。過去2500年に渡る哲学の歴史を敷衍しながら、これからを生きるための哲学が。この本は、その布石となる一冊になると思う。
  • 2026年5月13日
    「面白い!」を見つける
    インターネットメディアは栄枯盛衰が激しいが、今も残るデイリーポータルZとオモコロは、やはり残るべくして残っていると思う。一番にあるのは、「やってる当人がいつも楽しそう」という点。クリシェを使わずに、ネタの新規性に頼らず、自分が面白いなと思ったことを書く。どのメディアにもできないことを、ただやり続けてきた人たちだけが残った。 自分はインターネットメディアでの仕事を断念した人間だから、林さんには憧れがある。何せあの「地味ハロウィン」を生み出した人なのだから。 この本では、個人が思う面白さをどう見つけ、人に伝えていくかのノウハウが事細かにまとめられている。そのほとんどは、ネットで検索すれば山のように出てくる、「バズるためのライティングテクニックまとめ」とは逆である。たぶんコンサルが入ったら、すべて却下されるような内容だ。 でも、PV数で価値が決まるようなメディアはほとんどが消えていった。ただでさえ短い歴史しかないインターネットメディア界で、20年以上続いているのはどんなものか。そこに生き延びる術が詰まっていると考えるのは自然なことだ。 いま、日記が流行っているという。デイリーポータルZがやっているも、ある種の日記だと思う。文末を「いかがでしたか? 興味があれば、ぜひ購入してみてください」といったクリシェで締めるつまらない記事ではなく、「このような結論になったが、いちばん印象に残ったのは途中で食べたチョコモナカジャンボだった」という切実な思いが綴られた文章にこそ価値がある。日記をクリシェで書く人はいないだろう。 (p.178より)
  • 2026年5月13日
    中国TikTok民俗学
    SNSから始まる民俗学という、異端の組み合わせがすでに面白い。でも考えてみれば、身近な出来事をシェアするのは自然だし、そのツールとして使われるのが今となってはSNSなのだから、むしろ使うべきものなんだろう。 邪神信仰も度が過ぎると制裁を喰らいそうだが、小さな集団で止まっているうちは当局も危険視しないのだろうか。意外なほどに、中国の各地で今も珍神が信仰されているのが面白い。 国から一方的に押し付けられる信仰は、なかなか根付かないものなんだろう。現世利益につながらないなら尚更。たとえ邪神でも、自分たちに利があるなら悪魔でも信仰するのが人間らしい。取材先の人たちがみな生き生きしているのか良い。自発的に信仰しているからなのだろう。日本にもまだ、こういった信仰は残っているのだろうか?(無さそう。あっても暗くひっそりと行われていそうだし、何より楽しくなさそう)
  • 2026年5月12日
    働かないおじさんは資本主義を生き延びる術を知っている
    ビジネス書の多くは経営者、もしくは投資家などの資本家によって書かれている。そうでなければ実践家ではない学者だ。だけど、それを手に取る多くの読者は従業員。これが非常に良くない。会社を成り立たせる、たかが従業員のひとりに過ぎない読者に、「会社目線でのベストな働き方」を叩き込んでくる。 資本主義下における会社は利潤の最大化を目的に動いているのだから、費用を抑えるために、構造的に従業員から搾取することになる。それを内発的動機付けにより、あらわに見せないようにしているだけなのに、経営側の目線を持たせることで「搾取されても仕方ない」と思わせてくる。そんなビジネス書ばかり読んでいたら、奴隷根性に磨きがかかるだけだ。 この本の著者は外資系コンサル出身者の経営者で、ほんらいならそれだけで読もうと思わなくなるのだが、タイトルに意外性があって手に取った。資本家はもちろん、コンサルにとっても「働かないおじさん」など排除すべき存在だろう。しかしこの本では、従業員としてこの資本主義を生き延びるなら、「働かないおじさん」という選択は有りだと謳われているのだ。これは驚いた。こんなことを言うコンサルや経営者は見たことがない。 また、ゴマすりや太鼓持ちにも一定の評価を下しているのが面白い。会社の潤滑油や空気循環の装置としての役割という意味だが、たしかにハイスキルの人材は外注でも賄えるものの、会社の空気を良くできるかの能力とイコールではない。従業員にとっては、いかに楽しく、楽に働けるかが重要なのであって、会社を成長させることに過剰にコミットする必要はない。そのための役回りに徹することができるなら、そんな生き方も悪くない。 日本には、言葉通りの意味で「従業員向けのビジネス書」はほとんど存在しない。この本は稀な存在だ。柿内正午の「会社員の哲学」とともに、ぜひ全国のいち従業員に読んでもらいたい一冊。
  • 2026年5月4日
    アレグリアとは仕事はできない
    お仕事小説ってずっと需要があるジャンルだと思うが、労働者視点を貫きつつ、安易な役割設定でキャラ物化させていない小説って、じつはあんまりない。津村記久子作品は、デビューからずっとその路線を貫いていると感じる。そこが好きで、仕事でうまくいかないときや、働き方に悩んだときのために、いつもそばに置いておきたくなる。 会社勤めをしている人で、複合機にイラついたことのない人はいないはず。自分が使うときは面倒くさそうに動くクセに、たまにしか使わないエライ人の前では従順。忙しいときに限ってサボりはじて、カスタマーサービスを呼ぶと元気に動き始める。 「何なんだよお前!」とキレそうになるが、そんな姿を見た同僚は「機械相手に何を本気になってるんだ」と蔑んだ目で見てくる。この分かってもらえない断絶は、仕事を辞める理由に相応しいレベル。 この物語では、複合機ことアレグリアはずっと不遇だ。きちんと修理されることもなく、延命処置を施された上でなし崩しに生きさせられる。それはきっとアレグリアにとっても本意ではない。この機械があることで、本質的には誰も幸せになっていない。 働いているとそんなことばかりだ。この視点は、経営者目線の小説では得られない。ビジネス書からも得られないだろう。社会でもっとも数の多い「労働者」が本当に読まないといけないのは、津村作品なのではないかと思う。
  • 2026年5月4日
    Wi-Fi幽霊 乙一・山白朝子 ホラー傑作選
    久しぶりに乙一作品を読みたくなって、手頃な短編としてこの本を手に取ってみた。…が、最初の「階段」で早くも断念。こんな凡庸なホラーを書く作家だった…?降りられない階段の要素に意図を汲むことはできるが、ありきたりなキャラクターとストーリーで読み進める気がしなくなった。 ホラーとしては、この本にも収められている「SEVEN ROOMS」が好みだったのだが、澤村伊智や小野不由美などの筆力の高い作家作品を読むようになってからは、随分と物足りなさを感じてしまう。 先日読んだ湊かなえ作品もドラマドラマしていて辟易するところがあった。自分はどうやら、映像畑の作家とは相性が悪いようだ。
読み込み中...