K.K.
@honnranu
2026年5月24日

ファンタジスタドールイヴ
野崎まど
読書メモ-読書日記-引用-抜粋-心に残る一節
私は大切な友人に、向こうでも頑張ってねと伝え、少し気恥ずかしい心を圧して、握手を求めた。入鹿はそれに応えて手を差し出した。彼女の指先が私の手の平に僅かに触れた所で、その手はぴくりと震え、入鹿は、私の三本の指の先を、軽くつまんで、握手とした。彼女は、なんだか、歪んだような微笑みを湛えていた。p.36-37
笠野との距離が近づくにつれて、私には、段々と、透明な膜のようなものが見えてきたのである。その膜は、柔らかく、向こう側がぼやけて、透けて見えるくらいに薄くて、引っ張れば軽く破れそうな、薄絹程度のものに見えたのだが、けれど一方で、私にはその膜が、どんなに力の強い人間が手をかけても決して裂くことのできない、なんというか、理のようなものに感ぜられていた。私の笠野の間には、その膜が常にあって、私が彼に近付こうと思えば幾らでも近付けるし、掴もうと思えば膜越しに向こうのものを掴むこともできるのだが、それでも膜は、厳然とあり続けて、二人の人間を隔てていた。-あの時、私が入れなかった風俗の入り口、女と遊ぶという行為との境界に、きっと、あの膜があった。p.48-54
「体というのは、なんだろうね」
誤魔化すような調子で、適当な質問をした。
「体は、心の入れ物だよ」
遠智は、大して考えもせずに答えた。
「ふむ。それはあれかい、肉なんていうものは、所詮物体であって、重要なのは精神だということ?」
私は話に乗って、
「そういえば、君の専門は複雑系か。脳神経網なんかもその分野のものだからな。やはり君は、精神の方を重視しているんだな」
「いいや、僕は心と体に軽重を付ける気はないよ。体は常に心の器足らなければならないし、心もまた、体を満たすのに適した形でないといけない」
「相補関係ということか」
「不可分。分けられない。だから不自由だ」
「不自由?」
「選べないからね」
遠智は風呂の湯を掬いながら、白い手を見つめて、
「体は心の制約を逃れられず、心もまた体から解き放たれることはない。生まれた時からそうだから、空が青いのと同じように、それに不自由を感じることが難しいけれど、でも、空の色だって、選べるならば、いろんな色が存在してもいい。ゴッホなんかは、好きなように空を描くだろう? 彼は、選べるから」p.77-79
p.91-93
