
いぬい
@inuiru
2026年5月21日
植物に死はあるのか
稲垣栄洋
読み終わった
植物学者の筆者の、とある一週間──というスタイルで書かれた、やさしい「生物」の本。理科の素人である私には「え、そうなの?!」と思うようなことがいっぱい書かれていて面白かった。内容が面白かったのもよかったんだけど、問いの立てかたがいいなと思った。
大学教授の筆者のもとに学生から質問のメールが届いて……という導入なんだけど、「どうして植物は動かないんですか?」みたいなところから始まって、動く植物もいるし、動かない動物もいる、そもそもなぜ動くのか? 植物と動物のちがいは? などと問いを増やして考えをひろげていく。「考えるプロセス」が丁寧に書かれているので、小学生とか中学生とかのときに読んでたらもっと勉強が好きになっていたかも知れない……と思うなど。
「なぜ死ぬのか」という問題が特に面白くて、生物は生き延びるために進化しつづけてきたのだから「死」が不利な条件なのであればそれを改善していてもおかしくないはず、という話。た、確かに! 私たちは皆、老いて死ぬようにプログラムされている。それが必要だからそうなっている、ということらしい。
タコの本を読んでいたときに衝撃的だったのが、タコは繁殖すると老いを加速させる分泌物が出てすぐに死んでしまうって話。ペット用のタコはそれを防ぐために(ペット用のタコ?!)その分泌腺を取り除くこともあるんだけど、それを除くとタコは母性のようなものもうしなってしまうらしい。
それ読んだときはなんか、やっぱ生物って子孫を残すことが最大の目的なんだなと思って居たたまれないと言うか、妙に後ろめたいような気分がしたんだけど、この「老いて死ぬプログラム」のことを読んで、ちょっとべつの手ざわりを得たな。
「富士山と富士山以外に明確な区別はない。 富士山のすそ野は、どこまでも広がっている。その地面はどこまでも続いている。何の境目もなく続いているということは、富士山を遠くに望むこの場所も富士山であると言えるのではないだろうか。」
ここ読んで笑ったんだけど、植物と動物の境界、生と死の境界も、こんなふうにあやふやになってくるのが面白い。考えていると、「老いて死ぬ」ことが生きることの一部である以上、命に成功も失敗もないんじゃないか、というように思えてくる。
「クロノクロス」で、この世に捨て石の命なんてない、というくだりが好きだったんだけど、一方で、それはすべての命が進化の一瞬につながっているからで、進化できるものはたったひとつ、ほかはそこに至るまでのトライアルアンドエラーなんだよな……とも思ってた(でも、「それでもおまえに会えて嬉しかった」という流れがあるからいいんだけど。世界の答えを知ることはできなくても、生まれて、出会えて、よかった、というマクロからミクロの視点)。
でも、そうじゃなかったんだよね。
「進化の一瞬」が「正解」ではないんだよ。進化の一瞬はかけがえのないものだけど、それでも結果じゃなくていつまでも過程なんだよな。すべてが過程のなかにいる。
タコの赤ちゃんは生まれた瞬間から親と離れて、きょうだいとも離れて、散り散りバラバラになって、そのほとんどが死んでしまうけど、それが「失敗」というわけでもない。
どんなふうに生きて死んでも、すべてこの世界の営みの一部。死が生の一部であるように、生も死のつづきにある。そう思えば確かに捨て石の命なんかない。


