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@nininice
2026年5月25日

読み終わった
久しぶりに心の底から満たされる本に出会えて嬉しい。
アテーナイ、エジプト、インド、日本。
それぞれの異なる文化、歴史、思想が、夢か幻のように現れては消えてゆく。実際に異郷を旅しているというより、卓上の旅のようで、でもふと気がつくと、鈴懸の木陰に吹く風を感じたり、ピラミッドを見る期待に胸が弾んでいたりする。
「インドはいっさいを忘れた。エジプトはなにひとつ忘れることができなかった」と、シュペングラーは記しております。(略)私たちがこれから入って行こうとしている古代エジプト世界とは、まさにそのような世界なのです。変化をきらい、永遠に固執する人びとの世界。生と死さえ区別することを拒否した人びとの世界。増水、氾濫、減水というおなじリズムで永劫に流れつづけるナイルに、人生の意味をすべて託した人たちの世界。
アテーナイへの旅のつぎはエジプト。幼い頃、わたしもエジプトへ憧れて憧れて、スフィンクスやピラミッドのことばかり考えていたのを思い出した。読み進めるのが楽しみ。
「でも、エジプトという国は、けっして、ひとつの意味ではくくれない世界なんですよ。無数の意味が、無数の意味のままそこにある、そういう国なのです。そいつをなんとかして、ひとつの意味にしめくくりたがるのは、後代の人間の悪いくせですよ」
アテネ、エジプト、インド、と巡ってきた最後は日本。この本の出版が昭和四九年なので、現代日本と隔たりがあるのが悔やまれる。この著者が現代日本に生きていたらどのような切り口でこの社会とそこに生きる私たちを見たのだろう?
「日本人はだれでもふたつの世界、いや、四つの世界を持っておるのだ」と寺の僧に語らせている。日本には四季があるから、なんて言葉は、日本以外にも四季はある、と常に反論されているけど、外国のことはさておき、日本に四季があり、何百年も昔から日本人はこの四季をじっと見つめ感じ歌に詠み共有し、それとともに生きてきたという事実は変わらないと思う。
面白いのは、日本の四季に代表される春の桜や夏の蝉、花火、秋の紅葉や月、冬の雪などは、一瞬のもので、儚いという言葉の代表でもあるけれど、それと同時に、一年ごとに繰り返され、延々と続いてきたものでもある。だから、現代に生きるわたしが、鎌倉時代の和歌を読んでも、その情景がまるで昨日のことのように感じられることが多々あるのだ。この、一瞬と延々の両方を、何の疑いもなく持っているのが日本人の特徴といえば、そうなのかもしれない、などと考えている。
