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いぬい
いぬい
@inuiru
  • 2026年6月7日
    浮遊霊ブラジル
    浮遊霊ブラジル
    短編集。確か岸本佐知子が面白いって言ってたからいつか読んでみようと思ってたはず。この作者の本は初めて読んだんだけどほんとに面白かったからほかのも読んでみたい。 「給水塔と亀」 いちばん最初に載ってるこの話がとにかくよかった。独身男が定年を機に故郷へもどってアパート暮らしを始めるっていう、特にこれといって何かが起こるわけでもない話なんだけど、なんだかすごくよくて読後に涙が出た。何がいいんだよって考えてみると、たぶんこれ、私自身を重ねたんだと思う。 " 乃代さんといいあんたといい、どうして一人でいられるの?" 乃代さんというひとは主人公が借りた部屋の以前の住人で、やはり死ぬまで独身で、部屋でひとりで亡くなったらしい。 " いつまでも気楽でいたいと思っていたわけではない。けれど、いろいろなことの間が悪くて、私も積極的になれなかった。後悔はしている。人間が家族や子供を必要とするのは、義務がなければあまりに人生を長く平たく感じるからだ。その単純さにやがて耐えられなくなるからだ。" と言いつつ主人公は買ったばかりのクロスバイクに乗り、ビールを買い、「乃代さん」が遺した亀を引き取り、うどん屋で働こうと考える。 私も独身で、この先もそうだと思う。いまは後悔していないし、人生を長くも感じない。むしろ常に時間が足りないと思っている。家族や子どもがいないのに、やることが多すぎる。でもあと二十年も経ったら、後悔するかも知れない、とも思う。そのとき、それでも乗り慣れない自転車に乗り始めたり、ビールを買ったり、何かと暮らしたり、新しい仕事を始めたり、できたらいいなと思った。 「うどん屋のジェンダー、またはコルネさん」 女性客にばかり話しかける人気うどん店の主人と、そこで見かける女性と、主人公。私はあまり食べものにこだわらないと言うか、他人のこだわりを強制されてまでおいしいものを食べたいとは思わないんだけど、「好きなものをきらいな人間が生み出している」という状況ってほんとにあるから複雑だよな。 「アイトール・ベラスコの新しい妻」 前述の通り私は独身で子どももいないわけだが、なぜかたまに深刻に考えることがあって、「もしも子どもがいじめっ子だったらどうしよう」てやつ。なぜ存在しない子どものことを考えるのか分からないんだけど、もしかしたら「子育てしていたらぶち当たっていたであろうさまざまな問題」を想像することで子どもを持たなかった己をフォローしているんだろうか………………と、いま思いついてみたが、そこまで深くは考えていない。 「地獄」 これもメチャクチャ面白かったんだけど実際こうなったらやっぱり「地獄だな」としか言いようがない。それにしても七編中三編に「死後」の話があるのは興味深い。 「運命」 道を訊かれやすいひとって結構いるらしいんだけど私もそうで、この主人公のように、旅先で道を訊かれて困ることがわりとある。しかもそういうとき素直にじぶんも旅行者ですと言えずに地元民ぶって答えてしまうことがある。 「個性」 なんかちょっと甘酸っぱくてよかった。 「浮遊霊ブラジル」 岸本佐知子の本で知ったとき、べつに書評でもなんでもなくて前情報が何もなく、タイトルを見ても「たぶん幽霊の話なんだな」くらいしか想像がつかなかったんだけど、タイトル通り幽霊がブラジルへ行く話だった。アイルランドに行こうとしてブラジルへ行ってしまう。実際(?)幽霊ってどこまで移動できるんだろうとは以前から気になっていたので、だれかに憑依するってのは現実的だと思う。幽霊に現実的も何もないかも知れないが。
  • 2026年6月6日
    死神を祀る
    作者の田舎描写に既視感をおぼえるな……と思ってプロフィール見たら同郷だったので「分かる」てなった
  • 2026年6月5日
    瞬時に「言語化できる人」が、うまくいく。
    言語化がブームらしいので(もう終ったかも知れん)買ってみたんだが半分読んだあたりで「もしかしてこれ、すでに分かってることしか書かれてないかも!」と気づいた。文章を書くことが日常的にない、というひとのための入門って感じか。時間があればまた読んでみる……
  • 2026年6月5日
    死神を祀る
    その町には三十日間参拝すると恍惚のなかで死を迎えられる神社がある──てなことで安楽死の賛否を問う話かと思いきや、そうシンプルでもない。 現実が苦しくて、どうしようもなく死に惹かれるひともいるし、死を救いだと思うひともいるし、好奇心をいだくひともいるし、どんな事情でも自殺はよくないと考えるひともいるし、死のうとするひとを止めたいと思うひともいる。死ぬと決めたことで自由になれたり、死ぬことでじぶんの人生に意味を見出したりするひともいる。もちろん、死ぬのをやめるひともいる。 何も知らず、ただの「神頼み」で参拝してしまうひともいれば、家族を連れて行こうかと考えるひともいる。その神社を知らない相手に、「魔が差して」教えてしまうひともいる。噂を聞きつけて他県からやってきたひともいて、お金を落としてくれるおかげで潤うひともいる。死を求めてくるひとのお金で、寂れかけていた田舎町が活性化する。それをよろこぶひともいれば、複雑なひともいる。 噂を検証しようとしたYouTuberが生配信で死亡し、神社の評判は一気に全国へ広がる。安楽死に賛成するひともいれば、神社や自治体を批判するひともいる。神社のことを調べようとやってくるジャーナリストもいれば、「真相」を隠そうとする関係者もいる。 とにかくいろんなひとがいて、いろいろなことを考えている……というのがこの小説の肝だと思った。いろんなひとがいて、いろんなことを思っていて、しかも、それはいつも揺れている。 ひとの思いや言葉や行動が、またべつのひとの思いや言葉や行動に影響する。それらは思いがけないところでつながっている。ほんの些細なことが、だれかには運命ってこともある。一見しただけではつながって見えないこと、真逆のようなことが、つながっていることもある。生と死みたいに。 ケーキ屋さんの話が秀逸だった。 「死神は甘党」という噂のおかげで儲かってしまったことを、ケーキ屋の主人公は微妙に憂いている。このひとも死ぬのかと思いながらケーキを売っていて、止めに来た家族に詰られることもあった。インターネットでは「役に立たない老人を神社に連れて行け」などという過激な意見もあり、主人公は店の売上を素直によろこべない。 主人公には認知症でろくに意志の疎通も取れなくなってしまった母がいる。ただぼんやりと目を開けているだけの母を見て、主人公は「神社へ連れて行くのが母のためなのだろうか」と悩む。一方で、妻は店が儲かったことをよろこび、浪費するようになる。「もう着ることないでしょ」と、主人公の母の服やアクセサリーを勝手に売りさばいてしまう……。 話の終盤、この妻が泣き崩れるシーンで思わず泣いてしまった。ひとの思いというのは、言葉や行動に表れるものだけではない。本人すら言い表せない、自覚すらしていない感情だってある。「ほんとうの思い」というのがあるのかあやしい。いつだって揺れていて、迷っているのがひとなんだと思う。 これだけいろいろなひとを書きながら、作者がだれにも肩入れしていない、どのひとに対してもフラットな書きかたをしているのはすごいと思った。 神社の周辺を見まわりながら、「じぶんも死のうと思うことがある、だけど人生には何が起こるか分からない、だからもう少し生きてみないか」と語る刑事がいて、しいて言えばこれが作者のスタンスなのかな。 しかしながら、「その気になったら楽に死ねる」と思いながら生きるのって、ただ生きるのとは全然べつのことだなとも思う。なんか大昔にそういうの読んだよな。町にだれでも自由にくびを吊れる場所があって、毎日のようにだれかがそこで死んでいる。それを見ながら、きょうは生きるのかどうかと自問する、みたいな話。だれのなんて小説だったか全然思い出せない。 それにしても、ひとを生かすのって「希望」や「未来の可能性」なんだろうか。少なくとも、私はそういう感じではない。ただなんとなく生きていて、あまり何も分かっていないのだが、それでも、きょうよりはあしたのほうが人生を知っているだろう、とは思っている。
  • 2026年6月3日
    こどもの頃のこわい話 きみのわるい話
    子ども時代を思い返すと「あれはなんだったんだろうな」ということが結構ある。そもそも私はメチャクチャ生々しく、しかも長編の夢を、繰り返し見る体質だったので、夢と現実の区別がつかないところがあり、いま思い出しても「たぶん夢だったんだと思うが、それにしては妙に鮮明なんだよな」となることが多い。 この本はタイトル通り、そういう「子ども時代のこわかったこと」を聞き書きで集めている。「おとなが過去のことを思い返して語る」かたちなので、どれもなんだか悪夢っぽい。 「犬屋敷」「それはベス」「病院獣」などは犬の話っぽかった。毛の長い犬のような獣の夢は私もよく見た。しかし狐狸の霊とはよく聞くが犬の霊というのはいるんだろうか、犬は基本的に陽気なのであまりこの世に留まるイメージがない。 わりと好きだったのは「花なら蝶」 " 『君が花なら僕は蝶』という正気を疑う一文からはじまるその手紙を、美佳子さんはすぐに捨ててしまった。" ひどい言い草すぎて笑ってしまったがブスからラブレターもらうのって思春期の子どもには不名誉なことなんだろなあ。で、その厭〜な感じの話にふいに差し込む白昼夢……はこわがるとこなのかも知れないが私は「夢のなかで見る夢」みたいで好きだった。 「きつね」「焼肉ハナ」「おばけの世界」あたりの、現実が裏返される感じも好きだった。 " 「もちろん、ちがいます。当時の友だちとはもう付き合いないんですけど、妹にはちゃんとそのときの記憶がありますから。そもそも、蛙坂さんにこの話を聞いてもらったら?  って言い出したの、妹なんです。よかったら電話で確認してみます?」 幸いにも、妹さんはすぐに電話に出た。 真希絵さんが見たという「きつね」について、おぼえていることがあればなんでも話してほしい、と頼んでみたところ、「ごめんなさい。そんな記憶は全然ないし、わたし、怪談って好きじゃないんです」  迷惑そうに電話を切られてしまい、真希絵さんは困惑の表情を浮かべていた。" 「信頼できない語り手」みたいな感じもあるな。 「焼肉ハナ」では友人一家と訪れた奇妙な焼肉屋のことが語られるが、その友人に話したところ「そんな事実はないが、そういう夢は見た」と言われる。「そういや、おまえ夢のなかの奴と似てるな」他人の夢と現実がつながるのってこわい。 「おばけの世界」では母とふたりで暮らしていたはずの語り手が「おばけの世界」とやらに連れて行かれ、どうにか自宅へ帰るとなぜかそこには「両親」がいた、という。存在感の希薄な父親、あるいは「新しい」父親とかを受け入れる儀礼的なもの……ってもっともらしく解釈することもできるんだけど、父親のいない世界といる世界、パラレルに行き来したのかもと思うとヒュッてなるよね。語り手が「もういちどおばけの世界に行きたい」と言ってるのが印象深い。 かかわったひとが死んだみたいな話も結構あるんだけど、「なんだったん?」みたいなこわさのほうが好き。 それにしても竹書房怪談文庫なんてレーベルがあったんだなー。
  • 2026年6月3日
    イランの地下世界
    そういやイランってよく知らんなと思って読んだ。 「学校で礼拝すると先生がカードにスタンプを押してくれてたまると景品がもらえる」みたいなこと書かれててラジオ体操感覚?!てなった。筆者は長年イランで暮らしているそうで、イラン人たちのいいところもわるいところも味わっているようだ。いわくイラン人は陽気で親切で、コミュニケーションに長けており、人生を謳歌し、かつ嫉妬深く、見栄っ張りで、自己肯定感は低いが自信過剰(どういうこと?)、他人を平気で引きずり落とし、平気で法を破る。どういうことなんだ。面白すぎる。 " 今、海外で出身国を聞かれて「日本人だ」と答えることにいちいち気後れしたり、劣等感を覚えたりする人はほとんどいないだろう。それは何でもないようなことだが、実はものすごく幸せなことである。 イラン人はというと、残念ながらそうではない。「自分はイラン人だ」と答える前に、いろいろなことを考えてしまう。「テロリストと疑われないかな?」「マフィアに見られないかな?」「何となく怖がられないかな?」「貧乏人と馬鹿にされないかな?」、そして「そもそもイランという国を知っているかな?」等々。" これ微妙に「分かる」と思った。イランという国の置かれた状況とは比べるべくもないが私も地元にかんしておなじことを感じている。何しろ上京したとき大半のひとは「それってどこ?」と言った。知ってはいても「で、何があるの?」とくるのがふつうだった。 (就職したとき上司に「何があるの?」と訊かれて「特に何もないですけど……お酒とかお米とかはおいしいですよ、まあ温泉とか……」と答えたら「そんなの日本のどこにでもあるじゃん」と笑われた。それはそうだが一生ゆるさないと思った) 中学生のとき地理の先生が、「この先みんなはいろいろなひとと出会うと思う。すると必ず出身地の話になる。そのとき『あなたの出身地を知らない』と言ったら相手にかなしい思いをさせる。だからいろいろな土地のことを知るのはだいじ」と話していて、その先生の顔も名前もわすれたが、その言葉だけは何度も思い出した。 このド田舎でイラン人に会うことはあまりなさそうだが、先生のその言葉を思い出し「もっといろいろなことが知りたい!」と初心にかえった。 しかしながらイラン人と友だちになれる気はしない。イランでは「喋りつづけること」がマナーらしいので。
  • 2026年5月28日
    依存症と回復、そして資本主義
    そういや「平安の祈り」というのがAAでもよくつかわれるらしい。 「神さま、私にお与えください。変えられないものを受け入れる落ち着きと、変えられるものを変えていく勇気を。そして、ふたつのものを見分ける賢さを」 え、「Wait & See」やん、と思ったけどちょっとちがったわ。
  • 2026年5月26日
    依存症と回復、そして資本主義
    ざっくり言うと「変えられないものを変えようとすること、苦しみをかかえて孤立すること」が依存症の原因となるらしい。なるほど。ほんとうはもうじぶんではどうしようもないのに、「意思の力で酒をやめられる」と思っていて、けれどやめられなくて、やめられないことで周囲の信頼をうしなっていく……というひとは実際よく見る。 よって、依存症からの回復にはまず「かかえた苦しみに対して私は無力である」と認めること、そして「変えられること」と「変えられないこと」を見きわめることが重要だ。そのためには、じぶん自身に正直になる、ごまかさず、偽らず、じぶんのことを理解する必要がある。しかしこれは結構、かんたんなようで難しい。なぜなら私たちは常に物事を評価し、値踏みし、評価され、値踏みされている。そういう社会にあっては、私たちはどうしても嘘やいつわりで、じぶんを大きく見せようとしてしまう。 ……というような話。ざっくり言うと。 これを読むと、回復のプロセスというのは、ビジネス書で読むような「目標を立てて達成する」「セルフコントロールする」などとは真逆だというのが分かる。「より上へ」「より高く」「より多く」と常に最大化を目指す社会にあっては、個人の意思の力は過信される。意思があり、行動があり、その結果があると考える。が、実際のところ私たちは、自身のことすらコントロールするのは難しい。 " ベイトソンは〈酔い〉によって〈醒め〉の状態の誤りが修正されているという観点から、アルコール依存者の〈醒め〉の状態の誤りをとらえなおした。" 「経験する機械」を読んだあとだったので、この話はすごく面白かった。アルコール依存者にとっては〈酔い〉の状態こそ「エラーが修正されている」状態だという。〈醒め〉は、彼にとって「エラーが発生している」状態だから、それを修正しようとして酒を飲むのだ。 「経験する機械」によれば、不安障害者は自身の内的な状態に非常に注意を払っているにもかかわらず、実際の状態を正確に把握していないことが多いらしい。自身に対する誤った情報を、本人は非常に正確だと思いこんでいる状態だ。 つまり人間は、自身をコントロールできないどころか、分かってさえいない。だから自身に対して誤った前提を持ち、そこに適合しないじぶんを修正しようとして苦しむ。うーん、あるある過ぎる。 この本ではベイトソンの分裂生成理論と依存症研究を中心に、依存症の回復コミュニティや支援者の話も書かれている。 世界的な回復コミュニティである「アルコホーリクス・アノニマス」では「大いなる存在」(神)が重視してされていて(もともと宗教コミュニティから派生したらしい)分かるような分からんような……というところもあったんだけど、「じぶんの力ではどうにもならんことがある」というのを受け入れるためには「大いなる存在」というのが分かりやすいんだろう。実際、べつにそれはどの神でもいいらしい。日本人的な感覚なのかも知れないが、私からすると自然とか宇宙とか漠然としたでかいもののほうがイメージしやすいな。 「いいな」と思ったのは、AAの創設者であるビル・ウィルソンが、「他人に酒をやめろと言ってまわっているあいだだけは、飲まずにいられた」というエピソード。AAではスポンサーシップというのがあって、新参メンバーが先輩メンバーから一対一でサポートを受ける制度があるんだけど、これはまさしくそのエピソード、「他人をサポートすることでサポートされる」に基づいている。 これって、私が寄付をするときの気持にも似てるなと思った。ブックサンタに寄付金を送るとき、「本をもらった子どもや家族の声」みたいなの読むのも楽しいんだけど、それ以上に「本が読みたくてたまらなかった子どものころの私」がよろこぶような感じがする。だれかに何か与えてるんじゃなくて、そうすることでじぶんの何かが埋めあわせされてんだよね。 足りないものを、欠けてるものを、埋めようとして、エラーを修正しようとして何かに依存する。依存症は孤立の一形態だと書かれていた。そして、回復に必要な「つながり」は必ずしも物理的な人間関係だけではなく、本を読むとか音楽を聴くとか、そういうことも他者とのつながりと言える、とのこと。それは私もそう思う。ここのところ「経験する機械」とか「植物に死はあるのか」とか「センス・オブ・ワンダー」とか読んでたから、ほんとうはひとは世界とつながってるんだよなってことをよくよく実感するようになった。
  • 2026年5月25日
    センス・オブ・ワンダー
    センス・オブ・ワンダー
    田舎育ちの私が子どものころ好きだったのは木登りと川遊びだった。しかし家と学校はきらいだったので、いつも「ここを出て行きたい」と思っていた。 大学進学を機に家を出て、もう二度と故郷にもどることはないと思って二十年以上暮らしたが、いろいろあって地元に帰った。地元と言っても、子どものころからあちこち転校していた私に「生まれ育った町」や「地元の友人」はいない。私はこの場所が好きではない。どこにいても「ここが好きだ」と思ったことはない。 けれど先日のこと。 人影ひとつない、車すらろくに通らない山間の道を歩き、生い茂る森と、ぼうぼうの草と、でかい空と、犬の後ろ姿と、山並みを眺めながら、ぼんやりと「ここに来てよかったんだな」という感じがした。 夜明けと同時にお喋りし始める鳥たちの声で目が覚める。仕事から帰って車を降りて、家の周りの雑木林を眺めて深呼吸する。夜に犬と庭に出て、頭上の星をぐるりと見まわす。 べつに私はここを好きではないが、私の身体はここを私の場所だと感じてる。そんな実感が急に訪れた。 家の周りの星や鳥のことをAIと話していたら、「あなたの感性や文章は『センス・オブ・ワンダー』を彷彿とさせます」と言われた。知ってはいたが読んだことがなかったので、図書館で借りてみた。 で、おどろいた。 " 去年の夏、彼がきた次の日の満月の夜です。ロジャーは、私の膝の上に乗って、月と、海と、大きな夜空をしばらく見つめたあとに、ふと、こうささやいたのです。 「きてよかったね」 " 私は思わず「うん」と頷いた。 才能も財産も地位も名誉もなく、子どももパートナーも近所の友人もいないが、それでも「ここに来てよかった」と感じられたのは幸福なことだと思った。私にそう思わせてくれたのは何か? 自然とか、犬とか、田舎の空気とか、いろいろあるかも知れないけど、何がどれというわけでもなく、まるっと大きな営みの一部としてじぶんが生活している、という感覚なんじゃなかろうか。 この本にはレイチェル・カーソンの「センス・オブ・ワンダー」と、訳した森田真生による「僕たちの『センス・オブ・ワンダー』」というエッセイが収められている。「僕たちの〜」のほうは結構流し読みしてしまったんだが、あとがきに胸を打たれた。 " 本書に込めた願いはひとつだ。この星に生まれたすべての生命が、ここに「きてよかった」と思える世界をつくりたい。" 私もそう思う。何か特別なことをしなくても、特別なものを手に入れなくても、特別な何かにならなくても、世界のありように目を凝らして、その世界とつながっているじぶんを感じながら息ができる。「きてよかったね」と、てらいもこだわりもなく言えるような、そんな世界がいい。
  • 2026年5月24日
    植物に死はあるのか
    テレビで松村北斗くんが「天気予報に静岡がなくて名古屋を見ろと言われるのが納得できない」みたいな話をしてて、そうなんだ〜と思ったんだけど、この本に「静岡は東海地方だが、行政的には関東に分類されることが多い」と書かれてて面白かった。境界の話はずっと好き
  • 2026年5月24日
    経験する機械
    経験する機械
    自己と世界がつながっていく、という感じから、「植物に死はあるのか」で読んだ「富士山はどこまで富士山なのか」「竹はどこまで竹なのか」「接木したソメイヨシノはどこまでソメイヨシノなのか」「木は死んだ細胞と生きた細胞でできている」「ではどこからが死でどこまでが生なのか」みたいな話を思い出して面白かったな…… 関連した本を読んでるわけじゃなくランダムに読んでるだけなのに不思議だ。
  • 2026年5月24日
    経験する機械
    経験する機械
    脳は常に世界を予測しており、誤差との修正を繰り返すことで知覚や行動を経験している。私たちは世界を受動的に認識しているのではなく、身体感覚や外部環境などと相互に作用しながら現実を構築している。 この本に書かれている「予測処理理論」というのを乱暴に要約するとこんな感じ。 興味深かったのは、脳が予測とエラーの修正を行うときに内部の情報や文脈だけではなく外部の情報、環境から補完するということ。極端な話だと、誤った予測を実現するためにないはずの痛みを感じたり、見えているはずのものが見えなくなったりもする。 脳の働きは単に頭蓋骨のなかで起きているのではなく、身体の状態や外部資源からも情報を調達して、精度の高い予測を行おうとしてる。 つまり「心」のようなものって、じぶんひとりの頭のなかにあるんじゃなくて、世界と接続してるんだってこと。これは結構エウレーカだった。 いままでは、「世界は変えられないけど、じぶんのことは変えられる」とかさ、「世界が醜く見えるなら、それはじぶんが世界をそう解釈してるから」とかさ、ある意味では、じぶんというものが内側にあって、外側の世界を体験してる、そういう感じだった。 でも、この本を読むと「自己」というものはもっとあいまいと言うか、じぶんを取り巻くもの、目覚ましにしている鳥の声とか、考えごとをするときの紙とペンとか、いろいろなことを材料にして、考えたり感じたりしている。引越しとか転職とかで環境が変わるとストレスを感じることがあるけど、あれは単に「慣れない環境のストレス」というだけじゃなくて、それまでの環境、それ自体が「心の一部」だったということらしい。 これはなんか豊かな考えだなと思った。解釈の責任を世界に押しつけるわけじゃなく、自己を拡張すると言うか、世界をじぶんの一部だと認識していく。「じぶん」というひとつの、独立した自我があると思いたいときもあるけど、この考えだともっと柔軟に、大きく「じぶんの世界」を捉えられる気がする。 " 脳は、実践的行動を起こすのと(同じ理由で)同じように簡単に外的資源を調達し、神経回路のさまざまな側面を活性化させる、予測する機械なのだ。予測処理が展開されるにつれ、人間の経験と思考は、神経活動、ならびに脳と身体の濃密なネットワークによって内部から、また、私たちが生活している高度に組織化された技術的社会によって外部から織り上げられる。こうして、循環的な因果関係の網の目が構築され、そのなかで心はつねに身体や世界に開かれているのである。" よく「心を開く」という言いかたをするけど、分かるけど分からないと言うか、具体的にどういうことなんだろうとは思ってた。でも、この文章から「心って構造的に開かれたものなんだ!」と分かって、ちょっと感動した。脳って、常に世界を探索しているんだよ。
  • 2026年5月21日
    植物に死はあるのか
    植物学者の筆者の、とある一週間──というスタイルで書かれた、やさしい「生物」の本。理科の素人である私には「え、そうなの?!」と思うようなことがいっぱい書かれていて面白かった。内容が面白かったのもよかったんだけど、問いの立てかたがいいなと思った。 大学教授の筆者のもとに学生から質問のメールが届いて……という導入なんだけど、「どうして植物は動かないんですか?」みたいなところから始まって、動く植物もいるし、動かない動物もいる、そもそもなぜ動くのか? 植物と動物のちがいは? などと問いを増やして考えをひろげていく。「考えるプロセス」が丁寧に書かれているので、小学生とか中学生とかのときに読んでたらもっと勉強が好きになっていたかも知れない……と思うなど。 「なぜ死ぬのか」という問題が特に面白くて、生物は生き延びるために進化しつづけてきたのだから「死」が不利な条件なのであればそれを改善していてもおかしくないはず、という話。た、確かに! 私たちは皆、老いて死ぬようにプログラムされている。それが必要だからそうなっている、ということらしい。 タコの本を読んでいたときに衝撃的だったのが、タコは繁殖すると老いを加速させる分泌物が出てすぐに死んでしまうって話。ペット用のタコはそれを防ぐために(ペット用のタコ?!)その分泌腺を取り除くこともあるんだけど、それを除くとタコは母性のようなものもうしなってしまうらしい。 それ読んだときはなんか、やっぱ生物って子孫を残すことが最大の目的なんだなと思って居たたまれないと言うか、妙に後ろめたいような気分がしたんだけど、この「老いて死ぬプログラム」のことを読んで、ちょっとべつの手ざわりを得たな。 「富士山と富士山以外に明確な区別はない。 富士山のすそ野は、どこまでも広がっている。その地面はどこまでも続いている。何の境目もなく続いているということは、富士山を遠くに望むこの場所も富士山であると言えるのではないだろうか。」 ここ読んで笑ったんだけど、植物と動物の境界、生と死の境界も、こんなふうにあやふやになってくるのが面白い。考えていると、「老いて死ぬ」ことが生きることの一部である以上、命に成功も失敗もないんじゃないか、というように思えてくる。 「クロノクロス」で、この世に捨て石の命なんてない、というくだりが好きだったんだけど、一方で、それはすべての命が進化の一瞬につながっているからで、進化できるものはたったひとつ、ほかはそこに至るまでのトライアルアンドエラーなんだよな……とも思ってた(でも、「それでもおまえに会えて嬉しかった」という流れがあるからいいんだけど。世界の答えを知ることはできなくても、生まれて、出会えて、よかった、というマクロからミクロの視点)。 でも、そうじゃなかったんだよね。 「進化の一瞬」が「正解」ではないんだよ。進化の一瞬はかけがえのないものだけど、それでも結果じゃなくていつまでも過程なんだよな。すべてが過程のなかにいる。 タコの赤ちゃんは生まれた瞬間から親と離れて、きょうだいとも離れて、散り散りバラバラになって、そのほとんどが死んでしまうけど、それが「失敗」というわけでもない。 どんなふうに生きて死んでも、すべてこの世界の営みの一部。死が生の一部であるように、生も死のつづきにある。そう思えば確かに捨て石の命なんかない。
  • 2026年5月20日
    AIは「月が綺麗ですね」を理解できるか?
    AIの話はほぼない
  • 2026年5月16日
    iの言葉は信じない【ペーパー付】【電子限定ペーパー付】
    圧倒的感謝 灰咲せんせいのBL攻めも受けも暗くて大好き、暗い男は最高
  • 2026年5月15日
    アリアドネの声
    「方舟」で「地下は……イヤダァ〜〜〜〜〜!」になってたので慄きながら読んだ(しかも読んでる途中に結構大きめの地震があったので泣いた)が、なんかさわやかな終りかただったのでよかった。 井上真偽は「その可能性はすでに考えた」しか読んだことなかったけどこういうのもあるんや。
  • 2026年5月14日
    いい音がする文章
    マサムネが帯コメ書いてる、と思って買ったんだけどチャットモンチーのひとらしい。文章はビート、というのは分かったが、フォント芸みたいなのが多くていちいちつっかえてしまい、半分読んで疲れ果てた。気が向いたらまた読む。
  • 2026年5月12日
    会話を哲学する
    会話を哲学する
    会話というのは基本的に合意形成と言うか「約束」の形成なんだけど、言葉の用いかたによっては相手を操作したり誘導したりもするよ、という話(ざっくりすぎる) コミュニケーションにはいろんなかたちがあって、健全な、または明解なコミュニケーションがあったとしても「正解」というのはなさそうだ。 「失敗を運命づけられているコミュニケーション」というフレーズが面白かった。「なぜほかの仕方では語ることができないのか」、日常会話では意識されることのなさそうな問題だが、そこに注目することで当事者の心理を知る手がかりになりそう。 フィクションの会話が例として用いられてるのでキャラクター考察には役立ちそう。 コミュニケーション的暴力というのが筆者のいちばん言いたいとこなんだと思うけど確かに「バカ」とか「死ね」とか明らかな暴言じゃなくても相手を本意ではないところへ誘導したり理不尽な舞台にあがらせたりする言葉のつかいかたってある。こういうのは意識してないと、じぶんが誘導されることもあるだろうし、逆にじぶんが相手に望まぬ答えを強制することもありそう。 しかし内容としては興味深いもののなんとなくノイズが多くて読みにくい本だった。
  • 2026年5月10日
    タコの才能
    タコの才能
    タコが好物なのにタコのことよく知らないなと思って読んだら面白すぎてメモが膨大になった。 タコは群れない(イカは群れる) タコはひとりで生まれ、ひとりで育つ。タコはゆっくり歩き、仲間ではなく、周りの生き物を見て学ぶ。タコは物を集め、周りの生き物から武器を奪うこともあるし、じぶんの墨で死んでしまうこともある。タコはおもちゃで遊ぶし、退屈するとストレスで弱る。オスは恋をすると脈が乱れ、繁殖のときには生殖器を切り離してメスに与える奴もいる(?!) タコはすさまじいスピードで成長し、繁殖するとすぐに死ぬ。 タコの一生は短いが、その短い時間に高度な知能を発揮する。タコの一生は短いが、最古のタコは恐竜より前に存在していたらしく、その歴史はとてつもなく長い。 タコの短い一生に、なぜこれほど高度な知能が必要なのかは謎らしい。が、おそらくタコがあのやわらかい体で生き抜くために必要だったのだろうと言われている。 以前、鳥の本を読んだとき、硬い殻や棘を持つ生き物は「弱い」という話があった。弱いからそれが必要だったという意味ね。そういう意味では、タコが持つのは墨と知能だけ。圧倒的な強者だ。 あまりにタコが面白すぎて、もう食べられないかも……と思ったが、本のなかにはタコ料理のレシピも書かれていた。絶対うまいやつなので試したい。
  • 2026年5月9日
    おばあさんになるなんて
    作者(と言うか語り手)は樺太育ちなんだけど、祖父は秋田の小坂鉱山で働いてたらしい。樺太では内川(ないかわ)というところに住んでいて、そこでの生活が書かれたのが「流れのほとり」とのこと。 そういや昔、地元の地名に「内(ない)」とつくのが多いな、と気になって調べたとき、「ナイ」はアイヌ語の「沢、川」だと知って腑に落ちた。つまり「内川」は川、川、なわけだ。ちなみに地元にも「内川(うちかわ)」という土地があるが、そこには「内川川」という川もある。この「内」も、もとはナイだったのではないかと思うが。川川川。
読み込み中...